第160話 春の気配

 ど、どうすんだこれ⁉

 ぐっ……くそっ! 糸が切れない!


『さてさて……どうしたものかのぉ……』


 蜘蛛老人は、俺達を見上げながら顎を撫でた。


「くっ……ふぅぬぅぅ! こ、このぉおおお……!!!」

 渾身の力を込めるが、糸は頑丈で全く切れる気がしなかった。


「だ、だめか……」

『ダンちゃんダンちゃん……どうしたラキか?』

 俺の耳元でラキモンが囁いた。


 ――ラ、ラキモン!

 そうだ! ラキモンに糸を解いてもらえば!


 いや、待てよ……。

 もし、ここでラキモンまで捕らえられてしまえば、俺達は完全に終わりだ。

 どうにかして、あの蜘蛛老人の気を引かないことには……。


 俺は真横にぶら下がっている紅小谷に、アイコンタクトを送る。

 なんだかんだ言って、紅小谷とは付き合いも長い。


 それに紅小谷はあのの管理人……、頭の切れは俺の比じゃない。

 すぐに俺の意図に気付くはずだ……!



『ラ・キ・モ・ン・が・い・る・注・意・を・ひ・け』



「ちょっ……、あんた、こんな非常時に変顔とか舐めてんの⁉ そんな余裕あんなら、逃げる方法の一つでも考えなさいよ、このたわけーーーーーっ!」


 ちょ……マジかよ⁉ 全く気付かないんですけど!

 いつも鋭いくせに、何で気付かないんだよ!


『ふぉふぉ、女子おなごの方が活きがよさそうじゃ』

 蜘蛛老人は紅小谷の糸をグイグイと引っ張って揺らし始めた。


「ちょ、た、たわけー! 何すんのよ! このクソジジイーっ!」


 しめた! 紅小谷に注意が向いたぞ!


「ラキモン、今のうち……ん?」


 見ると、俺の右側には紅小谷がぶら下がっているが、左にもぐるぐる巻きになった繭のようなものがぶら下がっていた。

 そして、その繭から見覚えのあるアクセサリーがはみ出している。


「あ、あれは……⁉」


 カルガモラのストラップ⁉ まさか、あの中にリーダーが⁉


「ん……もご……んー」


 微かにうめき声が聞こえる⁉

 リーダーだ、間違いないっ!


 どうする⁉ この状況……チャンスは一回だ……。

 落ち着け、ここで俺が自由になったとしても活路は見いだせないだろう。

 あの蜘蛛老人を相手にできるのは……リーダーしかいない!


「ラキモン、あの繭に飛び移れるか?」

『やってみないとわかんないラキィ……』


「大丈夫、ラキモンなら絶対やれるさ! 成功したら瘴気香アレやるぞ?」

『うぴょ⁉ ホントラキ⁉ アレは何本あっても困らないラキ~!』


「よし、あの繭の糸を解いてくれ、頼む!」

『やってみるラキ!』


 バックパックから出たラキモンは、俺の頭を踏み台にして、リーダーの繭にぴょんと飛び移った。

『ラ、ラキッ⁉』

 かなり揺れが大きく、ラキモンが落ちそうになる。


「ああっ⁉」

『あわわっ……ラ、ララキィ~……ラキッ! あぶなかったラキ~』


 辛うじて持ちこたえたラキモン。

 あぶねー……、見てるこっちがヒヤヒヤする。


『いくラキよ~! ガジガジ……ルァキィッ! ウググギ……ガジガジ!』

 ぐるぐる巻きになった糸を、凄まじい勢いで囓り始めた。


『おや? これは懐かしい、満月坊主ではないか……』


 満月坊主? ラキモンの呼び名か?

 これってかなり花さんが喜びそうな情報……ってそんな場合じゃないか!


「うるせー! オラぁ! 蜘蛛ジジイ、俺が相手してやんよ! へいへいスパ公ビビってる~!」


 俺は少しでも時間を稼ぐために、煽って煽って煽りまくった。


「糸なんか出してんじゃねぇよ! この卑怯者がー!」

「そうよこの、たわけーーーーーっ!! いまどき蜘蛛とかオワコンなのよ、このジジイーーーっ!」

 紅小谷も俺の目的に気付いたのか、一緒になって罵倒する。


『――黙れ!』


「うわああ!!」

「きゃああーー!!」


 糸が体を締め上げる。

 な、何て力だ……内臓が飛び出そう……ガハッ⁉

 べ、紅……小谷……。


「が、がんば……れ……」


 頼む、ラキモン!

