第101話
「馬鹿な! そんなことがあるはずがない」
ジャックが声を荒げる。
「信じられんのも無理はあるまい。だが、お前の目の前にいるのは確かに私だ。どれだけお前が否定をしようと、私が私であることには変わりはない」
ドミティウスは自分の胸に手を当てる。
「知らんとは思うが、貴様は私の駒の中でもお気に入りの一つだったのだぞ。あらゆる戦場に送り込んでも、見事、私の期待に答えてくれるのだからな」
背もたれに体を預けて、ドミティウスはなおも口を動かす。
「孤児院出の兵士の中でも、お前は抜きん出る素質を持っていた。それは私を含め、将軍の中でも話題になる程だ。なかにはお前に嫉妬心を持つものもいたぐらいだ。まあ、その阿呆のことは置いておこう。それよりも……」
肘掛に肘を置き、顎を乗せる。ドミティウスは呆れ混じりのため息を漏らす。
「そのお前が、なぜ私に剣を向ける。これは、私を皇帝と知っての無礼か?」
「お前は皇帝などではない。ただの化け物だ」
「なるほど。確かに私は化け物だ。そして、お前の言うように、私は皇帝ではない。その座には今、私を追放せしめた後の、わが子孫が座っている。皇帝を追われた私は貴様の敵であるというのも、至極通りだ」
ドミティウスは顎を手でさすり、納得のいった様子を見せる。
嫌な汗がジャックの背中を流れていく。
恐怖。久しく感じてこなかった純粋な恐怖が、ジャックに押し寄せる。
コンコンと湧き出る泉のように、彼の脳から体へと、恐怖が這いずり、寒気とともに彼を震えさせた。
「それはそうとしてだ。なぜお前はそんなに若々しいままなのだ」
「そんなことはどうでもいい」
「いいや。それを抜きにしては前には進めぬ。私ばかりが話すのでは面白くないではないか」
「貴様と話をしにここへきたのではない」
「ならばなぜ。どうしてここにきた。……そういえば、お前は子を取り返しにきたような口を叩いたな。残念だがここに人の子はおらぬ」
「人間ではない」
「ならば何だ」
その時になってようやくドミティウスの目が、彼の背後にいるユミルを捉えた。
「……これは、これは。エルフの民が何ようかな? わざわざその首を私に献上しにでもきたか」
ドミティウス頬を歪ませて嘲笑い、そしてジャックを見る。
「もしや、あのエルフの娘子は、お前とそのエルフの子か」
「違う」
「ならばなぜ。あの娘子に固執する。まさか、情が移ったなどと言うわけではあるまい」
ドミティウスは問いかける。
それに対して、ジャックは無言を貫いた。言葉一つ返すことなく、きっとドミティウスを睨みつける。
「そうなのか?」
ドミティウスは尋ねながらジャックの瞳を覗き込む。
「……はは、はっはっはっ!」
薄い笑みを浮かべたかと思うと、人型の口から次第に声が漏れ、ついには頭上を仰ぎ高らかな笑い声をあげた。
「これは面白い。数多のエルフを殺してきたお前が、エルフの娘子に情をかけるとは。長く生きて見るものだ。かように面白い見世物に出会うとは」
肘掛を叩き、地面を踏み鳴らし、ドミティウスは笑う。
「どうりで木偶が人間らしく振舞うものだ。どうりで私の思うように動かぬものだ。貴様はもはや私の育てた兵ではなくなり、ただの凡人に成り下がったわけか。これは、これは面白い。数百年生きてきた中で一番の余興だ」
笑い、言葉を紡ぎ、再び笑う。
嘲笑ではない。ただ単に愉快で、愉快でたまらなくて。笑っているのだ。
「しかし、それはあまりにも、くだらないではないか」
ドミティウスは笑みを浮かべながら、その声色に呆れを含ませて言葉を放つ。
「お前は私の敵を殺すために生まれた、いわば生物兵器だ。私の意のままに動き、私の敵を殺すために存在する、私の道具だ。お前だけではない、孤児という孤児皆がそうだった」
言葉を重ねるうちにその顔に浮かべていた笑みが消える。
そして、嫌悪感と怒りを混ぜた苦々しい表情へと変わる。
「だが、なんだその腑抜けぶりは。ふざけるなよ。貴様のような役立たずの道具を作るために、大金をはたいてきたわけではないぞ。のこのこと生き延びおって。貴様のような者は、あの荒野の中でさまよい死ねばよかったものを」
「ふざけないで、ジャックはアンタのオモチャなんかじゃ……」
「貴様に発言を許した覚えはない」
ドミティウスは手のひらをユミルへと向ける。
その手が淡く光りだしたと思えば、そこから光弾が飛び、ユミルの体が弾き鳥羽刺された。
くぐもったユミルの声が、激突音にかき消される。
ジャックが振り向くと、土埃の中にユミルが倒れていた。
「長命だけが取り柄の下等種族が。気安く私の前で言葉を放つな」
ドミティウスは唾を吐き捨てると、ジャックに視線を戻す。
「この体は家臣たちの肉と皮によって作られている。皆閣下の為ならばと、喜んでその身を捧げてくれた」
肘掛に置いた腕を支えに、ドミティウスはゆっくりと玉座から腰をあげる。
「だが、この体ももはや限界だ。いたるところ腐食が進みウジが湧き出している」
ドミティウスは首を右に左に傾ける。
すると、縫い目から白いウジが顔を出した。
ドミティウスが手で掻きむしるると、垢のようにボロボロとこぼれ落ちる。
「これからのことを考えれば、新たな体が必要となる。その目処がつい最近たったのだ」
ドミティウスは片腕を横に伸ばし、虚空を指差す。
何もない空間を指でなぞっていくと、指の後に沿って空中に紫色の線が浮かび上がった。
ドミティウスは紫色の線の中に手を差し込む。
不可思議な穴からドミティウスが手を引き抜く。
彼の手には、何かが握られていた。
金色の髪が見える。その後に小さな顔と、長い耳が見えた。
顔を下に向けた状態で、ぐったりと体から力の抜けているそれを、ジャックはよく知っている。
「エリス……!」
ジャックは呟いた。
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