Episode01 人間とヴァンパイア(5)

「ウソ……ウソだ」


 肩を落とした真白は独りで歩いていた。

 とぼとぼと足取り重く。

 首をもたげたまま行くあてもなく歩く。


「初めてできた友達だったのに……」


 零した呟きは、空気に溶けてどこへともなく流れて行った。

 頬を伝った熱いものが自分の気持ちを気づかせた。


「私は……」


 妖怪とか人間とかどうでもいいんだ。

 私が好きなのは冬夜くんなんだから……


「一人か?」


 振り返ると、田臥が舌なめずりしながら笑っていた。


「淋しいんなら俺と遊ぼうぜ」


 腕を掴む田臥の力は強く、真白は振りほどこうとするが敵わない。

 抗うほどに力を強めてくる田臥。

 痛い。

 華奢な真白の腕が悲鳴を上げる。


「俺の女になれよ真白」


 欲望丸出しの田臥はニタリと笑う。

 すでにその瞳には欲望の火が灯っている。


 妖怪の世界は弱肉強食。力こそが全ての世界だ。

 人間界であれば暴力は犯罪。しかし妖怪の世界では全ての事を力により決する。

 強者は何をしても許される、それが妖怪の世界の理。

 田臥はその理に従い、力ずくで真白を自分のものにしようとする。


「や、やめて――ッ!」


 抵抗の甲斐あって掴まれた腕を振りほどくことに成功する。

 その際、真白の持っていた鞄が田臥の顔面にクリーンヒット。

 鞄程度では田臥は傷つかない。しかし反抗されたことが気に食わない田臥は真白を思わず突き飛ばした。


「おっと、いけねぇ。興奮しちまうと制御がきかねぇな」


 元の身長の倍以上になった田臥は真白を見下ろす。


「ハハハハハ――楽しもうぜぇ真白」


 制服のブラザーに手をかけ乱暴に脱がす。

 抵抗を試みるも、を現した田臥の力に抗うことは出来なかった。


(怖いよ……誰か助けて――……)


 ――真白さん


(冬夜くんの声が聞こえる……)


 遂に幻聴まで聞こえてきた。

 本格的にピンチだ。

 ここで私……

 真白が全てを諦めかけたその瞬間――


「真白さーん」


 真白の目にはこちらに向かって駆けてくる冬夜の姿が見える。

 真白は叫んだ。


「冬夜くん――――!!!!」


 …………

 ……

 …


 学園へと戻る道すがら冬夜はずっと考えていた。

 真白になんて謝ろうかと。

 突き放すような言い方をしてしまった。たとえ真白が、人間である冬夜を受け入れなかったとしても、自分の気持ちはちゃんと伝えよう。

 たった一日だったけど、真白と過ごした時間はかけがえのないものになった、と。伝えるんだ――自分の口で。


 ん? 

 何か声が聞こえた気がする。

 風に乗って微かだが人の声が聞こえる。

 道を外れた冬夜は、草木を掻き分けて進む。


 しばらく進むと、


(誰かいる?)


 そのまま近づいてゆくと二人の人影。

 そのうちの一人は冬夜が会いたかった人。


「真白さーん」


 駆け寄ると驚いた表情の真白が叫んだ。


「冬夜くん――――!!!!」


 そして、


「何で戻ってきたの!!?」と。


 冬夜は、


「真白さんに伝えておきたいことが……って――なんだこの化け物ッ!!!」


 と答えた?


 冬夜の目の前には化け物。

 人間の冬夜にはいささか刺激が強すぎた。

 絶叫。

 人目もはばからず思った事を口にした。

 主に怖いとかそう言った類の事を叫んだ。

 すると、真白が逃げてと血の気が引いた顔で言う。


「これが田臥くんのなの!」


 田臥? 目の前の化け物が?

 冬夜は足がすくんで逃げることが出来ずにいた。


「二度と近づくなって言ったよなぁ?」


 ドスの利いた声に生唾を呑む。


「消えろ」


 次の瞬間、冬夜の身体は遥か後方へと吹き飛ばされていた。


「冬夜くんッ――!!!」


 真白の悲鳴にも似た声があっという間に遠ざかった。

 薄れゆく意識の中で、駆け寄ってくる真白の姿を見て、自然と冬夜は笑みを零した。

 今にも死にそうな状況だというのに笑っているだなんて、どうかしている。

 冬夜はおかしく思った。怖いはずなのに何で笑っているんだろう。


「大丈夫?」


 と、駆け寄ってきた真白をの顔を見て悟った。

 涙で瞳を潤ませた顔を見て、綺麗だなどと状況にそぐわない感想を抱く。

 彼女が無事だったことだけで満足している自分がいた。

 とっくに虜になっていたのだ。

 心を掴まれてしまっていた。

 冬夜には真白と別れる、などという選択は端からなかったのだ。


 ずっと遠くで田臥が高笑いしている声が聞こえる。


 冬夜の顔に温か雫が落ちる。


「ごめんね……冬夜くん。人間と私たちとじゃ、こんなにも違うんだね……

 私もヴァンパイアだから血を吸って人を傷つけちゃう。それでも私は冬夜くんと友達になりたかった……でも、やっぱり私は冬夜くんを傷つけちゃう――傷つけることしかできない……」


 冬夜は歯を食いしばり言う事を聞かない身体に鞭を打つ。

 全身が軋み、悲鳴を上げる。

 それでも今はそんなことはどうでもいい。そんな事よりも伝えなくてはいけない事がある。


「僕は弱くて……何のとりえもない奴だけど……気付いちゃったんだ。自分の想いに――僕は真白さんの友達だと思っているよ……――それに、真白さんがヴァンパイアでも


 望月冬夜、人生初めての告白であった。

 精一杯の空元気で笑う。


「だから、血を吸われても平気だよ……」


 声が震えてしまった。呼吸するのもやっとの状況で振り絞った言葉はお世辞にも元気の良いものではなかった。


「ザコは黙って寝てろや――ッ」


 近づいてきていた田臥の蹴りが襲う。

 冬夜と真白の二人を軽々と蹴り飛ばす。


 とっさに真白を庇った冬夜だったが、止めの一撃を喰らい完全に身動きが取れなくなってしまった。


「このままじゃ……」


 真白は唇を強く噛む。

 淡く血が滲んでいた。


 真白は冬夜を見つめて頭を振る。

 何か考え付いた様子だが、実行できずにいる様だ。


 何か考えがあればやってみるべきだ。

 このまま何もせずにいれば殺されてしまうのだから。

 指をくわえて死を待つだけだなんて嫌だ。


 真白は重苦しい口を開いた。


「血を大量にもらえれば……私が覚醒すれば田臥くんを倒せる、けど……」


 真白が悩んでいるのは吸血行為の事だろう。

 瀕死の状態の翔太から血を吸う事は、命の危険が伴うということだ。

 人間は大量の血液を失うと死んでしまう。

 どんなふうに死ぬのかは分からないが、映画やなんかではヴァンパイアに襲われた人間は干からびたりしていた。

 例えそのような死に方をしたとしても、目の前で誰かが――真白が死ぬくらいなら――冬夜は覚悟を決めた。


「僕の事は気にしないで」


 口角をあげているつもりだが、笑えているのか分からなかった。


「でも……」

「お願いだよ真白さん。僕は君の力になりたいんだ……」

「冬夜くん…………わかった」


 真白も覚悟を決める。

 冬夜を抱き寄せて首筋へと優しく噛みつく。

 真白は喉を鳴らして冬夜の血を飲んでゆく。

 涙を流しながらの優しい吸血は、冬夜から生命力を確実に奪っていった――。

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