第10話

 エリスがジャックの袖を握る。

 目覚めてからこのかた、唯一の顔見知りである彼に、べったりと張り付いている。


 あれから数日が経ったが、いまだに帝都への道筋は立たず、延々と田舎道を進んでいた。見知らぬ場所。知らない人間の中で、同じ馬車に乗り合わせたジャックにすり寄ってきたのも、無理からぬ話だろう。


 一団は次のエルフの村へとやってきた。

 その間にジャックのやることといえば、ただ待つだけである。

 手早く済まされることもあれば、長く時間を取られることもある。

 待つことに対して何か不満があるわけではなかったが、退屈であることに変わりはなかった。


 ジャックとエリスの近くには、兵士が一人ついている。

 彼は、いわば人間ジャックエルフエリスを繋ぐ架け橋のような存在であった。

 

 大学という場所でエルフ語を習得し、日常会話程度ならば問題なく話せるらしい。

 が、今のところ彼の活躍する時はない。

 ジャックもエリスも、互いに言葉を交わそうとはしなかったからだ。


 暇を持て余したジャックは、荷台を背にしてふと空を見上げる。

 青々とした晴れやかな大空に、一筋の白雲が風に吹かれて流れていく。

 風に吹かれるたびに白雲は形を変える。変幻自在、伸縮自在のその動きは、少しばかり彼の目を楽しませた。


「村が恋しいか」 


 空を見上げたまま何となく思いついた言葉を、ジャックはそのまま口に出す。

 兵士はそれをエルフ語に変えてエリスに伝える。


 ジャックはエリスの方を見ようとはしなかった。

 エリスもジャックの方を見なかった。

 けれど、その言葉にエリスがコクリと頷いたのを、ジャックは横目で捉えていた。


「大小あれど、どんな奴でも故郷に愛着を持つものだ。だが、あの場所にいたとしても何にもならない。記憶を取り戻したお前なら、それもわかっているはずだ」


 硬く膝を抱いて、エリスは顔を埋める。


「あの村にいたところで、野垂れ死ぬか、獣に食われるかしかない。たとえお前が魔法を使って戦ったとしても、長くは持たないだろう。それよりか、孤児院で暮らしていた方が、お前は平和に生きることができる」


 エリスは不満げにジャックを見やるだけで、これといって何も言ってこない。頭の片隅では、ちゃんと受け入れているのだろう。


「ここの連中は優しい。お前を売りに出すこともできたが、それをしなかった。このご時世、人の命よりも金の方が価値があるからな。そうしたとしても別にいいんだが……」


 エリスだけでなく、兵士までも不服な表情を向けてくる。

 肩をすくめて他意はないことを伝えると、ジャックはエリスに顔を向ける。


「まあともあれ、これからの身の振り方でも考えておけ。人間とともに暮らすのは難しいが、一人で生きていくのもまた難しい。孤児院にいる間にでも、世渡りの方法でも学んでおけ。そうすれば、無駄に騙されずに済むだろう」


 エリスはじっとジャックの言葉に耳を傾けている。

 ふと顔を上げて、彼の顔を見たかと思えば、立ち上がって荷台の中へと入っていった。


「あまり酷なことは言わないでおいてくださいよ。せっかく立ち直ってきたというのに」


「酷なことは、この世界に生きていること、そのものだ。ただの言葉で折れるくらいなら、あの娘はとっくの昔に首をくくっている。それこそ、あの村で両親とともに死んでいただろうさ」


「そんな」


「だが、あの娘は生きることを選んだ。少なくとも、今はな。娘が心配なら、いつまでも見張っていてやれ。命は、ひどく儚いものだからな」


 立ち上がりエリスの後をおって荷台に乗り込む。

 エリスはちらと彼を見たが、うつむいて何も言わなかった。

 ジャックも、何も言わなかった。


 エドワード達が戻り、一団は出発する。

 鬱々とした空気が抜けることはなく、馬車の中にいつまでも漂っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る