第134話

 生暖かい。ひどい匂いだ。

 そこがタイタンの口の中であることは、ジャックにもわかっていた。


 ぬらぬらとした気持ちの悪い感触。

 見上げると、鋭い牙と上顎の肉が見える。

 

 腹這いになって柔らかい舌の突起に捕まる。

 が、重力と何らかの筋肉の動きによって、ジャックの体は暗闇のさらに奥へと連れ込まれて行った。 





 村長はしばしの間その場にへたり込んでいた。

 だが、すぐに気を取り直し、


「急いで押さえつけろ!」

 

 そう叫んだ。

 エルフ達の動きは迅速だった。

 魔力の管をタイタンの体に張り巡らせる。

 

 幸い顔を動かしただけで、タイタンは立ち上がってはいない。

 体をよじり、タイタンは必死で抵抗を試みる。

 エルフ達はそれでもどうにか動きを抑え続ける。


 その間に村長は立ちあがり、後方に退く。


「ジャック……!」


 ユミルが叫ぶ。

 焦燥と不安が一挙に押し寄せ、青白くなった顔と動揺に揺れる瞳が、タイタンを見つめている。


 カーリアは苦々しい表情のまま、タイタンを睨みつけている。

 己の不注意。体が動かなかったことへの悔恨が、彼女の顔から滲み出ていた。


 村長は二人の間を通り抜け、魔術師の元へと向かった。

 血塗れになった男。

 切断され、魔法によって散々傷つけられた太腿から、大量の血が流れ出ている。

 身体中、顔中にはいくつもの傷がつけられて、ローブも肌も真っ赤に染まっていた。


 村長が下した止めの一撃。

 魔術師の胸をうがち、大きな風穴が開けられている。

 殺したはずだった。だが、どうやら男は生きていたらしい。


 嘲笑うかのように、頬を吊り上げている。

 その手にはしっかりと杖を握り、タイタンに向けられている。

 光を失いつつある両目。

 ぜいぜいと、今にも止まりそうに苦しげに呼吸をしている。


「しっかりと、殺しておくべきだった」


 村長が言う。

 魔術師にはきっと聞こえまい。

 濁りきった目は、タイタンを見ているようで、どこも捉えていない。

 だが、体に染み込んだ防衛本能が、杖を村長に向ける。


 村長は杖を構え、魔術師の腕を削ぎ落とした。

 悲鳴はなかった。

 ただ腕が地面に落ち、断面から血液が流れ出るだけだった。


 魔術師の顔が、笑みを浮かべたまま傾く。

 どうやら今度こそ、事切れたようだ。

 村長は杖を下ろさない。

 杖を魔術師の首に向け、風の刃を放つ。


 血飛沫は、少なかった。

 ごとりと落ちる首が、村長を見上げる。

 不快な笑みと、濁りきった目が村長を見る。


「……くそったれ」


 動かなくなった体と首。

 その双方に憎しみの目を、村長は向ける。

 八つ当たりにも等しい行い。

 自分の慢心と侮りが生んだ悲劇が、彼を心底苛立たせた。


「今すぐ奴の腹を引き裂け! あの男を救い出してやらねばならん!」


 村長は叫んだ。

 初めて、人間を救うということを考えた。

 それはエルフだけでなく、村長自身も驚くべき変化であった。

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