ここにいる
よく晴れた穏やかな日だった。洗濯物を干し終えてそういえばシロのご飯あげたっけなと思い当たる。
シロのお気に入りは縁側とリビングの布団の上。その布団は前に先生が使っていたもので、シロが気に入ってしまったので先生がシロにやると言ってあげたものだ。
その布団の上にシロのお皿はポツンと置いたままで、まだご飯をあげていなかったことに気付く。私はそのお皿にご飯を乗せるとシロを探しに出掛けた。
あの布団の上にいないということは縁側か。暖かい日差しに包まれ気持ち良さそうなそこにシロの姿はない。
庭、キッチン、客間。色々探したけれど見当たらず、そういえば最近少しシロの元気がなかったことにようやく気付く。
猫は死期が近付くと一人になりたがると聞いたことがある。まさか。
シロは私が拾って来た野良猫だ。私と出会うまでにどれだけの時間を生きて来たかもどんな生活をしていたかもしらない。ここに来てからのシロしか、私は知らないから。年も、外で行きそうな場所も知らないのだ。
「お母さん……」
思わず口から溢れた言葉に慌てて首を振る。違う。シロはお母さんとは違うの。
先生は今執筆が正念場を迎えているからしばらく部屋にこもると言っていたし、こんな日に限って原田さんも来ない。どうしよう。どうしようどうしよう。
私は鞄の中から携帯を取り出した。明らかに気が動転している。お姉ちゃんに電話をかけても解決するはずもないのに。
『はい』
「も、もしもしお姉ちゃん、あの、シロがいなくて……」
『シロ?シロって?』
「あのね、白い猫なの。先生の家で飼ってて……」
『先生?先生ってなに?』
お姉ちゃんの声が少し低くなる。そこでやっとこんなにも動揺していることに気付き更に慌てる。お姉ちゃんに先生の話なんて。
「あ、いや、なんでも」
「ひより?」
名前を呼ばれて我に返る。後ろに先生が立っていた。先生は私の顔を見て驚いたように目を見開いた後、眉をひそめる。
「何があった」
携帯の向こうの相手と何かあったと思ったのか、先生は手を伸ばす。私は慌てて「お姉ちゃんです」と言って「また後で連絡する」とお姉ちゃんに言って電話を切った。
「あの、先生、シロがいなくて」
「シロが?」
手が震える。それを先生に見られたくなくて背中に隠す。先生はそれについては何も言わず「探そう」と言った。
「でも、先生、お仕事……」
「もうすぐ終わるから大丈夫だ」
ぶっきらぼうにそう言って背を向ける。そしてキッチンを出た。私はそのたくましい背中を追う。先生、先生。お願い、助けて。
***
「オイ、こんなとこで何してんだよ……」
結局、シロは無事に見つかった。先生の寝室の布団の中で丸まって寝ていた。この部屋は掃除の時以外入らないので全く気付かなかったのだ。
「いた……」
安心する。生きてた。ちゃんと、生きてた。
「ひより」
私の名を呼んだ先生を見上げる。先生はこんな時も笑わない。ただ温かい瞳で、私を見下ろしていた。
先生。先生。怖かった。また置いていかれるのかって、寂しい思いをするのかって、
「お母さんが、」
「は?」
先生がまた眉をひそめる。カクカクと唇が震えた。先生には、言っちゃ、ダメなのに。
私は今日2度目の失敗を犯してしまった。お姉ちゃんに、先生の話をして、先生に……
「ひより」
先生が私の肩を掴む。ハッとする。先生はもう怪訝そうな顔をしていなくて、私を心配そうに見ていた。
「先生……」
先生の胸に耳を当てる。「オイっ?!」と少し焦ったような声を出した先生に私は気付きもせず。抱きつくような体勢で。
大丈夫。先生はここにいる。先生は、私の隣にいる。
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