第181話

 帝都の中は、どこもかしこも廃虚然としている。


 その中で一等マシな建物といえば、帝都の外れ。人気のない場所にたたずむ、教会くらいのものだ。


 ガブリエルはロイを連れて、その教会を訪れた。


 入り口からまっすぐに絨毯が伸び、その先には祭壇とステンドグラスがある。


 絨毯の左右には信者たちの座る席が列をなしている。


 しかし、教会もいくつかの傷を負っていた。


 ステンドグラスは割られ、ガラスは床に散乱している。


 天井から落ちた屋根板が、椅子を押し潰し、木片がそこかしこに散らばっている。


「これは、陛下」


 神父がガブリエルに気づき、歩み寄ってくる。


「そうかしこまらなくてもいい。それより、彼に会わせてくれ」


「ええ。では、こちらへ」


 神父はガブリエルたちを教会の奥へと案内する。


 建て付けの悪いドアを抜けて、渡り廊下を進む。


 教会の横には信者や神父たちの暮らす別棟がある。


 戸口の前には花壇があり、色とりどりの小さな花が、咲き誇っている。


 戸口をまたいで中に入る。

 廊下の突き当たりにあった部屋の前で、神父の足が止まった。


「では、私は教会の方におりますので。終わりましたら、声をかけてくださいませ」


 神父は礼をし、立ち去っていく。


 ガブリエルはエマに目配せをする。

 エマはうなずき、ドアを開いた。


 ドアの正面には、両開きの窓があった。

 窓は開け放たれ、心地のいい風がカーテンを揺らしている。


 右手には背の高いタンスがある。

 左手には暖炉と戸棚が隣り合っている。


 窓際にベッドがあり、そこに一人の男が座っていた。


 彼は窓の外を見ていた。

 アーサーたちの方へは、顔を向けていない。


「……来てくれたのか」


 男は言う。

 ゆっくりと彼はアーサーたちに顔を向けていった。

 

 溶けた顔が、そこにはあった。

 炎の中に顔を突っ込んだのか、顔中が焼きただれている。


 片目はつぶれ、残る目もほとんど視力がない。


「……アーサーも、一緒だな」


 変わり果てた男。それはロイに他ならない。


 焦点の合わない目で、ロイは虚空を見た。


「ああ。ここにいる」


「そうか。そこにいるのか」


 ロイは笑った。

 笑ったように見えた。

 顔が痙攣し、わずかに口が開いた。


「俺に、何かようがあるんだったな」


「ああ。そうだ。私は、お前にようがある」


 ロイは手探りに、ベッドの縁を掴むと、おもむろに立ち上がろうとした。


 だが、足元が持ちれ、床に腹を打ち付ける。


 エマはすぐに介助の手を差し伸べようとしたが、それをガブリエルが制した。


「私たちは、外で待っておるぞ」


「……ありがとうございます」


 ガブリエルはエマを連れて部屋を出た。

 ドアが閉まる音。それと当時に、ロイの手がアーサーの服の裾を掴んだ。


「私を、殺してくれ。今すぐ、ここで」


 ロイは、アーサーを見上げた。

 白く濁った小さな瞳が、ロイを見つめる。


「……ダメだ。アンタは、自分の寿命で死ななくちゃならない」


「それは、ダメだ。ダメだダメだダメだダメだ!」


 服をつたって這い上がり、アーサーの胸ぐらを掴む。


「私は死ななくてはならなかったんだ。一年前のあの日に、お前に殺されなくてはならなかったんだ! それなのに、お前は暖炉で私の顔を焼き、ここに監禁した!」


「ああ。それこそが、お前にふさわしい罰だと思ったんだ」


「いいや、いいや違うぞアーサー。私の罰は死によって完結するのだ。私が生きながらえたとて、誰のためにもならん! それならば、こんなところに閉じ込めず、市民たちの前に連れ出してくれ! 私に石を投げるように、殴殺するように仕向けるのだ!」


「……ダメだ。俺が許さねぇ」


「なぜだ。なぜ私を生かそうとする。まさか、兄弟だからなどという、下らん情で生かそうとしているのではないだろうな?」


「いいや、そんなチャチなもんじゃねぇよ」


「では、なんだというのだ! 私は、なぜ生かされているんだ!」


 胸ぐらを強くゆする。

 ロイの目には涙がたまり、一筋の水滴が彼の目から垂れた。


「お願いだ……アーサー……私を、殺してくれ……」


「それは、できない。お前は生きなくちゃならない。生きて、最後の時を迎えるまで、苦しみ続けるんだ。それが、お前の罰であり、俺の罰でもあるんだ」


「頼む……殺してくれ……頼むから……」


「お前が大嫌いな平和が、お前を苦しめるんだ。誰もお前を責めない。誰もお前を憎まない。誰もお前を、気にしない。お前は生きているようで、死んでいる。無関心の中で、苦しみ続けろ」


 アーサーはロイの手を引き剥がす。

 ロイは前に倒れ、顔を床にぶつけた。


「殺せ……殺せ……」


 握り拳を叩きつけて、ロイは何度も繰り返した。


「……ロイ・コンラッドはドミティウスの凶刃に倒れ命を落とした。最後まで、帝国のために働いていた。そう言うことにしておく。アンタは、もう兄貴ロイ・コンラッドじゃない」


 それが、ロイとの決別だった。

 アーサーは部屋を出た。

 ガブリエルの方を向くこともなく、教会を出た。


 もう来ることもあるまい。

 もう見えることもあるまい。


 さらばだ。ロイ。


 アーサーの心で呟いた言葉。

 それがロイに伝わることは、もはやなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る