Episode05 裏切りの魔女(1)

 声が震えた。

 涙があふれた。

 それが悲しさからなのか、怒りからなのかは分からなかった。

 かつて最も信頼を寄せた仲間。

 そして最も憎んだ存在でもある。


 大河は、おじいさんを殺した。

 たとえヘレス=ブラッド・フーガの意思に操られていたとしても、それは許されることではない。


 過去と決別する。

 誰かに守ってもらうだけじゃない。自分の足で歩んでいく。

 そのためにも――、


「あなたを止める」

「止める? 裏切り者の君が?」

「裏切り者? どういう意味?」

「簡単な事だ。君はかつて――十年前、この塔から逃げ出した。仲間を犠牲にして」


 違う。そう否定しようとするよりも早く、


「君は仲間を見殺しにした。目の前で命尽きようとしている仲間を置いて塔から脱出した。違うか?」


 瞬時に分かった。おじいさんの事だ。

 確かにあの日、おじいさんは自らを犠牲にして沙月を救った。

 長い月日を経ても、沙月の心から消えることの無い、苦い思い出。

 未だにあの日の事は夢に見る、もちろん悪夢として。


 後ろめたい気持ちが、沙月の中に確かに有った。

 そんな後ろめたさすら、大河は利用する。


 生まれてしまった一瞬の沈黙。

 それが命取りだった。

 それ即ち肯定と同義なのだ。


 ――突然、横からの攻撃を喰らう。


 風魔法だ。

 威力は高いが、直線状にしか発動しない魔法だ。

 明らかに沙月を狙った攻撃。

 塔の外へと投げ出される。

 沙月以外は、暴風に見舞われてはいるものの、ダメージはないようだ。


 吹き飛ばされながらも沙月は、追撃の魔法陣を確認。

 素早く飛行魔法を発動。空中姿勢を立て直す。

 すぐさま追撃の魔法が飛んでくる。

 急上昇することで回避、続けて上空で静止。

 魔法陣を展開、迎撃準備を整える。


 塔から影が一つ飛び出す。


 風の刃を放つ。

 鉄をも切断しうる刃が無数に生み出され、次々と飛んでゆく。


 塔に激突すると外壁を破壊する。

 倒壊には至らずとも、塔へのダメージは避けられないだろう。


「よくも――ッ」


 塔を破壊されないために、塔から離れた場所へと飛行する。

 風の刃は追いかけるように軌道を変える。


「《激風インテンス・ウィンド》」


 一陣の風が、沙月の放った風の刃を相殺する。

 相当な練度の魔法使いだ。

 おそらくは沙月と肉薄する実力の持ち主だ。

 だが――その容姿には大きな違いがあった。

 全身ローブの沙月に対して、肩だしトップスにホットパンツという露出の多い恰好をしている。


 見ているこっちが恥ずかしくなる。

 顔を背けたくなるのを我慢し対峙する。

 沙月は相手の顔に見覚えがあった。


「……美羽?」


 かつてユートピアで奴隷をしていた少女、その面影があった。

 確信がなく問いかけるような形になる。


「そうだよ」


 沙月以外にも、あの惨劇から逃れた者がいたのだ。

 良かった。その思いだけが沙月の中で大きくなる。

 だが、沙月は失念していた。美羽が今なお、この塔――ユートピアに留まっているという事実に。


「《凍てつく風フリーズ・ウィンド》」


 間一髪で躱す。

 冷気がローブの裾を凍らせる。


「美羽!?」


 迎撃の魔法を躊躇してしまう。


「来ないのなら、こっちから行くよ!!」


 疾風の如き加速を見せる。


 出遅れた。今から加速しても不利なままだ。

 ならば迎撃あるのみ。

 風よりも速い攻撃――《稲妻の一撃ライトニング》。


「《近距離転移ショート・トランシション》」


 姿が掻き消え、虚空を稲妻が走り、青白い火花が線を引く。


 空中戦は魔力量(妖力)がものを言う。

 飛行魔法は常に力を放出しなくてはならない。

 その為、魔力量の高い者が有利に戦いを進められる。

 自然界の魔力を自身の力に変換できる魔女は、魔法戦を得意とする。

 沙月は生粋の魔女。

 対する美羽は魔女ではない――夜雀よすずめ――名前の通り鳥の妖怪だ。

 高速飛行は不得手な筈だが、種として何の代償もなく空を飛ぶ。全ての力を魔法に裂くことが出来る。


(回避に転移魔法、なんて贅沢な使い方!)


