Episode06 魔王とヴァンパイア、そして人間(2)

 冬夜は、なるべく音をたてないように動いた。急に人影が動けば、さすがに戦いに集中している大河もこちらに意識を向けかねない。

 隠密行動。

 冬夜と希望は呼吸するのを忘れるくらい慎重に歩みを進めた。

 サンのブンブンと振れる尻尾の僅かな音ですら、煩わしく思う程に張り詰めていた。


 カタッ、と瓦礫を蹴っただけ(爪先に当たった程度)でも心拍数が跳ね上がった。

 寿命が数年縮まった気がした。


 冬夜たちが向かう目標は、ユートピアの心臓ともいうべき大結晶クリスタル

 サンを問い詰めたところ白状した。藤村大河は自身の魔力ではなくクリスタルから供給される魔力で戦っているのだと。そしてユートピアのいたるところにあるクリスタルが吸収した魔力は最上階にある――まさしく目の前にあるクリスタルへと集約されると。そこから大河へと魔力を供給する。

 つまり、クリスタルさえ破壊すれば無尽蔵の魔力はなくなるという事。

 フェアな戦いへと戻すことが出来る。それは真白のアシストをするという事。

 無力な人間の翔太に出来る数少ない事。しかもその行動が戦況を大きく左右する。世界の命運を握っているのは冬夜たちと言っても過言ではなかった。


 いちいち挙動の大きいサンは、冬夜たちの寿命を削るので、


「待っていてもらってもいいかな?」


 と、お願いしてみると「わかったっす」とまるで犬のように両手を身体の前についてお座りをした。

 つい、いい子いい子と頭を撫でてやりたくなる衝動に駆られたが、なんとか我慢した。

 希望が頬を膨らませているのはなんでだろう?

 首を傾げると、


「もう、行くよ」


 冷たい。

 本当に女の子の生態は不明な事ばかりだ。


 一歩また一歩とクリスタルに近づくたびに思う。

 なんでこんな異質なものを不思議に思わなかったのか、天外から降ってきた冷たい隕石みたいな印象を残す――この世界のモノとは思えない輝きを放つソレは、大河の魔法発動に合わせて輝いていた。

 憶測が確信に変わった瞬間だった。


「まさか、あの真白がここまで追い込まれるなんて……」


 きっとそれは希望の意思とは関係なく零れた呟きだったに違いない、けれども冬夜はその呟きに答えるように、そうだね、と同意の言葉を口にした。

 このまま闘えば間違いなく負ける。死闘なんてものとは無縁の世界に生きてきた冬夜にでも理解できた。真白は窮地に立たされているのだと。

 妖怪の世界に生きてきた希望は、より強くその現実を感じていることだろう。


 ――《十字架による浄化クロス・プリーゴ


 魔法発動まで時間がない。

 二人は駆け出す。

 希望が先に鋭利な爪を伸ばし、クリスタルを斬りつける。

 冬夜は自分の非力さを呪いながらクリスタルを殴りつけた。

 拳が割れそうだ。それでも無意味ではないらしく、殴った箇所の先端部分が僅かに欠けていた。

 微々たるものかもしれないが、全く役に立たないわけじゃない。それが冬夜は嬉しかった、今までみんなの足を引っ張ってきた。


(もう、ただの役立たずじゃないぞ!)


 決意と共に拳を振るう。

 拳の感覚がなくなるにつれ、クリスタルは紅く染まった。

 それに気づいた希望が小さく悲鳴を上げた。

 希望は何かを言おうとしたが、冬夜は眼力で押しとどめ、その先を言わせなかった。


 一瞬、真白と視線が合った気がした。高速の戦闘の中、真白にはそんな余裕などないはずだ。

 気のせいだとは分かっている、分かってはいるが、無性に嬉しく思ってしまうのだ。

 すると横から新たな拳がクリスタルに突き立てられた。


「これ壊すっすか?」


 サンは純粋でいい娘なのだが、辛抱が足らない。

 待てのできない犬みたいだ――彼女はウェアウルフ――人狼なのだが。

 その辛抱の無さに今だけは感謝した。

 お願いすると、喜んでその豪腕を振るった。

 冬夜と希望は顔を見合わせた。


「「敵じゃなくて良かった」」と。


 瞬く間にクリスタルに無数のヒビが入り、もう一撃で破壊できるところまで来た――が、


「何をしている――ッ!!!」


 怒りの形相で大河が睨んでいた。その瞳には憤怒の炎が宿り、余裕な口調も表情も無くなっていた。

 手を突き出す。衝撃波がサンを吹き飛ばした。

 サンは立ち上がろうとするが、身体に力が入らないのか、壁にもたれかかるようにして座り込んでしまった。


「「――サン!?」」


 希望の視線が、冬夜とクリスタルとを行き来する。

 悩みながらも希望は冬夜を庇うように、大河と冬夜の間に割って入った。


「女、チャンスを不意にしたぞ」


 魔法詠唱者マジック・キャスターは魔法陣を展開。

 今まで放っていた魔法とは違う、禍々しい気配を感じた。


「させると思うか?」


 真白が高速の蹴りを繰り出す。

 まるで背中に目が付いているかのように完璧な回避を見せる。


「出来るからやるんだよ」


 蔑みの眼で言い放つ。


「《闇の波動ダークネス・オンド》」


 黒の粒子が魔法詠唱者マジック・キャスターを中心に輪を描いて拡散。真白の突撃を押しのける。


 クリスタルに反応はなかった。正真正銘、藤村大河の魔力を使った魔法だ。


「邪悪な気配しかしないな。神聖属性の魔法を連発していた奴とは思えんな」

「善悪は表裏一体。貴様らが言う善悪など仮初めの基準に過ぎない。その基準は誰が作る? 強者が作るんだよ、支配者が全ての基準を創造する。故に俺は善悪の基準に囚われない」

「神にでもなったつもりか?」

「神? まあ、そうだな。判り易く言えばそうなる。だが、俺は今いる神共のさらに先の領域に足を踏み入れる――《夢幻回廊むげんかいろう》」


 ついに発動してしまった。

 クリスタルが発光する。

 幻想的な輝きが塔を包む。

 まるで万華鏡の中に身を投じているような感覚。

 夢心地という言葉の意味を生まれて初めて実感した。


「冬夜!! 今すぐクリスタルを破壊しろ!!」


 冬夜の耳をつんざく絶叫が木魂こだまする。

 ハッと我に返った冬夜は拳を握る。

 足下には希望が倒れ込んでおり、スゥスゥと寝息をたてている。

 驚きに目を見開き、


「何故、人間如きが《夢幻回廊げんろうかいろう》から戻ってこられる!?」


 油断、混乱、焦り、戸惑い、それら全てが敗因となる。

 人間一人の力では壊せるはずもない、その強固なクリスタルは、冬夜の想いを乗せた拳によって砕かれた――。

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