さがし屋の卵と猫のブローチ

滝野れお

第1話 落とし物

 冬の室内プールは、まるで温室のようだ。ここでは真冬の寒さも忘れる。

 外との気温差で真っ白く曇った窓ガラスも、まるで別世界にいるような気持ちになる。

 このスイミングスクールに通うようになって一年ほど経つけれど、練習の最後にほんの少しだけある自由時間が、杏子きょうこは一番気に入っている。なにも考えずに自由に泳いでいると、とても解放されたような気分になれるから。


「おい椎名しいな、シーナ!」

 気持ちよく二十五メートルを泳ぎ切り、Uターンしようとしていた杏子を呼びとめたのは、隣のレーンにいる男子だった。

 泳ぎに集中していた杏子は、声をかけられた事にとても驚いた。

「えっ、なに?」

 杏子は隣のレーンの男子を見上げた。

 顔は知っているし、同じ六年生だということも知っていたけど、別の小学校の子だ。

 杏子がスイミングスクールに入った時から、彼は杏子より級が上だったから、同じグループになったこともない。はっきり言って名前もあやふやだ。

「えーと、誰だっけ?」

 杏子が思わず眉間にシワをよせて首をかしげると、男子はガックリしたように、ゆっくりと水面に沈みながらヒソヒソ声で言った。

「おれは高橋龍吾たかはしりゅうごだよ、龍吾。あんまり飛ばすなよ。ほら、おまえの相棒がニラんでるぞ」

「えっ?」

 龍吾の視線の先に目をやると、反対側のレーンから綾香がじっとこちらを見ていた。

森沢綾香もりさわあやかって、大人しそうに見えるけど、けっこう負けず嫌いだろ? あんまり差をつけるとヘソ曲げるぞ」

「へえ、そうなの? 龍吾くん、別の小学校なのによく知ってるね」

「おれ、幼稚園が一緒だったんだ。三年生まで体操教室でも一緒だった」

「そうなんだ」

 杏子はそう答えると、プールの壁をけってザブンと泳ぎだした。


 同じクラスの綾香とは、友達になって一年くらいたつ。綾香に誘われて入ったこのスイミングスクールでも、だいたい同じグループだった。

 先月の検定で杏子の方が先に進級してしまったけれど、そんなことで綾香がヘソを曲げるとは思えなかった。

 二十五メートルを一気に泳いでプールサイドに上がると、壁の近くに白い水泳帽が落ちているのが見えた。

 手を伸ばして水泳帽を拾った瞬間、杏子の頭の中に、嬉しそうに笑う少女の顔が浮かんできた。

(あみちゃんのだ……)

