第135話

 ドボンと落ちた腹の中。

 舌にも増してそこはさらにひどい臭いだった。

 まるで、吐瀉物の中にでも浸されたようだ。


 これまでタイタンが飲み込んできた物が揺蕩っている。

 胃液の中から顔を上げ、空気を吸い込む。

 するとたちまち嗚咽と共に嘔吐感がせり上がってくる。


 膝をつき、けたたましい音と共に胃液に吐き出す。

 

 剣をしっかりと掴みながら、ジャックは立ち上がり、辺りを見渡す。

 

 水面には何かの肉片がプカプカと浮いている。

 ゴブリンか何かだったのだろうか。小さな角が肉片についている。


 あまり長い時間ここにいれば、いずれ自分もああなる。

 ジャックは体を引きずりながら、胃液の中を進んでいく。


 胃袋の壁面。その前にジャックは立った。

 腰のポーチから新たに魔石を取り出し、ブレスレットに嵌め込む。

 

 肉壁に突き刺した剣を握り、魔力を流し込む。

 淡い藍色の光が剣に宿る。

 胃袋の壁に剣を突き刺し、横に引き裂く。


 切り口からは、あふれんばかりの血液が噴き出してくる。

 その勢いは、ジャックの体を用意に押し流してしまう。


 胃の中で尻餅をつくが、すぐに手をついて起き上がり、穴をさらに広げる。


 剣で傷口を広げるたびに、胃の中が激しく揺れ動く。

 胃の外から入ってくる血液は決壊した川のように、とめどなく流れてくる。


 ようやく通そうな幅になると、傷口に肩を入れ這いずるようにして胃の外に顔を出す。


 下を見ると、黒い闇が口を開けている。

 落ちれば無事では済まないことは明白だ。

 前を見れば、巨大な肉壁がそびえている。

 あれを破ってしまえば、外へと出られそうだ。


 その時、一際大きな揺れがジャックを襲った。

 足場が、横に倒れていく。

 ジャックは重力に従って、肉壁へと落ちて行った。


 空中で壁に背を向けて顎を胸につけて受け身の態勢をとる。

 強かな衝撃。

 苦しげな声を漏らして、ジャックは苦悶に顔をしかめる。

 激痛が体にまとわりつき、執拗にジャックを痛めつける。


 しばらくの間動けないでいたジャックだが、やっとの思いで手をついて立ち上がる。


 そして足元の肉壁に向けて、剣に魔力をまとわせ突き立てる。

 肉に突き立った剣を無理矢理力で押し込み、切り裂いた。

 

 鎧が溶け、体の至る所に火傷を負っている。

 痛みのせいで、うまく力が入らなくなってきた。


 ひどい臭気に二度目の嘔吐をする。

 虚脱感が重くのしかかる。

 

 肉に埋もれた剣をさらに足でふみつけて肉に押し込む。

 なんども何度も踏みつけているうちに、とうとう剣の柄まで肉の中に埋まった。


 肉の間からちょこんと飛び出ている剣の柄を掴み、切り裂いていく

 しかし、割れ目から外の光がさすことはなく、どす黒い肉の壁が続いているだけだった。


 さらに深く、さらに広くえぐる必要がある。

 肉を切れば切れるほど、タイタンの体が揺れ動く。

 うめき声と叫びが、腹の中で響音している。


 肉を切る力は衰え、立っていることもままならなくなる。

 だが、行動を止める気はなかった。

 ジャックを突き動かしたのは、ただ死にたくないという、純粋な生への渇望だけである。


 こんな所では死ねない。

 死んでなるものか。

 自分の死に場所は、こんな化物の胃の中などではないのだ。

 

 だが、彼の気持ちとは裏腹に、ジャックの体から力が抜けていく。

 剣を握ることもままならず、ジャックはその場で膝を落とした。


 まだだ。まだだ。まだだ……。

 薄れる意識を、言葉で繋ぎ止める。


 その時、肉の割れ目から光が出ていることに気づいた。

 光はやがて巨大になり、そこから幾人の影が顔を出す。

 

 天から舞い降りた死神達。

 ジャックの目の前に現れた影法師達を見て、皮肉に頬を歪める。


 影はジャックに手を伸ばす。

 ジャックを死のそこから連れ出すために。ジャックの魂を連れていくために。


 まだ貴様らの世話になるわけにはいかない。

 ジャックは影達を睨みつける。

 けれど、濁った瞳では十分に意思を伝えることはできず、また恐ろしさも感じない。


 影達はジャックに手を伸ばし、彼の体を掴む。

 抵抗する余力は残っていない。

 最後の意識に感じたのは、腕達にひきづり出される感覚だった。

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