第74話
司法を司る議場が、一瞬にして混乱と悲鳴に包まれた。
エドワードやアーサーも初めは狼狽もしたが、そこは軍人というもの。すぐに気をとりなおし、すぐさま事態の収拾に乗り出そうと立ち上がり観衆の方へかける。
その矢先。混乱がひしめいていた議場が、突然静けさに包まれる。
証言台に崩れ落ちていたミノスが、立っていた。
今も止めどなく流れている血など気にもせずに、まるで人ごとのように、体を動かした。
「……久しいな。この場所も」
ミノスの口が動く。しかし、それはミノスの声ではなかった。
低く、ざらついた声色。地の底から響いてくるような、おどろおどろしい声だった。
ミノスはゆっくりと首を動かし、周りを見回していく。誰もが言葉を飲んで彼を見守る。そして、彼の視線が一人の顔に止まる。ガブリエルだ。
ミノスはおもむろにガブリエルの元へと足を向けた。
「お前、名はなんと言う」
「……ガブリエル・ヴィリアーズ」
ガブリエルは答えた。恐怖は虚栄心で押し殺し、震える声で言った。
彼の答えを聞いた途端、ミノスの顔が急に緩み、目を見開いた。
「ヴィリアーズか。なるほど、どうりでどこか見覚えがあるわけだ。お前の父の名はなんという。ローマンか、それともレオナルドか。いや、私の知らぬ時代に生まれたやもしれんな。だが、血は抗えんようだ。あやつらの面影が、お前の顔に現れている」
そう言うと彼はガブリエルの顔を両手で包み込み、観察し始める。
「その方から離れろ」
エドワードが剣を抜いてミノスの首元に当てる。
彼はゆっくりと振り向く。
剣に目をやると、まるで棒切れでも掴みかのように、剣の刃を握った。
皮膚が切れ、血が刃を伝ってエドワードの手へと流れていく。
「その忠臣ぶりは称賛するに値するが、私は今ガブリエルと話しておるのだ。邪魔をせんでもらえないか」
「ふざけるな。化物め」
ミノスはエドワードの剣の切っ先を首から自分の鳩尾へと移動させる。そして、そのまま前へと足を踏み出した。
切っ先は彼の体をとらえ、鳩尾へと埋まっていく。そして、ついには体を貫通させた。
「この男の体は、とうに死んでいる。痛みも、苦しみも。この男にとってはなんの意味もなさぬ。もちろん、この私にとってもな」
肋骨が折れ、機能していない血管を、肺を、心臓を。ミノスではない誰かが、手前勝手に切り裂いていく。
「私がこんな姿になったのも、全ては私のものを取り返すためにある」
「……貴様のもの?」
「そう。かつて反逆者達によって奪われた物だ。……それに加担した一人が、貴様の祖先だ」
ミノスは背後にいるガブリエルへ目を向ける。
「少し話をする。悪いが、君は退いていてくれ」
自分の体を切り裂いて剣を取り出すと、おもむろにそれを脇に投げた。
なんてことはない動作である。しかし、その力は人間のそれではなかった。
エドワードは柄を離す暇もなく、剣とともに放り投げられた。
壁面にしたたかに後頭部を打ち付けるエドワード。短いうめき声をあげた後、動かなくなった。
ミノスはガブリエルに顔を向ける。
ガブリエルは恐怖で彫像のように固まっている。そんな彼にミノスは手を伸ばし、そのほっそりとした首を掴む。
「うっ…!?」
ミノスはゆっくりと喉を締め上げながら、ガブリエルの体を持ち上げていく。
「知っておるか。お前のガブリエルという名前は、私がローマンのやつに与えてやったのだ」
「何を……ふざけたことを……」
「ローマンが城に妻子を連れてきた折に、私が孫にでもつけてやれと授けてやったのだ。やつは義理堅いやつだ。きちんと私の名前を使ってくれたらしい」
「……どうして、それを」
ガブリエルは目は見開き、息を詰まらせながらミノスに問う。
ミノスは頬を緩めるが、彼の問いかけには答えなかった。
「ローマンには目をかけてやっていた。金も権力も、領土も、そして女も。奴の望むもの全てを私は用意してやった。それなのに、奴は私に謀反を起こした。これを許せると思うか?」
ミノスの指がガブリエルの首に食い込む。息がつまり、ガブリエルの意識が遠のいていく。
「ガブリエル。私は君に怒りを抱いてはおらんのだ。君は私が名前を与えた可愛い幼子だ。できることならば手にかけたくはない」
ミノスは言う。その穏やかな口調とは裏腹に、彼の目は鋭さを増していく。
「だが、私はヴィリアーズの血をひどく憎んでいる。お前の一族を根絶やしにしようと思う。お前でヴィリアーズを終わらせ、その墓をお前の子孫の血で彩ろうと思う。お前は殺さない。しかし、お前の先祖たちの墓は、子孫の地で赤く染めてやろう」
ミノスはもう一方の手でガブリエルの頬を撫でる。
冷たい手だった。まるで人の温もりを感じない。
ひどい寒気がガブリエルの体を駆け抜けた。
その時だ。ガブリエルとミノスをつなぐ両腕が、剣の一太刀で寸断された。
残り少ない血液が、宙を舞い。亡者の腕が床へと落ちる。
ミノスの腕から解放されたガブリエルは、むせながらその影に視線をやる。
そこには剣を握ったアーサーが立っていた。
アーサーは続けざまに、剣を翻してミノスの首を切り落とす。
ごとり。ミノスの首がずれ落ちて、音を立てて床に転がった。
わずかな悲鳴が観覧席から聞こえてきた。
「腕のいい兵士だな。名は何という」
だが、それでもミノスの口は動いていた。
眼球を動かし、アーサーを見上げる。
「……アーサー・コンラット」
「コンラット。聞かぬなだ。まあいい。お前の腕に免じて今日はここで引き返すとしよう」
「お前は誰だ」
「その答えはガブリエルが知っていよう。ここにいる誰よりも、私を知っているだろうからな」
アーサーはちらりとガブリエルの方を見る。
閉められていた首をなぞり、顔を青くして床に膝をついている。そこに転がる生首へと注がれ、信じられないものを見るような目で見つめていた。
「ではなコンラット。いつかまた相見えることになるだろうが、その時までしばしの別れだ。私から贈り物を大いに楽しんでくれ」
ミノスは言う。それが最後の静かに瞼を下ろす。
それっきり、生首が喋り出すこともなかった。
緊張から解かれ、一瞬の安らぎが議場に満ち始める。
しかし、次に彼らを待ち受けていたのは、その場を揺るがす衝撃と耳を穿つ轟音だった。
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