第2話 二枚の写真
「すみませーん。この家に、ネコのブローチを落とした人がいると思うんですけど、確認してもらえませんかぁ?」
龍吾のいい加減な言葉のせいなのか、それともインターフォンの映像が子ども二人だけだったせいなのか、杏子と龍吾は、お手伝いさんだというおばさんに案内されて家の中に通された。
外から見ると和風の家だが、中に入ってみると襖や畳は見えず、通された部屋もフローリングの床にクラシックなテーブルと椅子が置かれた、広いリビングルームだった。
「お待たせしてごめんなさいね」
声とともにドアが開き、車いすに乗った白髪のおばあさんが入って来た。
ソワソワと落ちつかない気持ちでソファに座っていた杏子と龍吾は、弾かれたように立ち上がった。
「あのっ、こんにちは!」
「突然すみません! あの、あたし、椎名杏子といいます」
「おれは、高橋龍吾っていいます」
「まあまあ、私は
おばあさんはゆっくりと車いすを進め、テーブルの向かい側で止まった。後ろから入ってきたお手伝いさんが、テーブルの上にお茶と和菓子を置いて出ていった。
「年寄りだけの家だから、こんなお菓子しかないのよ。ごめんなさいね」
おばあさんはそう言って笑った。
(優しそうなおばあちゃんだなぁ)
長野の田舎にいる杏子のおばあちゃんとは全くタイプが違うけれど、ふわっと優しい雰囲気が似ていて、杏子はちょっと安心した。
「ところで、猫のブローチを拾ってくださったのですって? キヨさんの話だとよくわからなかったんだけど、超能力……とかで、うちのブローチだとわかったとか?」
おばあさんがそう言うなり、杏子は赤面した。
玄関先でお手伝いさんにブローチを見せたとき、龍吾が「超能力でさがしたんだぜ」なんて口走ったせいだ。
「はい、そうなんです! 椎名には、なんでもさがせる超能力があるんです!」
杏子がもたもたしている隙に、龍吾が身を乗りだして力説する。
「ちょっと龍吾くん、やめてよ。超能力なんて言わないでって言ったじゃない!」
杏子は龍吾の腕を引っぱって椅子に座らせると、ポケットから猫のブローチを取り出してテーブルの上に置いた。
「これ、近くの道路に落ちていたんです。見覚えはありますか?」
杏子がそう言うと、おばあさんは猫のブローチを手に取りじっと見つめた。長い沈黙のあとに、くるりとブローチを裏返すと、にっこりとほほ笑みを浮かべた。
「たしかに、これは私のブローチだわ。でもね、実は……二十二年前に持ち出されたものなのよ」
「えっ、二十二年前?」
「じゃあ、いったい誰が落としたんだ?」
杏子と龍吾は、思わず顔を見合わせた。
「そういえばシーナ、おまえさっき、持ち主が何人かいたみたいだって言ってたよな?」
「うん。確かにそう言ったけど、この家の近くに落ちてたから、てっきりこの家の人が落としたんだと思ってた」
自分の考えが間違っていたことに、杏子は今ひとつ納得できない。
「じゃあ、あれだ。この家からこのブローチを持ち出したヤツが、最近このあたりに来たってことだよ!」
龍吾はキラキラと目を輝かせる。よくわからないけれど、龍吾の興味深々スイッチが入ってしまった事は、数時間しか付き合いのない杏子にもわかった。
「でもさっ、ブローチはちゃんと持ち主のところに戻ったんだから良かったじゃない。もう帰ろうよ」
杏子は早く帰りたくて、龍吾を急かした。
「でも、気になるじゃないか」
龍吾はまだ帰るつもりはなさそうだ。
「その話、私にも教えてくれない?」
おばあさんが、杏子の視線をとらえた。
「杏子ちゃん、あなたのその……超能力でしたっけ? どんなふうにわかるの?」
ほかの持ち主が気になるのか、おばあさんは杏子の力に興味を持ったようだった。
「あの……頭の中に、映像が見えるんです。このブローチからは、四人の顔がぼんやりと見えました。だから……」
「持ち主が四人いたんじゃないかと思ったのね?」
