十五章
第170話
ジャックが死の縁を彷徨っている中。アーサーはロイに追随して、城を後にしていた。
彼らが進んでいるのは、ロイのプレートで開かれた通路だ。
通路の突き当たりに行くと、正面と左右にドアがある。
ロイは正面のドアを開いた
そこから見えたのは、左右を横断するおおきな川だった。
木漏れ日が地面を照らし、心地の良い川のせせらぎと小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。
人気のない森の中。
土と水と木々の香りが、アーサーの体をすぅっと通り抜けていく。
「こっちだ」
ロイは言う。
振り向くと、そこには水車小屋がポツンと建っていた。
黒くなった木板の外壁。
落ち葉の積もった屋根。
軒先にはロッキングチェアが置かれている。
赤茶色の玄関ドア。
ドアを挟むように、両開きの窓があった。
水の流れに合わせながら、水車がカラカラと回っていた。
玄関の先には通路が伸びている。
ロイがドアを閉めて再び開くと、ドアの先には板間が見えた。
「中に入れ」
ロイが言う。
古屋の中には、水瓶と食器棚。
板間の中央には二つの椅子と長机が一つ置かれている。
「座っていてくれ。今水を用意しよう」
ロイは食器棚からコップを二つ取り出す。
水瓶の水で軽く中を濯ぐと、コップに水を入れ、テーブルに並べた。
「ここは……?」
「私の隠れ家のようなものだ。以前は老人が一人ここに住んでいたんだが、病に倒れなくなった。空き家になったここを私が買い取って、今に到る」
水を一口含み、ロイは喉を潤す。
「ここならば、帝国兵であろうとエルフであろうと、誰も来はしない。安心して休むことができる」
「それが本当なら、大した隠れ家だ」
ロイを真似て、アーサーもまた水を口に含んだ。
数日ぶりの水は、アーサーの体に染み渡っていく。
「……もう一杯、いいか?」
あっという間に空にしたコップを、ロイに掲げて見せる。
「ああ、好きなだけ飲め」
一杯、二杯……。
アーサーはこれまでの渇きを癒すように、ひたすら水を飲み続けた。
喉の渇きが癒えて、一心地つく。
そして、アーサーは口を開いた。
「お前の計画についてだが、正直言って俺は乗り気じゃねぇ」
「ああ。そうだろうと思っていた」
ロイは肩を竦める。
「兄弟を殺すってのも気が重いが、なんたって、アンタの手のひらの上でこれまで踊っていたかと思うと、むかっ腹が立って仕方がねぇんだ」
「ああ、綺麗に踊ってくれたよ」
「その態度が気にくわねぇって言ってんだ」
眉間にシワを寄せて、アーサーがロイを睨む。
「だいたい、お前の計画には、確実性が一つとしてないじゃねぇか」
「そうか?」
「そうだろうが。お前が命を賭してやりたいことに、百歩譲って納得したとしよう。だが、ドミティウスをどうにかしないことには、何も始まらんだろう?」
「ドミティウスが、そんなに気がかりか?」
「気掛かりも何も、それこそ計画の根幹だろうが。いくらお前を殺したところで、ドミティウスがいなくならない限り、帝国が復興に向かうことはない。奴によって、退廃した国家が作られるだけだ」
「確かに、そうかもしれない。だから、すでに手は打ってある」
「何か方策があるのか?」
「ああ。お前も見たことがあるだろう? ミノスに仕込まれた、人形爆弾の元を。あれを仕込んだ屍兵を城に侵入させ、起爆する」
「……何だと?」
「お前に言えばきっと止められると思ったから、ここまで言わないでおいた。城は間も無く、ドミティウスの墓標になる」
「城の中には、まだ兵士や使用人たちがいたはずだ。奴らも巻き添えにすると言うのか?」
「彼らのは申し訳ないことをしたと思っている。だが、これも仕方のない犠牲だ。無論私は責任を取って死のうとは思っているさ。私の考えうる、最大限の償いでな」
「……お前は、どれだけ帝国を苦しめれば気が済むんだ」
「病を癒すには、時として苦しみを乗り越える必要がある。人体と一緒だ。荒療治ではあるが、これできっと帝国は新たな一歩を踏み出せるだろう」
ロイは立ち上がって、玄関のドアへと向かう。
金獅子にプレートを飲み込ませ、通路を開く。
「これから、起爆の用意をしてくる。お前はここで大人しくしていてくれ」
「ふざけるなよ。そんなことを聞いて行かせられるわけ……」
アーサーの視界がぐらりと揺らいだ。
立ち上がりかけた足から力が消え、前のめりに倒れていく。
「悪いな。薬を守らせてもらった。一、二時間は眠ったままになるだろう」
「テ、テメェ……」
「命に悪い影響はない。安心して眠っていてくれ。すぐに戻るから、心配はいらん」
ロイはアーサーに背中を向けて、通路を進んでいく。
アーサーは彼の背中に手を伸ばした。
だが、ロイにアーサーの手が届くことはなかった。
薄らぐ視界の中で、ドアの閉まる音が鼓膜に響いた。
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