Episode06 魔王とヴァンパイア、そして人間(4)

 大河は目を瞬かせる。目の前で起こったことが信じられないと言うように。

 しかし、認めるしかないだろう。

 現に、目の前まで冬夜が迫っているのだから。


 突拍子のない出来事には即座に対応できないもので、真白を相手に一方的な闘いをした大河が、拳を正面から受ける破目になった。

 咄嗟に腕を出し、ガードするも後退を余儀なくされる。一歩二歩と後ずさる。


 屈辱的だ。


 苦汁を舐める間もなく、追撃が来る。

 勝利を得るためには、距離を取って魔法での遠距離攻撃が最善である。

 人間――冬夜を発生源に幾体もの漆黒の蝙蝠こうもりが舞い上がる。妖力の可視化。

 それらの蝙蝠は群れとなり、冬夜の周りを旋回する。それは巨大な妖気の渦と化す。


 コイツは危険だ。大河の本能の部分がそう訴えていた。


(気圧されたと言うのか――この俺が!?)


 まさか、と頭を振る。注意の逸れたその一瞬の間に冬夜は目の前まで迫り、正拳突きを放つ。紙一重で躱すも、ハラリと前髪が散った。

 次の一手を模索する間も、冬夜の攻撃は止まらない。

 動きは素人同然だが、スピードとパワーが常軌を逸している。

 人間のはずだろッ!? と心の中でそう吐き捨てると、後方へと飛び退いた。

 飛び退くと同時に魔法陣を展開、着地すると同時に発動する。

 青色の光を放つ魔法陣から大量の氷柱を放つ。

 氷柱の弾幕を張る。全て躱すことは出来ない。回避先は全て潰しておいた。


 真っ直ぐに突っ込んでくる。

 回避という選択が頭にない!?

 放った氷柱は必中の魔法ではない。

 大河の行動予測によって放たれたものだ。一つだけ抜け道があった。直進すること。回避することを想定して左右上下に弾幕を張ったがために、真正面は極端に手薄となっていた。そのことを知ってか知らずか猪突猛進してくる。


「クソがッ」


 苛立ちと共に障壁を作る。

 拳が迫る。障壁に阻まれる。冬夜は即座に回り込むようにステップする。

 背後からの蹴り、これもまた阻まれる。さらに正拳突きを真横から――浴びせられる無数の攻撃は障壁に罅を入れる。


 咆哮と拳が弾丸のように猛烈な勢いで飛んでくる。


「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ――――ッッ!」


 右拳が障壁と激突し、障壁を押し込んだ。

 ぴきり、とひび割れる音。

 障壁に亀裂が走り、やがて砕け散った。

 ずどん、と重厚な音が響き渡る。


 大河は肺の空気を吐きだし、吹っ飛んだ。

 口元を拭う。ねっとりとした生暖かい感触。


「フフフ――、やるじゃないか。だが、ここまでのようだな、人間」


 まともに一発貰ってしまったが、大河の優位は揺らがない。


「玉砕覚悟の自損行為。殴るたびに腕が壊れていたんじゃ世話ないな」


 目の前の男は、血だらけの右腕をだらりと下ろしていた。

 人間離れした力に身体がついて行かないような状態か?

 とんでもない力だが、人間の身体という器ではその力を受け止めきれないのだろう。


「それがどうした……はまだ戦えるぞ」


 テンションがハイになっているのだろう。本来であれば動けるレベルの損傷ではない。

 すでに血管はボロボロになっているはずだ。人と妖力の反発作用か、なかなか面白い現象だ。研究の価値があるかもしれない。


 大河が魔の探究者としての顔を覗かせていると、


「行くぞ、構えろ」


 奇襲をかけてくればいいものを、馬鹿正直な男だ。

 闘いというものを知らないと見える。どんな手を使ってでも勝てばいい。いま行っているのは命の奪い合いなのだから。


 大河は驚きを飲み込む。素直に驚いを現さないのは矜持きょうじである。ポーカーフェイス。全てを見通しているという不遜な態度を崩さない。

 目の前で急成長を遂げる人間に語りかける。


「気づいているか、人間? 貴様はすでに人智を超えている――超越者だ、俺の下に来るか?」

「ふざけるな。誰かを傷つけることでしか成し遂げられない世界なんて虚しいだけだ……間違ってる」


 人間らしい考え方だと思った。

 だから捻り潰してやりたくなった。

 きれいごとだけじゃ世界は変わらない。力がなければ、それはただの絵空事に過ぎない。


「理想を現実にする覚悟も持たない人間風情が――ッ」

は皆で楽しく笑っていたいだけだ――ッ」


 二つの想いが激突する。


 大河は、男に信念の炎を見た。

 比喩ではない。

 燃えているのだ、振るう拳が。

 その炎によって人間の腕は崩壊し始めている。

 刹那、視界から男が消えた。高速すら凌駕する速度を誇る大河は、光速の域にまで達する。その視界から消えることなどありえない。

 思考を加速させる。どんなに考えても一つの可能性しか導き出せない。


(さらに上の領域に踏み入ったというのか……!?)


 神速の世界。

 人の身では到達できない領域、人でなくとも到達する者は皆無。


 チリチリと焦げる匂い――、

 視界が燃える。

 顔は殴りつけられ、熱によってからからに乾き、視界は最早白く染められていた。


 喉が渇く――いや、喉が焼き尽くされていないか不明だったが――言葉を発するのは困難だった。

 全身から力が失われていく。

 そんな中でも、己の全てを動員して言葉を紡ぐ。


「……あぁ、ヘレス=ブラッド・フーガに栄光と誉を。この世界に平安を」


 薄れゆく意識の中で、大河の身体から目に見えない何かが抜けだしたのを感じる。

 全身が動かなくなっていく中、久しく感じたことの無かった穏やかな感覚を得た。

 そして微笑を浮かべた大河は、


「……負けたのか」


 敗北を悟った。

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