「はい」
「すごいわ。あなたの力は、神さまからの贈り物ね」
おばあさんは素直に驚き、杏子の力をほめてくれた。
確かに、そうなのかも知れない。みんなと違う力を持つことで、杏子自身は嫌な思いをした事はあったけれど、困っている人の役に立つことが出来る力なのだということは、自分でも理解している。
「今は……あたしもそう思ってます」
おばあさんの賛辞に、杏子はそう答えた。
「龍吾くんが、このブローチであたしの力を試そうとしてるんだとしても、誰かの役に立つなら、それもいいかなって」
「ありがとう。本当にありがとね。このブローチは私の大切な宝物だったのよ。まさか、二十二年もたって戻ってくるとは思ってもみなかったけど、本当にうれしいわ。お礼は何がいいかしら?」
「いえっ、お礼なんていりません。喜んでもらえただけでいいんです。それじゃあ、あたしたち帰りますね」
杏子はゆっくりと立ち上がった。つられて龍吾も立ち上がる。
「待ってちょうだい。お願い! そうだわ、明日また来てくれないかしら?」
おばあさんが車いすを動かして、まるで出口をふさぐかのように杏子と龍吾の前に出てきた。その姿があまりにも必死だったので、二人は明日また来ることを約束して、おばあさんの家を後にした。
● ●
日曜日の昼過ぎ、杏子と龍吾は大田家の門の前で待ち合わせていた。
「遅いぞシーナ!」
先に来ていた龍吾が、自転車に乗ったまま手をふっている。
杏子はなんだか変な気分だった。
昨日はじめて話しをしたばかりの龍吾と、まるでずっと友達だったみたいに、待ち合わせなんかしている。
「なんか……変なの」
「えっ、なにが変なんだ?」
龍吾が耳ざとく聞いてくる。
「べつに。それより龍吾くん、おばあちゃんはどうして、また来てって言ったのかな?」
「さあな。でも、すぐわかるよ」
龍吾がインターフォンを押すと、すぐにお手伝いのキヨさんが出てきて二人を案内してくれた。
「いらっしゃい。待ってたのよ」
おばあさんはリビングで待っていて、二人を見ると嬉しそうなほほ笑みを浮かべた。
「座ってちょうだい。今日はね、若い人にも合うお菓子を用意しておいたのよ。ねっ、キヨさん」
「はい、奥さま」
お手伝いのキヨさんが、テーブルの上にプチケーキやクッキーをつぎつぎと並べてゆくと、龍吾は目を輝かせた。
「うわっ、うまそー!」
「ちょっと龍吾くん!」
いまにもお菓子に手を伸ばしそうな龍吾を、杏子が押しとどめた。
「あの、今日あたしたちを呼んだわけを教えてくれませんか?」
杏子が聞くと、おばあさんはにっこりと笑った。
「杏子ちゃんにはわかっちゃったかしらね? もちろん、昨日のお礼をしたかったのもあるけど、実はね、ひとつお願いがあるのよ」
「お願い?」
「ええ。杏子ちゃんにこの写真を見てほしいの」
おばあさんはそう言うと、一枚の写真をテーブルの上に置いた。
写真に写っていたのは、杏子たちと同じくらいの少年だった。小学校の卒業式なのか、スーツ姿の少年が校舎を背にして、かしこまった表情で立っている。
(なんだか、寂しそう……)
杏子は写真を見るなりそう思った。
「ずいぶん前の写真なんだけど、その子が今どこにいるか、杏子ちゃんにはわかるかしら?」
そう言ったおばあさんの顔はすこしだけ寂しそうで、なぜだか写真の子と似ている気がした。
「すこし、待ってください」
杏子は写真を手に取り、ゆっくりと目を閉じた。
頭の中のスクリーンに映し出された映像は、まるで録画の早送りを見ているように次々と画面が変わってゆく。あまりの速さに、杏子は少年の事は何もつかめなかったけれど、さっきよりも寂しい気持ちが強く心に残った。
(寂しいのは、たぶんこの子なんだ。この子に何があったんだろう……)
やがて、映像がゆっくりとしたイメージとなり、少年の成長した姿を映し出した。
(高層ビルに……コンビニ? ここは、どこだろう?)
