第67話

 生徒会室からエマの部屋に戻る。エマが着替えるのを待ってから、ジャックを連れ立って帝都の街の中へと繰り出した。


 空はどんよりとした曇り空。今にも雨が降り出しそう雲が、風に流れて飛んでいる。大通りには依然として人並みがあったが、雨を予見してか、雨傘を持っている人を多く見かけた。


 エマのアパートから傘をかり、二人は通りを歩いていく。


「ここです」


 エマが向かったのは、人通りの少ない路地にある書店だった。


 四階建てのアパートの一階部分にすっぽりと収まっている。

 入口の横に設けられた店のショウウィンドウには、山積みにされた書籍と、表紙を見せる様に飾られた本があった。


 エマは迷う事なく、店の扉を押し開く。カランカランとなるカウベルの呼び鈴が店内に響き渡る。


「いらっしゃい」


 初老の店主が来客に声をかけてきた。前髪の禿げ上がった、物腰の柔らかそうな好々爺だ。彼女と顔なじみなのか、店主はにこやかに笑って会釈をすると、それ以上はこちらに目をやる事はなかった。


 壁に並んだ書棚と中央に置かれた書棚、あわせて八つ書棚がある。棚と棚の間には通路が通されていて、そこには本を吟味している客の姿があった。


「ちょっと待っていてください」


 店の玄関でジャックを待たせると、エマは嬉々として店内を散策し始めた。

 しばしその様子を見守っていた彼だったが、しだいに彼の目は店内の本の数々に移っていく。


 『異種間における血統受胎の可能性』

 『今日の料理1000種−ラズベリーパイ』

 『ドワーフに学ぶ−鍛冶のイロハ−』

 『エルフ族の生活−隔離された村における民俗文化』


 整然と並べられる本の背ラベルを、何とは無しに目に写しては、移動して行く。


 どれも興味を引かれるタイトルではなかったが、つらつらと目を走らせているとふと一冊の本にとまる。


 『ゴブリンでも分かる魔法魔術講座。入門編』


 少しの興味でそれを手に取ってみる。

 表紙には三角頭巾をかぶった可愛らしいゴブリンの絵が描かれている。


 『人間、エルフ、ドワーフ問わず、生物の体内には魔力を有している。しかし、それに気がつき魔力を行使しようと考えうるのは、自らの意思でそれを決定し、自らの身体を操作することのできる、いわば野獣、蛮獣では到底不可能極まりない領域であり、それを成功せしめるのは言葉を有する種族でなくてはならない。そして…』


 ゴブリンという種族を出している割には、本に書かれている文字には硬さが目立つ。子供向けにしては硬い文体だが、なるべくわかりやすくしようと言う、作者の意気込みが何となく垣間見えた。


 しかし、購入には至らない。

 彼は本をそっと閉じて元の場所に戻した。


「それが気になるんですか?」


 彼の背後からエマがかける。


「いや、単に気になっただけだ」


「魔法入門、ですか」


 ジャックの言葉を遮って、エマが彼の手元にある本の表題を読む。


「娘さんにプレゼントですか?」


「こんなものより、もっと上等な教本が大学から支給されるはずだろう」


「それもそうですね。ローウェンさんご自身は、魔法にご興味はないんですか?」


「ないわけではないが、別に本格的に学ぼうと言う気はない」 


 本を元の棚に戻し、エマの方へ身体を向ける。

 彼女は数冊の本が入った紙袋を抱えて立っている。


「欲しいものは、手に入ったのか?」


「ええ。満足いきました。すみません、お待たせしちゃって」


「いや、別にいい」


 ジャックは言う。そしてエマより先に玄関を出る。

 空からはシンシンとこぬか雨が降っている。コートに雨粒が当たり、黒いシミが次々に生み出されていく。

 

「待ってくださいよ」


 エマは慌てて店を出て、傘を広げて彼の後を追っていった。 

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