第98話

 夜が明け、太陽が昇り、また夜がおとずれる。

 四、五日をようして辿り着いたのは、大地を一直線に横切る深い谷だ。

 谷底を覗きみれば、そこにあるのは深い闇。深淵が口を開いて、先遣隊を覗いている。


 タルヴァザ。地元民の言葉で悪魔の釜。

 底の見えぬ谷の底には瘴気が渦巻き、生者が近くことを阻んでいる。


 入ったものは二度と這い上がっては来られない。その言い伝えは人々の間でまことしやかにささやかれ、帝都の民はもちろん、地元の人間ですら近寄りたがらない場所だ。


 馬車から次々に冒険者や狩人たちが降りてくる。ジャックとユミルもまたダルヴァザの土を踏んだ。


 断崖に整備された細い道。

 手すりもなく、道幅も狭い。隊は一列になってそこを進んでいった。

 

「また一緒に行動できて光栄です」


 コビンが言う。

 ジャックたちの後に続いて、兵士たちが歩いてくる。その中に、コビンとカーリアの姿があった。カーリアはコビンの後ろで二人に向かって会釈をした。


 魔法防壁を用意しろ。先頭の方からその言葉が言伝に聞こえてくる。

 魔法に心得のある連中は、杖を出して風の防壁を纏っていく。以前にコビンにかけられたものと同じだ。そしてこの日も、コビンによって防壁をかけられる。


 魔法による攻撃を予期したのか。ジャックは思ったが、そうではなかった。

 谷の底に進むにつれて、毒を含んだ瘴気が充満していたのだ。


 地面や壁面の割れ目から、勢いよく瘴気が噴射しているのが見て取れる。それはおそらく吸い込めば、死に至る類のものなのだろう。

 

 防壁を張ったものから順に、瘴気の中へと下りて行く。

 障害はあるが、それでも進めないことはない。


 ちょうど谷の中ほどまできた。

 あたりは瘴気で視界が効かず、魔法を使える人間が魔力光を作り、あたりを照らしている。


 順調に見える行軍だったが、谷底から聞こえる何かの声に皆の足が止まった。


 それは獣の鳴き声に聞こえた。

 だが、聴き慣れない声だった。


 ここは人を寄せ付けぬ地。何がいても不思議ではないが、声の主が彼らに危害を与えるものでないことを祈るしかない。


 暗い谷の底。一人の兵士がその声につられて底を覗き見る。

 その一瞬、何かが谷底から飛び上がった。一瞬のことでその正体はわからない。

 ただ、兵士の首がずるりと落ちたのだけは、目に入った。


 体を残し、首が闇の中に吸い込まれていく。何が起こったか。それを瞬時に判断できるものはいなかった。


 ただ、戦力が一人減ったと言う事実だけがその場に残された。


 叫ぶものはいない。

 驚きは彼らの警戒心を煽り、それぞれの獲物に手を伸ばさせる。


 首のなくなった胴体は、己の首を追いかけるようにぐらりと傾き、底へと落ちて行く。


 死体と入れ替わるように、黒いぼろをまとった化け物が現れた。


「レイス……!?」


 誰かがそう叫んだ。

 ぼろの下には、目を塞がれた奇妙な顔がのぞいている。

 口は皮によって塞がれていおり、叫ぶたびに皮が震え、上下に伸縮する。


 両腕は鋭い両刃の剣。足はなく、切り刻まれた裾が風に吹かれてゆらゆらと揺れている。


 彼らは敵であるか、否か。その答えは至極簡単だった。

 何せ、レイスは両手を振り上げ、勢いよく先遣隊に襲いかかってきたのだから。

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