 ……リーダー!


『まったく、うるさくて敵わん……どれ、少し間引くとするかの……』


 蜘蛛老人がクイクイッと指を動かすと、スルスルスル……と、紅小谷が下に降りていく。


「や、やめろ……! やるなら、お、俺……に……しろ!」


 くそっ! 俺がもっと強ければ……!

 あんなに筋トレ頑張ったのに……くそぉっ!


「ぬん! ぬん! うぐぅ……だーっ!」


 無我夢中で体を動かし続けた。

 指が切れ、腕も切れ、糸に血が滲んだ。


『やれやれ……大人しく待っておれば良いものを……ならば貴様から糧としてやろう!』


 蜘蛛老人が叫ぶと、その身体がむくむくと膨れ上がり、巨大な人面蜘蛛に姿を変えた。


「う、牛鬼よりでかい……」


『ギギギギギギーーーーーーーーーーーッ!!!』


 もはや人語は必要ないのだろう。

 人面蜘蛛は異音を発しながら俺に迫る!

 八つの複眼に恐怖に歪む自分の顔が映っていた。


 粘液の糸を引く牙が俺を挟み込もうとした、その瞬間――。

 なぜか、辺りに無数の雪が降り始めた。


「ゆ、雪……?」


『ギギギッ⁉』


 人面蜘蛛は複眼をギョロギョロと動かし、辺りを警戒している。

 と、その時――聞き慣れたあの大声が響く!



「良くやったぁ! ジョーーーーーーーーン!!!」

「リ、リーダー⁉」



 見上げると、そこには曽根崎SPを構えたリーダーが!

 その背中にはラキモンがしがみついている。


『ギギギギーーーッ!!』

「オラどこ見てんだジジイ! 喰らいやがれ!」


 ――――串刺しのカズィクル・氷柱槍アイシクルランス!!!!!


 リーダーの放つ槍撃が、雪の結晶をまき散らしながら、真っ白な九つの軌跡を描く。

 吹雪のような強烈な風が吹き荒れ、思わずぎゅっと目を瞑った。


『ギィーーーーーーッ!!!』



 *



「リーダー!」

「曽根崎くん!」


 俺と紅小谷はリーダーの元へ駆け寄る。

 ラキモンが、リーダーの背中から俺のバックパックに飛び移った。


『ラキィッ! ダンちゃんただいまラキよ~、チュパチュパ……』

「ラキモン……ありがとうって、おいおい何を舐めてんだ⁉」

『この糸、甘いラキよ~』

 見ると、蜘蛛老人の出した白い糸を味こ○ぶみたいにしゃぶっていた。


「な、何か複雑な気持ちになるな……」

「まぁまぁ、いいじゃない。それにしてもほんと、大活躍だったわね~」

 紅小谷がラキモンの頭を撫でた。


『うぴょぴょーっ!』

 ラキモンが嬉しそうに両手をパタパタさせた。


「二人ともありがとうな、お陰で助かったぜ」

 リーダーが照れくさそうに頭を掻く。


「リーダー、また腕上げたんじゃないですか?」

「え? そうかな? まぁ、さっきの蜘蛛はレイドボスに比べれば大したことないさ」

「ふぅーん、捕まってた割に大口叩くじゃない?」

 紅小谷がジト目でリーダーの顔を覗き込む。

 

「あ、いや、これは……つい油断してな……あははは! さ、さぁ、ジョーン! 長居は無用だ、腹も減ったしうどんでも食って帰ろうぜ!」

「ったく……、しょうがないわね」


「そういや、リーダーは何でこのダンジョンに?」

「ん? あぁ、須和と久しぶりに飲んでたらさ、昔話になってな。そしたら、あいつが小さい頃、ここに父親の形見の腕時計を落としたっていうから……ま、プロである俺が一役買って出たわけだ」


