Episode01 人間とヴァンパイア(4)
怪奇学園での生活、二日目の朝。
冬夜の手には退学届けが握られている。
一夜真剣に考えて退学届を書いた。
正しくは、夜になってから不気味さの増した学生寮では、満足に眠ることが出来なかったがために起きていただけなのだが。
真白と離れるのは辛いが、三年間も妖怪たち相手に正体を隠し通せるとは思えなかった。何より怖い。
一日生活しただけで人間との違いを痛感させられた。
田臥裕也のパワーは常軌を逸しており、冬夜よりも身体の小さな真白でさえ、とんでもない怪力なのだ。
人間が生活していくことの出来る環境ではない。
真白とは離れたくないが仕方ない……
「よお、ザコ」
振り返ると田臥が睨みを利かせていた。
「羨ましいねぇ。昨日は真白とお楽しみだったんだってなぁ。あんないい女がお前みたいなザコの相手をするなんてありえねェ! 何者だテメェ。正体はなんだッ――なんの妖怪だ?」
訊ねられても冬夜はその質問に対する答えを持ち合わせていない。
何故ならば冬夜は妖怪ではなく人間だから。
しかし、素直に人間と答えようものなら間違いなく殺される。
そもそも冬夜は妖怪の事をまったく知らない。
とっさに頭に浮かんだのはつい最近――昨日聞いたばかりの妖怪の名前――ヴァンパイア。
「……ヴァ、ヴァンパイア……とか?」
「ふざけんな!」
耳元で風を切る音がしたかと思うと、背後にあった壁がガラガラと音を立てて崩れた。
田臥が繰り出した拳の威力を崩れた壁が物語っている。
(これ石壁だよね? もしかして成功に作られた何か別の柔らかい素材とか?)
腰を抜かして地面にへたり込んだ翔太の手元に転がってきた破片に触ってみるとしっかりとした硬さを感じることが出来た。
石壁だったことは疑いようがない。
石壁を拳一つで容易に破壊してしまう人間などいない。
目の前にいる田臥が妖怪なのだと昨日に引き続き思い知らされる。
「ヴァンパイアは西洋の大妖怪。お前みたいな奴がそのヴァンパイアだと? ふざけるんじゃねぇ!!」
冬夜のヴァンパイア発言が相当頭に来たのか、田臥は青筋を浮かべながら続けてまくしたてる。
「最強種――神格級のヴァンパイアが、お前みたいなザコな訳ねぇんだよッ――!!」
恐怖に震えるなか、冬夜はヴァンパイアが妖怪の中でも特別な存在であることは理解できた。
最強の妖怪――ヴァンパイアであるという真白は目の前にいる田臥よりも強いというのか?
にわかには信じられない。あの可憐な少女がそんなに強大な力を持っているだなんて……
殺気を放つ田臥の腕はみるみる膨れ上がり、腕の太さは元の二倍にも三倍にもなっていた。
元々大きかった拳も肥大化し、冬夜の顔よりも大きくなっている。
手がでかくなったっ……
驚きのあまり声の出せない冬夜を睨み付け、
「殺されたくなかったら消えろ。あと、天月真白にもう二度と近づくな。アレは俺がもらう」
野次馬が集まりつつあったが、田臥が睨みを利かせたとたんに霧散していった。
野次馬を追い払うと再度冬夜を睨み付け、不敵な笑みを浮かべて去って行った。
独り残された冬夜は途方に暮れた。
…………
……
…
洒落にならない。こんなところに三年もいられるか!
冬夜は一人学校とは反対方向へと向かって歩いていた。
両手に荷物を抱えて恐怖心と戦いながら。
「あっ! 冬夜くんだー!!」
満面の笑みで真白が抱きついてくる。
「あれ? どうしたの冬夜……くん?」
真白の顔を見たら今まで張りつめていた緊張の糸がプツンと切れてしまった。
自然と涙がこぼれる。
急がないと遅刻だよ、と何も知らない真白は笑う。
「僕やっぱり帰るよ人間の世界に」
「どうしたの冬夜くん。変だよ人間の世界に帰りたいだなんて―――それじゃまるで冬夜くん、人間みたいだよ」
「……なんだ」
「え? なんて言ったの冬夜くん?」
「……人間なんだよ、僕」
「何言ってるの……そんなわけないよ……だってこの学校に――」
人間がいるわけない、そう言おうとした真白を遮って、
「僕は人間だよ! 何かの間違いでここに来ちゃっただけなんだッ!」
その悲痛な叫びに真白は言葉を失った。
「僕が人間だって分かったとたんそんな顔するんだ」
真白は自分の顔が固まっていることに今気づいた。
「そうだよ。僕はここに居ちゃいけないんだ」
冬夜は走った。
振り返ることなく走った。
後ろからかすれた声で「待って」と呼び止められたが、冬夜は頭を振って走った。
…………
……
…
バス停に着くとそこにはバスがいた。
何でバスがある。週に一本しか来ない筈のバスが何故?
「やぁ、少年。やっぱりこうなったか」
ヒヒヒと、独特な笑い声をあげて運転手が冬夜に話しかけてくる。
目深にかぶった帽子で顔はよく見えないが、運転手もただの人間ではないように思えた。
「僕にはここで生活するなんて無理です」
退学届を握りしめる。
頭の中には先程のショックを受けた顔の真白が――それだけでなく昨日出会って学校を二人で探索した一日を思い返す。
怖かったけど一緒にいる時間はとても楽しいものだった……
本当に僕はこのままでいいのか……
冬夜は考える。
「確かにこの学園は恐ろしいだろう。だからと言って君に何も与えなかった、という事はないはずだ。しかしまあ、学園に留まるのも去るのも君次第だ。思い残すことがなければ乗るといい。特別に人間界まで送っていこう」
思い残すこと。
本当にないのだろうか。
考えれば考えるほど、冬夜の頭の中には笑顔の真白の顔が浮かぶ。
「きっとそれが思い残したことなんじゃないのかな」
見透かしたように運転手が言う。
頭の中を覗かれみたいで少し恥ずかしくなった。
「僕……やっぱり戻ります」
運転手は「そうかい」とだけ返して笑った。
一礼して、いま来た道を戻った。
ヒヒヒと、運転手の独特な笑いを聴きながら冬夜は走った――。
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