 杏子は近くにいたコーチに水泳帽を手渡した。

「先生、これ、前のクラスのあみちゃんの忘れものです」

「あら、ありがと。この帽子、名前書いてないじゃない。よくわかったね?」

 コーチは驚いたように杏子を見下ろした。

「ああそれは、あみちゃんの帽子に名前書いてなかったの知ってたから……たぶんそうかなって思って。電話してあげてください!」

 我ながら苦しい言い訳だなと思ったけれど、コーチは疑いもせずにニッコリと笑ってうなずいた。

「そうなの。ありがとね、杏子ちゃん」

 ほっとしながらプールに戻ろうとした杏子は、プールの中からじっとこちらを見ている龍吾に気がついた。

 杏子がプールの中に滑り込むのを待っていたかのように、龍吾がしゃべりだした。

「話はまだ終わってないんだぞ」

「なによ、綾ちゃんの話?」

「ちがうよ、おまえの話だ」

 龍吾は不満そうに口をとがらせた。

「おまえ、失くした物をさがせる能力があるって本当か? 更衣室でみんながウワサしてたんだ。知らない人の家の中も、まるで見てきたように言い当てるって。本当なのか?」

「……えっ?」

 龍吾の質問に、杏子は頭の中が真っ白になった。


 杏子に不思議な力があるというウワサは、三年前、杏子の通う朝日小学校で一斉に広がった。

 気味が悪いとか、家の中をのぞかれるとか言われて、三年生だった杏子はあっという間に友達を失くした。それ以来、杏子にはずっと友達が出来なかった。

 去年ようやく綾香と友達になれたのに、今頃になってあの話がスイミングスクールに広まるとは思ってもみなかった。

「なあ、本当なのか?」

 焦れたように答えを求める龍吾に、杏子は小さく息をついた。

「本当だけど、それが何か?」

 つっけんどんにそう言って龍吾を見ると、驚いたことに龍吾はパッと笑顔を見せた。

「すっげぇな!」

「えっ?」

 あまりにも意外な反応に、杏子は思わずぽかんと口を開けた。

 こんな反応は、そう、幼稚園の頃にならあったかも知れない。でも、小学校に入ってからはほとんど無かったことだ。

 ちょうど終了のベルが鳴ったので、まだ何か話したそうな龍吾の前から、杏子は逃げ出した。


「杏ちゃん! さっき龍吾くんと話してたでしょ? ね、なにを話してたの?」

 更衣室を出るなり、綾香が話しかけてきた。よほどあわてていたのか、いつもとちがって長い髪はまだ生乾きだ。

「べつに、たいしたこと話してないよ」

 杏子はタオルで髪をくしゃくしゃっとかき回した。サラサラロングヘアの綾香とは対照的に、杏子の髪は肩までのくせっ毛だ。

「うそうそ! 杏ちゃん、学校では男子と話さないじゃない!」

「べつに話さないわけじゃないよ。男子も女子も、あたしとは必要なこと以外話したくないって、綾ちゃんなら知ってるでしょ? みんなはあたしのこと、今でも気味悪いと思ってるのよ」

 今でこそ、綾香をはじめ二、三人の友達ができた杏子だったが、クラスのほとんどの子には避けられている。意地悪をされないだけまだ良いほうだ。

「……龍吾くんは、あたしのウワサを聞いたみたいで、本当なのか聞きに来ただけだよ」

 杏子がそう言うと、綾香はとたんに勢いをなくした。

「そう……誰が流したんだろうね、あのウワサ。それで、龍吾くんにはなんて答えたの?」

「なんてって、まさかウソ言うわけにもいかないから、本当のことを話したよ」

「龍吾くん、なんて言ってた?」

「驚いたみたいだった。綾ちゃん……気になるの?」

「べっ……べつに! あっ、ママが迎えに来たから、じゃあ月曜日にね!」

「うん、バイバイ」

 手をふって綾香を見送ると、杏子はニットの帽子をかぶって外へ出た。

 外はとても冷え込んでいる。体に残っていた熱気はまたたく間に吸い取られてゆき、髪の毛に残っていた水分は一気に凍りつきそうな感じだ。


 手袋をしながら駐輪場へ行くと、ちょうど龍吾が自転車を出している所だった。

「よお」

「……バイバイ」

 なんとなく気まずさを感じながら、杏子は自転車を出してこぎ出した。

 まだ三時前だというのに、日ざしはまるで夕方のようだ。すっかり葉を落とした歩道沿いの並木もどこか寒々しい。

 信号待ちでふと後ろを振り返ると、龍吾が後ろからついて来るのが見えた。大通りから住宅街の細い道に入っても、龍吾はついてくる。

 杏子はなんだかムッとして、自転車を止めた。

「ねえ、なんか用なの? 龍吾くん、境小学校なんだから家こっちじゃないでしょ?」

「用ってほどじゃないんだけどさ、おれ、まわりに超能力持ってるやつなんかいないから、シーナの話しもっと聞きたいんだ。学校ちがうから、週一回しか会えないだろ?」

 龍吾はそう言って、照れたように笑う。

(超能力……?)

 杏子は思わず首をひねった。自分の持つ不思議な力のことを、超能力だと思ったことはなかった。テレビ番組で見るような、カードの模様を当てたりスプーンを曲げたりする力と、自分の〈さがし物〉をする力が同じ種類のものとは思えなかったのだ。

「……なにが知りたいの? 答えるから言ってよ」

「そう言われると……具体的な質問があるわけじゃないんだ」

 龍吾は、スポーツ刈りの伸びたツンツン頭をバリバリとかいた。

「そう。じゃあ来週までに考えといて」

「あっ、待てよ! おいシーナ!」

 龍吾をおいたまま、杏子は自転車をこぎはじめた。

 勢いよく住宅街の角を曲がったとたん、杏子は道路のすみに光るものが落ちていることに気がついた。太陽の光を反射してキラキラと輝いている。

 近くに行って見ると、それは猫の形をしたブローチのようだった。全体は銀色の金属で両目が赤い宝石でできている。しっぽの先にはダイヤモンドのような透明な宝石がついていて、とてもきれいだ。