「形見って……須和さんのお父さんが管理人じゃないの?」

「あいつの父親は小さい頃に事故でな……、今の父親は再婚相手なんだ。でも、ちゃんとここの管理も引き継いでくれてるし、いい人だって言ってたよ」


「そうだったんですか……それで、その時計は?」

「そりゃあ、もちろん。俺を誰だと思ってんだ?」


 リーダーがポケットから古びた腕時計を取り出した。


「え! 見つけたんですか⁉ す、凄いっすね……」

「良くもまあ、こんな敵だらけの場所で……」

「自分、プロですから!」

 リーダーはニッと笑って胸を張り、時計をポケットにしまう。


「さ、二人とも、帰りは俺に任せてくれ」

 そう言って、リーダーは曽根崎SPを肩に担ぎ、ポキポキと首を鳴らした。


 *


「曽根崎! 大丈夫か⁉」

 外に出ると須和さんが駆け寄ってきた。


「おぉ、悪い悪い、待たせたな。ほら」

「こ、これ……あったのか⁉」

 須和さんが時計をまじまじと見つめている。


「ああ、俺はプロだからな」

 と、須和さんの肩を叩き、リーダーが親指を立てた。


「ま~た言ってる」

 横から紅小谷が突っ込みを入れる。


「ちょ、そんな言い方ないだろ、鈴音」

「ん?」


 ちょ、いま、鈴音って……言わなかったか?

 待って、二人ってそんなに親しかったっけ?


 紅小谷を見ると、耳を真っ赤にしてサッと目を逸らした。


「ちょっと待ってください、リーダー……いま、何て言いました?」

「プロだからって……」

「違いますよ、その後です、後!」

「あーーーーーーーっもう! うっさいわねジョンジョン! う、打ち上げいくわよ!」

 顔を真っ赤にした紅小谷が、有無を言わさず話をぶった切る。


「あ、うん……」


 俺は皆の装備を回収し、デバイスで処理をした。


 これでラキモンともしばしのお別れだな。

 戻ったらたっぷりと瘴気香をあげる約束をして、ラキモンにアイテムボックスへ戻ってもらった。


「曽根崎、本当に何て礼を言っていいのか……」

 須和さんは目に涙を溜めている。


「ったく、お前は昔から大袈裟なんだっつーの。良いんだよ、俺はプロなんだから」

「いい加減しつこいですよ」と、横から小声で突っ込む。


「「はははは!」」


 須和さんが目を赤くして笑いながら、

「本当に……ありがとうな、曽根崎」と呟くように言った。


 それから、皆で打ち上げ場所の相談をしながら、放生門ほうじょうもんを出た。

 外は春先特有の淡い夕闇に包まれている。


 須和さんが鍵をかけ直し、

「そういや、曽根崎の探してたものはあったのか?」と訊ねる。


「んー、いや、見つからなかった」

「そうか……」


「気にすんなって、俺が探してたのは、元々あるかどうかもわからないようなもんだし……」

「え? リーダー、何を探してたんです?」


00ダブル・オーだ」

「ダ、ダブル・オーって、ナンバーズのですよね⁉ え、0と00って、マジで実在するんすか⁉」

「さあな……、でも、誰にもわからねぇんだしさ、あると前提して俺は行動してる、じゃなきゃ、見つかるはずが無いからな」

 そう言って、リーダーは鳥居を見上げた。


「何、格好つけてんのよ、さっさと行くわよ!」


「ははは、さすがの曽根崎も紅小谷さんには頭が上がらないんだな」

「うるせぇ」


「「あははは」」 



 ――その頃。

 ジョーン達がいなくなった広間に、篝火に照らされた丸い影が揺れていた。


『ぴゅ! ぴゅぴゅ! ちゅぱちゅぱ……うぴゅーっ!』


 影は畳の上に残った蜘蛛の糸を美味しそうに舐めている。

 やがて影は満足したのか、スンスンと鼻を鳴らしダンジョンの奥に跳ねて行った。

 薄闇の中、遠ざかっていくその姿は、まるで満月のようだった。



 * * *



 鳥居の向かい側の車道に、一台の高級車が停まっている。

 後部座席には、銀丸と藤堂が座っていた。


「何だ、行かなくて良いのか?」

「んー、やっぱいいわ、解決したみたいだし」


 窓の外、楽しそうに笑うジョーン達を見て、藤堂は口の中のガムをパチンと鳴らした。


 銀丸はつまらなさそうに窓の外に目を向け、

「禁足地ねぇ……辛気くせぇし、金の匂いもしない」と、ため息交じりに言った。

「くくっ……あんたのそういうとこ、俺は嫌いじゃないぜ?」

「別に好かれようなんて思ってないさ、お前と俺を繋いでるのは金だけだしな」

「ますます気に入ったね」


 銀丸は鼻で笑い「出せ」と運転手に言った。


 車は歩道のジョーン達を追い抜き、走り去る。

 藤堂は去り際にジョーン達を一瞥すると、フードを深く被り目を閉じた。


 車が遠ざかっていく。

 一陣の風が吹き抜け、不知八幡しらずやわたの木々を揺らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る