第73話
予定よりも十五分ほど遅れた、午後三時十五分。ミノスの裁判が開かれた。
傍聴席には観覧者が詰めかけ、ミノスの登場を今か今かと待ちわびている。
ガブリエル、アーサー、そしてエドワードは法廷内に用意された席に腰を下ろし、観覧者と同様にミノスを待っていた。
ドアの開閉音。議場にいる面々の視線が一点に集まる。
二人の衛兵に連れられて、ミノスが議場に現れた。顔には痛々しい傷があり、手当てされているが今もそこから血が流れている。
衛兵は傍聴席と法廷とを隔てる柵を開けて、ミノスを壇上へ立たせた。
「これより裁判を執り行う」
裁判長の声が議場に響いた。
「ミノス神父。我らが皇帝陛下ラファエル・ノースの名において、真実を語ることを誓うか」
「ええ。誓います」
ミノスが微笑んだ。潰れた鼻、腫れ上がったまぶた。痛々しい顔に浮かんだ笑みは、ひどく不恰好だった。
「ですが、その前に一つ進言させていただいてもよろしいでしょうか」
「……いいだろう。発言を許可しよう」
他の審議官の顔を伺い、議長は返答をする。
「では、失礼して。まず、私などの為にこの場にお集まりいただいた皆々様に、心から御礼を申し上げます」
ミノスは振り向くと、傍聴席に向けて恭しく頭をさげる。途端に聞こえてきたのは、観衆からの罵詈雑言。まるでハナからミノスが有罪であるかのように、口汚く彼を罵った。
だが、ミノスはさして気にした様子はない。笑みをたたえたまま、議場にいる面々の顔をぐるりと見回してから、再び口を動かした。
「さて、私からの進言というのは、帝都民の誘拐に関することでございます。正直に申しあげますと、私がその主犯格であります」
その言葉は誰しもが待ちわびた言葉であったが、喧しい観衆を黙らせるのには充分な効果を発揮した。
「それは真か」
「皇帝陛下に誓いましょう」
胸に手を当てて、ミノスは軽く頭を下げる。
「私が配下の者に命じ、帝都から女達をさらいました。私たちがいかような手順でどのような経路を使ったのか。その点は、そちらの帝国軍の方々にお尋ねすれば、よろしいかと思います。私どもの活動をいち早く阻害したのは、彼らの派遣した兵士たちと聞き及んでおりますから」
ミノスの手が席に座しているアーサー。エドワード両名を指し示す。
一瞬、アーサーの目が鋭くなるが、口を閉ざし黙したまま彼の言葉を待つ。
「私達はさる目的のために、人さらいをやっておりました。目的を悟られないように、そして人々にこの誘拐のことを忘れられないように、少しの痕跡を残しながら活動を続けておりました。中々難しい仕事ではありましたが、案外楽しかったですよ」
「その目的とは、なんだ」
「それを教えてしまっては面白くないじゃありませんか」
議長の問いをミノスは鼻で笑い、嘲笑とともに突っぱねる。
「完遂していない計画を、おいそれと衆目に晒すなど愚の骨頂でありましょう。それはつまり、積み重ねてきた全てを水泡に帰すことになってしまいます。それだけは、それだけは絶対に認められません。私も、あの方もね」
「あの方?」
「私の上司ですよ。もっとも、もうすぐただの他人になってしまうんですがね」
ミノスは言う。そして首を振りながら、肩をすくめた。
「私がここに馳せ参じたのは、その方を皆様にご紹介したく思いましてね。上司は皆さんに一度、合間見えたいと申しておりまして。その機会を私めがお作りいたした次第でございます」
ミノスは両手を大げさに広げ、笑みを浮かべるその顔は、いつしか恍惚に浸る狂人のそれに変わっていく。
辺りを見回すように彼は体をくるりとひねる。くるくると世界が周り、人の顔が流れている。
狂人、気狂い、イカれ。
様々な感情と思考が束となってミノスへと注がれる。
だが、それらは奇怪という言葉に置き換えられている。
観衆、軍人、さらには裁判官まで。彼の一挙手一投足から目を離せない。
興奮から出た汗を拭い、ミノスは深く息をつく。
「ここにいる皆様はなんと幸運なことでしょうか。私の上司は私の神。その神のお声を貴方がたは聞くことができるのですから」
ミノスは片方の手を掲げると、それを自分の首元に当てる。
「では、私はこれで失礼します。私が言うのもなんですが、皆様のご多幸をお祈りしております」
「……そいつを止めろ!」
アーサーの怒号が議場に響き渡る。ミノスの背後に控えていた兵士はすぐに動き出すが、一歩遅かった。
何かが突出する音。くぐもったその音はミノスの体から聞こえてくる。
彼が手を当てている方とは反対側の首から、赤い何かが飛び出していた。
ナイフの刃だ。
袖口から突き出されたナイフが、ミノスの首を貫き、彼の肩濡らしていく。
黒の服に滲んでいく液体はやがて大きなシミとなって肩口を侵食していった。
ミノスの顔には笑顔が浮かんでいる。
そして、口元から一筋の赤がツゥっ彼の顎を伝って下へと落ちていく。
瞬間、議場に数多の悲鳴が響きわたった。
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