 鳥妖怪ならではの戦い方。

 それを美羽は心得ている。

 それでも魔法戦になれば魔女が有利。


「《大嵐テンペスト》」


 空に厚い雲が広がり、周囲を暗くする。

 穏やかだった水面はうねり、波の中に大量の白泡が生まれる。

 美羽は顔を僅かに顰めた。


 鳥は風が強い時には建物や木々の陰に身を隠す。

 それはあまりに強い風だと、飛行するための揚力を得ることが出来ないからだ。

 鳥は翼を羽ばたかせて飛ぶわけではない。風に乗るのだ。だが、その風があまりに強いと制御不能に陥る。

 まさに今の状況だ。


 続けて、竜巻を複数生み出す。

 これで制空権は掌握した。

 勝敗は決したも同然だ。


「《真実の記憶トゥルース・メモリー》」



 世界が暗転する。


 ユートピアも、空も、海も無い世界、「無」が支配する世界。

 魔法の発動は――世界に暗幕を張ったように、視界の全てを黒く染め上げる。

 効果不明の魔法が沙月を襲う。


 ――精神系魔法!?


 暗転はほんの数秒――十秒にも満たない時間。しかしその何十倍にも感じられた。

 やがて黒い世界は消え、やがて世界に光が戻る。

 急速に輪郭を取り戻した世界には、突き抜けるような大空、眼下には大海が広がっていた。そびえ立つ悪しき塔も健在だ。

 だが、安心はできない。なぜなら、本来であるべきものがこの世界にはなかった――そしてあるはずの無いものが存在している。

 穏やかな水面に浮かぶ無数の船――その残骸と人だったもの。


 ここは昔のユートピア。

 沙月の呼吸が乱れる。心臓は跳ね上がり爆音を立てる。

 息をすることも忘れてその光景を見つめる。


 気が付くと沙月の意識は当の内部に居た。

 そこで気づく。ここは現実世界ではない。空想世界――幻術、催眠の類であることは容易に想像がついた。

 沙月の最も触れてほしくない過去。その過去を基に作られた世界。


「タイガ」


 あどけなさの残る女の子の声。

 そこには、幼さを残した美羽の姿があった。

 忠実に過去をトレースしている。

 同じ時間を過ごしたのだから忠実なのは当たり前だ。問題はこの攻撃の意図だ。

 ――《真実の記憶》。一体過去に何があると言うのか。


「……ミワ」


 虚ろな瞳の大河は、不敵な笑みを浮かべた――沙月にはその様に見えた。


「無事だったか……良かった」


 安堵の表情を浮かべながら、美羽のそばへと寄る。

 不安気な様子の美羽の肩を抱いて、


「他の奴らはどうした?」

「みんな、まだ地下牢にいる」

「そうか、そのおかげで助かったんだな」

「先に行ったみんなは?」

「死んだよ」

「……え?」


 美羽が問い返す。

 それでも「死んだ」という答えしか返ってこない。

 外を見ろ、という大河に促され、窓際に立った美羽が外へと目を向ける。


「……なに、あれ?」


 きっとそれは誰かに言った言葉ではない。目の前の惨状を前に、自分自身への問いだ。

 状況を呑込みたくなくて、事実から目を背けるために、新たな可能性を模索している。

 けれども現実は変わらない。事実として、に眼の前に広がっているのだ。

 仲間たちの死。

 美羽の感情は崩壊する。

 大河は――ヘレス=ブラッド・フーガは心の隙を見逃さない。


「アレは沙月が殺ったんだ」

「……サツキが?……なんで?……」

「俺にも判らない。でも、この塔からいなくなったのは沙月だけだ。塔に居た術者たちも沙月が殺した。アイツは一人強大な力を手に入れて俺たちを見捨てた」


 出任せにもほどがある。しかし美羽は、この荒唐無稽こうとうむけいな話に信憑性を見出す。

 いや、何かを――誰かを憎むことでしか、自身の気持ちに折り合いをつけることが出来なかったのだろう。

 憎む対象がなければ、絶望に呑まれていたかもしれない。ある意味で、大河は美羽を救ったと言えなくもない。だが、正しい行いではない。そして美羽を悪の道に引き込んだ。

 許すわけにはいかない。そして本当の意味で、美羽を救う必要がある。そのためにも美羽を止める。



 魔法を発動させる。


「《完全なる魔法反射フル・マジック・リフレクション》」


 空間が歪み、世界に亀裂が走る。

 剥がれ落ちる世界の向こうには深淵しんえん――再び世界は黒く染め上げられる。

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