「落し物か?」

 横からひょいと出てきた龍吾の手が、猫のブローチを拾い上げた。

「なぁ、おまえの超能力って、失くした物をさがせるんだろ? 落し物の持ち主もさがせるのか?」

「……たぶんね」

 杏子はあいまいに答えた。

 興味本位で自分に近づいてきた龍吾に、正直なところうんざりしていたのだ。

「じゃあさ、これから届けてあげようぜ。持ち主の人もきっとさがしてるよ、大事なものかもしれないじゃん!」

 龍吾はうれしそうに猫のブローチを杏子に差し出した。

「ああ……うん」

 龍吾の勢いに押されるように、杏子はブローチを受け取った。

(しかたないなぁ、もう)

 大きなため息をついてから、杏子は目を閉じた。両手でつつんだブローチから流れこんでくる記憶のようなものが、何人かの映像を杏子の頭の中に映しだしてゆく。

 女の人がふたりに、男の人もふたり。

(なんだろう、この感じ?)

 今まで感じたことのない複雑なイメージに、杏子は戸惑った。

 やがて映像が消え去り、杏子がゆっくりと目を開けると、目の前にはファイティングポーズのように両手を握りしめた龍吾が待っていた。期待に目が輝いている。

「どうだ? 持ち主はわかったのか?」

「うん。持ち主は一人じゃなかったのかな……いろんな人がこのブローチを持ってたみたいなの。でも、そのうちの一人が近くにいるみたいだから、そこに行ってみようと思う」

「そうだな。行こうぜ」

 ふたりは自転車を引いて歩きだした。

「どんな感じでわかるんだ?」

 真面目な顔で龍吾が聞いてきた。その顔があんまり真剣だったので、杏子も真面目に答えることにした。

「写真や品物を持つとね、映像が頭に浮かぶの。失くし物ならそれがある場所が見えるし、さっきは人の顔が何人かぼんやりとだけど見えたの。だから、持ち主がひとりじゃないのかなって思った」

「ふーん。それじゃ、いまから行く場所は? やっぱり映像が見える感じなのか?」

「ううん。場所の映像は見えなかった。ただ、なんとなくこっちの方だってわかるだけ」

 杏子は左手で住宅街の左側を指さした。

「なんとなくかぁ……不思議だな」

「そうね。あたしもよくわかんないんだ」

 自分の力を説明するのはとても難しい。何かわかりやすい例えはないかと考えていると、

「わかった!」

と、龍吾がワクワクした様子で杏子の顔をのぞきこんだ。

「おまえの力はさぁ、警察犬みたいなもんなんだ!」

「警察犬?」

「そうだよ! 警察犬はニオイで犯人を捜すだろ? シーナはそのブローチから持ち主のニオイをかぎとってるんだよ!」

「はぁ?」

 自分が犬に例えられたことが、なんだか気にくわない。

「それは、ちょっと違うと思う!」

 文句を言って、杏子は口をとがらせた。

「そうかなぁ、おれはけっこういい例えだと思うけど」

 龍吾は残念そうに首をかしげている。


「ここみたい」

 杏子が見あげたのは、白い塀にかこまれた和風の家だった。正面には木造りのりっぱな引き戸の門がある。広い庭には松の木がたくさん植えられているようで、中はよく見えないが、門の横に大田という表札がかかっていた。

「どうしよう……いきなり落し物を拾いましたなんて言っても、信じてもらえるかな?」

「あっそうか。普通はまあ、信じてくれないよな」

「うん」

 杏子が立ち止まったまま迷っていると、乱暴な音を立てて門が開いた。中から出てきたのはまだ若そうな男で、黒いダウンジャケットにジーンズ姿の青年だ。

 彼はイライラしたように、近くにあった石を蹴りあげて塀にぶつけると、杏子と龍吾の方をジロリとにらみつけてから去って行った。

(いまの人……)

 杏子は頭の中に引っかかるものを感じて、じっと去ってゆく青年を見送った。

「シーナって目ヂカラ強いよな。なに見てたの? いまの男、なんかあるの?」

「わかんない。ただ……なんか嫌な感じ」

 杏子は、青年の後ろ姿を見つめたまま答える。

「そっか……。まあ、とにかく届けようぜ」

 杏子がぐずぐずしていると、龍吾がインターフォンに手を伸ばした。

「あっ、ちょっと待ってよ!」

 まだ心の準備ができていなかった杏子は、とっさに龍吾を止めようとしたが、龍吾の手が一瞬早くインターフォンのボタンを押していた。

 ピンポーン!

 杏子の不安など気にもとめず、龍吾は二カッと笑った。


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