第136話

 帝国軍から襲撃を受けてから、三日後のこと。

 まだ日も明けきらない早朝。ジャックは目を覚ました。

 

 体を起こそうと、上半身に力を入れる。

 あばらや肩の節々がきりきりと痛むが、悶絶するほど痛みではなかった。 


 部屋の中には暖炉。薬草とニンニクが天井からぶら下がっている。

 机と二脚の丸椅子が机を挟むようにおいてある。

 どうやら、そこは何者かの家のようだった。


 ふと自分のふくらはぎのあたりに重みを感じた。

 そこに視線を向けると、ユミルが腕を枕にして眠っていた。


 彼女の足元には、水のたまった桶と布がある。

 看病をしてくれていたのだろか。

 眉根をひそめながら、ユミルの顔を見つめる。

 

 その時だ。

 うっとうめき声をあげながら、ユミルの瞼がゆっくりと開かれていく。

 ぼんやりとする視界が焦点を合わせ、ジャックの顔を捉えるまで4秒ほど。


 ユミルの瞳に浮かんだものは、喜びと、それに相反する怒りだった。

 一瞬瞳が潤んだかに見えたユミルだが、さっと視線を鋭くしてジャックを睨みつける。


「……先ほど、目が覚めた」


 ジャックがその言葉を言い終わるや否や、ユミルはジャックの顔を殴りつける。

 平手ではなく、拳で。


 正面を向いていたジャックの顔は、ユミルの拳によって真横に向けられる。

 衝撃の後に来る痛みが、頬を伝って涙腺を刺激して来る。


「無茶ばっかりしないでよ、このバカ……!」


 ユミルは顔をうつむかせ、ジャックの視線から目をそらす。

 耳をすますと、鼻をすする音が聞こえてきた。


「泣いて、いるのか」


 ユミルを気遣うように、ジャックが言葉をかける。

 彼女からの返答はない。

 ユミルはジャックの肩から首に手を回し、体を寄せる。

 そして、ジャックの胸に額を当てる。


「……あまり、心配をさせないでよ」


 喉を震わせながら、ユミルは呟く。

 ジャックは、ユミルの後頭部に回し、エリスにするように、優しくユミルの髪を撫でる。


「……すまん」


 ジャックは呟く。

 彼らしくもない、とても優しい声色だった。

 ユミルの感情の高ぶりが、ようやく落ちついたころ。

 扉をノックする音が、部屋の中に響いた。


「邪魔するようで悪いが、話がある」


 家の入り口から、村長が顔を出した。

 ユミルは目に溜まった涙を手でぬぐい、ジャックの胸から離れる。


「また、後でね」


 ジャックにそう伝えると、ユミルはその場から立ち上がり、村長の脇を抜けて外へと出て行った。


 彼女とすれ違いに、村長が歩み寄って来る。

 おもむろにテーブルのそばに置いてある丸椅子を持ち、ジャックのいるベッドの横に置いて、座る。


「怪我の具合はどうだ」


「見ての通りだ」


 ジャックの全身を包帯が覆い、傷という傷には塗り薬がべったりと塗られている。

 ツンと薬草の香りがジャックの鼻を刺激する。


「命が助かっただけありがたいと思え。お前を殺す機会は、いくらでもあった」


「今は殺さんのか? 絶好の機会だぞ」


「なんだ、殺して欲しいのか」


 そう言いながら、片手に携えた杖を握り、親指で杖の持ち手をくいと押し上げる。


「……冗談だ。お前には一つ借りがある。それに免じて、今は殺さないでやる」


「借り?」


「なんの気まぐれは知らねえが、お前が俺を引き倒してくれたおかげで、俺は無傷でいられている。認めたくはねえが、俺はお前に救われたんだ」


 村長は笑みを浮かべる。

 犬歯が緩んだ口元からのぞいている。


「借りを作って、そのまま踏み倒するのも俺の性分じゃねぇ。借りはきっちり返してこそ、すっきりするってもんだ。そうだろ」 


「お前の性分など、知ったことではない」


「それもそうだろうよ。お前は俺ではねぇし、俺もお前じゃねえんだから」


 肩をすくめ、村長はおもむろに立ち上がる。

 彼の足が向かったのは、机の向こう側にある戸棚。

 その上から拾い上げたのは、一本のパイプ。

 最初に村長に会った時に吸っていたものだ。


 慣れた手つきで刻んだタバコの葉をパイプの先に詰め、マッチをする。

 二、三回。パイプの吸い口をから短く息を吸い込む。

 充分に熱を通し、そして、ゆっくりと煙を体内へと取り込んでいく。


 一旦口元からパイプをはなすと、顎を上向け、口から紫煙を天井めがけて吹き出す。


「……少し、昔話をしようじゃないか」


「昔話?」


「ああ。俺とお前がよく知る。大戦の時の話さ」


 おもむろに村長が口にしたのは、過去の記憶。

 煙とともに部屋の中に広がっていく村長の声は、一抹の寂しさを含んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る