第169話

 ドミティウスは剣の腹にジャックのアゴを乗せる。

 ゆっくりと持ち上げさせる。


「もはや病的だな。貴様のこの娘に対する、執着心というものは」


 皮肉げに頬を歪める。

 しかし、その微笑みとは裏腹に、彼の視線は冷徹そのものだった。


「貴様が腑抜けであるから、このエルフの娘一人守ることが出来んのだ。貴様が情などを持ち合わせるから、この娘もエルフたちも守れんのだ」


 ジャックの腕をドミティウスの剣が貫く。

 肉をえぐり、血管を切り、傷口を広げていく。

 ジャックは歯を強く食いしばり、眼光鋭くドミティウスを睨みつける。


「あそこにいるエルフたちを、お前の前で殺してやる。お前が仲睦まじくしているあの女を、魔物共の餌にしてやる。慰み者になり、生きたまま食わ背てやる」


 ドミティウスはジャックの髪を掴み、顔を寄せる。


「貴様はそれを見ていうるだけで、何もできはしない。それも全て貴様がいたからこそ招かれたことだ。貴様が人間なぞに成り下がったせいで、まねいたことだ。全ては、お前の甘さが原因だ」


 その言葉が、ジャックの理性の鎖を、プツリと断ち切った。


「……ならば、一時だけその甘さを捨てるとしよう」


 ジャックは突き刺された腕を押し上げ、ドミティウスの剣を彼の手ごと握りしめる。


 ドミティウスの目が驚愕に見開かれた。

 

 もう一方の手を義手で掴む。

 ジャックに放たれようとした魔法は、床を砕いた。

 

 ジャックはドミティウスを引き倒す。

 そして再び馬乗りになり、彼の首に手を当て、締め上げる。


 苦しげなうめき声がドミティウスの口から漏れ聞こえる。


 純粋なる殺意。

 この瞬間、2365番が蘇った。


 もはや敵と言う以外、ジャックの脳裏にはない。

 ドミティウスがエリスの体に入っていることも、エリスが未だドミティウスに囚われていることも。


 この一瞬だけは忘れて、ただ目の前の敵を殺すことだけを考えることが出来た。


「……ジャック、さん?」


 その声を聞かなければ、おそら殺すことが出来た。

 その声はエリスのものだった。

 ドミティウスの声ではなく、エリスがジャックに呼びかける声だった

 

 その声を聞いてから、もはやダメだ。

 2365番は記憶の彼方に消え去り、ジャックの手から力が消えた。


「……阿呆が」


 再び現れたドミティウスは、落ちたジャックの剣を拾い魔力を込める。


 青白く光る剣が、ジャックの鎧を貫いた。


 血が、剣を伝って滴り落ちる。

 ジャックの口からは血が溢れた。


「また、殺し損ねたな」


 ドミティウスの声が聞こえる。

 近くにいるはずなのに、それは遠くから響いているようだった。


 ドミティウスはジャックの体を蹴った。

 仰向けに倒れていく。

 目に映る光景は、ひどく緩慢だった。

 床に倒れる衝撃。

 それは、鈍い感触だった。


 寒い……寒い……寒い……。

 

 ひどく、体が冷える。


 遠くから、自分を呼ぶ声が聞こえた気がする。

 それが誰の声なのか、ジャックにはとうとうわからなかった。

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