穏やかな庭に

「先生、桜が蕾になり始めましたよ」


 ニコニコと微笑みながらそんな風に俺に話しかけてくる。今日は随分機嫌がいいようだ。いつもはそんなに話しかけてこねぇくせに。何がそんなに嬉しいんだ。


「先生、春はお嫌いですか?」


 縁側で微睡む俺はろくに返事もしない。せかせかと洗濯物を干すアイツはそれでも嬉しそうで、悪くねぇなと思った。


***


「広瀬!!あんたこの前すっぽかしたでしょ!!」


 昼寝も終えてようやく机に向かったところで嵐がやってきた。ドカドカと足音を立ててギャンギャンと喚く。基本的に静かなこの家にあまりに不釣り合いな鬱陶しい音。俺はうるさいのは苦手だ。昔からそう何度も言っているのに、コイツはそんなことはどうでもいいらしい。


「うるせぇな、はじめから行くなんて言ってねーよ」


 コイツ、俺の大学の頃の同期である川上はよく俺に女を紹介してやるなんて言ってお節介を焼きたがる。よく知らねーが自分はどこぞの代議士のお坊ちゃんと結婚して幸せだからと俺に結婚の良さを押し付けてくるのだ。声がうるせーだけならまだしも性格までうるせー。俺はこんな女絶対嫌だ。

 この前もカフェに呼び付けられて女を紹介すると言われ、一方的に待ち合わせ場所と時間を告げられたのだ。まぁ、その時にコイツが持ってきたケーキをひよりが気に入っていたからよしとするが。


「あのね、あんたは私の顔に」

「あー、もううるせー。分かんねーか?仕事中だ、仕事中」

「失礼します」


 本格的な言い合いになる前に、俺の部屋のドアが開いた。ふわりと柔らかくなる空気。何でか俺もこれ以上キツく言う気にはなれず口を閉じた。

 入ってきたひよりは少し緊張したような表情で川上の前に紅茶を置いた。いつも散らかっている俺の部屋はタイミングよく午前にひよりが片付けてくれていたのでそのスペースもあった。もし散らかったままだったら「三十路にもなって何たらかんたら」と川上の小言が炸裂していただろう。

 ひよりは俺の机にココアを置くと川上に会釈して部屋を出て行った。つーか、何でいつも俺にはココアなんだ。


「今の子、彼女?」


 ココアを手に取る寸前に川上がそんなことを言った。あぶねーだろうが、変なこと言うんじゃねぇ。指の先にぴくっと表れた動揺を見られなかったことを願い、俺は改めてココアを手に取った。


「んなわけねーだろ。家政婦だ家政婦」

「ふーん、可愛い子ね」

「……」


 考えたこともねーけど。だってアイツは10も年下だし、そもそもバイトに来ている家政婦にそんな感情を持つはずもない。アイツはただの家政婦。抱く感情はシロへのそれとあまり大差ない。


「何だ。あまりにも私のお節介突っぱねるからいい子がいるのかと思った」

「お節介って分かってんならやめろ」

「それともまだ、引きずってるか」

「……」


 はぁ、ほんとうるせー。同い年なのにババァだな、お節介ババァ。


「俺の女関係も私生活もお前には関係ない。もう女紹介すんのもやめろ。何言われても行かねーぞ」

「あら、これでも心配してるのよ」

「心配なんて不要だ」


 ブツブツと文句を言いながら、川上は部屋を出て行った。俺はその瞬間窓を開けた。空気が淀んだ気がする。換気だ換気。


「んっと、お節介なババァ……」


 ひよりのことも、過去のことも、全部俺自身のことで、俺以外には関係ねーんだよ。


「あれ、先生、珍しく換気ですか?」

「あの女のせいで空気が悪くなった」


 カップを片付けに来たひよりがふふっと笑う。今日もあのケーキいただいちゃいましたなんて嬉しそうだ。天気やケーキで機嫌がよくなるなんて、単純な女だな。


「……また買ってきてやるよ。俺がな」

「ええ、出不精の先生が?一体どんな風の吹き回しですか?」

「うるせー」


 ただ、もう踏み込んでほしくないだけだ。お前とシロがいる、この穏やかな庭に。もう、他の誰にも。

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