いくつかのヒントを杏子に与え、映像は消えていった。
「どう? 何かわかった?」
のぞき込むように杏子を見つめるおばあさんの顔は、とても心配そうだ。
杏子はなるべく正確に、いま見た映像を説明することにした。
「あまりはっきりとは分からないんですけど、新宿みたいな、高層ビルがたくさんある場所の近くに、よく行くコンビニがあるみたいです。近くに住んでいるのかもしれません。とにかく、生活の中心がここにあるみたいな気がしました」
「たくさんの高層ビル? じゃあ東京にいると思ってもいいのかしら?」
「はい」
杏子は自信を持ってうなずいた。
「もう一つあるんだけど、いいかしら?」
おばあさんは、こんどは証明写真のような小さな顔写真を杏子に手渡した。その写真の顔を見た瞬間、杏子はあっと声を上げた。
「この人、昨日の人じゃない? ほら、門の前で会った」
杏子は写真を龍吾に見せた。
「ああ、本当だ。うん、間違いないよ」
龍吾もうなずいた。
「その人は、どこにいるかしら?」
おばあさんはほほ笑みながら首をかしげた。
昨日会ったばかりの人の居場所を聞くなんて、どういう事だろう。これは何かのテストなのだろうか。そんな疑問を感じながら、杏子は再び目を閉じた。
浮かんでくるイメージは、さっきの少年と似ている部分があった。しかし、この青年から感じるのは〈寂しさ〉ではなく〈怒り〉のような気がした。
(海が見える。東京湾? ああ、ここは葛西臨海公園だ)
杏子が見た湾岸の風景を伝えると、おばあさんはにっこりと笑った。
「ありがとう。これですっきりしたわ」
「……なにかの役に、たちましたか?」
杏子はおばあさんの顔をのぞき込んだ。
「ええ、とっても。私ね、この二枚の写真に写ってる人が、同じ人かどうか気になっていたの。でも杏子ちゃんの話を聞いて、違うって事がはっきりわかったわ」
おばあさんは晴れ晴れとした表情で笑った。
「すっげぇな! シーナってすげぇよ!」
いつのまに食べはじめたのか、龍吾がクッキーを頬張りながら声を上げた。
「でも、まだあたしの言ったことが本当かどうかわからないじゃない?」
「ぜったい当たってるよ。ブローチだってこの家の人が持ち主だったし、おまえの超能力はすごいって、おれは分かってる!」
すっかり信じ切っている龍吾の顔を見て、杏子は小さくため息をついた。
「だから、超能力じゃないって言ってるのに。でも、龍吾くんって変わってるよね。あたしの学校の子たちなんか、ほとんどの子が気味悪がってあたしに近づかないのに」
「気味悪いだって? そんなもったいないこと言わないよ! もしおれに超能力があったら、刑事になったときにぜったい役に立つと思わないか? おれはシーナがうらやましいんだ!」
目をキラキラさせたまま、龍吾は力説する。
「龍吾くん、刑事になりたいの?」
杏子が聞くと、龍吾は人さし指を突きだして、ちっちっちっと横に振った。
「なりたいじゃなくて、なるんだ。おれの叔父さんは刑事なんだ。ちょーカッコイイんだぜ! そうだ、シーナも大人になったら刑事になれよ。それで、迷宮入りになった事件を次から次に解決するんだ!」
「あんた、刑事ドラマの見過ぎなんじゃない? せっかくだけど、あたしは遠慮しとくわ」
龍吾の提案をさらっと受け流して、杏子もテーブルの上のお菓子に手をのばした。
「いただきます!」
プチケーキにかぶりついたとき、おばあさんと目があった。
「神さまの贈り物には、試練がつきものなのね」
おばあさんはため息とともに、そうつぶやいた。
「子供だってたくさんの人が集まれば、そりゃあ良い人も悪い人もいるわよね。特別な力を持っていると嫌なことを言う人もいるかも知れないけど、その試練を乗り越えたらきっと杏子ちゃんはすばらしい人になれるわ」
「えっ……はぁ」
戸惑う杏子に、おばあさんは優しい笑顔でうなずきかける。
「大丈夫よ、杏子ちゃんを理解してくれる人はちゃんと現れるわ!」
優しい言葉をかけられた瞬間、喉の奥がぎゅっと痛くなった。熱いものが込み上げてきて、溢れてしまいそうになる。
「おれ! おれは今でもちゃんと理解してるぞ!」
龍吾がモグモグしながら口をはさんで来る。
「よく、言うよ……龍吾くんとはまだ口をきいて二日目じゃない」
喉を押さえたまま、杏子は答えた。龍吾のおかげで、込み上げてきたものがスッと引いて行く。
「時間の長さなんか問題じゃないんだぞ! この二日間で、おれはシーナの親友になったと思ってるんだからな!」
「なによそれ? あたし、いつあんたと友達になったっけ?」
拳をふりあげる龍吾と、腕組みをして答える杏子を見て、おばあさんが小さな笑い声をたてた。
「そうかも知れないわねぇ。龍吾くんは、杏子ちゃんの理解者第一号かもしれないわね。それに、もし私も入れてもらえるなら、私も杏子ちゃんの理解者第二号になりたいわ。いつでも遊びに来てちょうだい。困ったときは何でも力になるわよ」
おばあさんはにっこりと笑った。
その笑顔につられて、杏子も自然と笑顔になった。
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