第139話 ダンジョン病棟編④ 病棟の全貌
病棟の間近に来たとき、俺はそれが現実と虚構の狭間に存在するものだと知っていた。ホラー、恐怖という娯楽を追求し、それを体現した建造物。陽の光の下にあってもなお、太古より深淵の淵に存在する遺跡のように、それは無言の恐怖をたたえていた。
思わずクトゥルフ構文になってしまうほど、病棟は良くできていた。
「すごいね、本当の廃病院みたいだ……」
「ちょっと怖いです……」
入り口らしき門には『Хо́вринская забро́шенная больни́ца』と書かれている。
「これは……ロシア語かな」
「そのようですね」
恐る恐る、俺と花さんは建物内に足を踏み入れた。
「「――⁉」」
思わず心臓が飛び出そうになった。
花さんはぎゅっと俺の肩を掴んでいる。
建物の中にはカウンターがあり、そこにゾンビのようなナースが立っていたのだ。
花さんの良い香りで何とか自我を保った俺は、恐る恐る話しかけた。
「あのー、すみません」
「いらっしゃいませ、ダンジョン病棟へようこそ……、ご利用は初めてでしょうか?」
「はい、初めてです」
「では、当病棟のシステムを説明させていただきます……」
近くで見ても作り物に見えないほど、特殊メイクの完成度が高い。
カウンター周りも古い質感や汚れ、置いてある機器にもそれっぽい装飾が施されているため、迫ってくるような雰囲気を感じる。
凄い、ただただ、凄い。
エンターテインメントだ、追求している。
急に自分が恥ずかしくなった。
「……この病棟では、ある謎を解きながら進んでいただきます。そして、晴れて謎を解いた時、最後の扉が開くでしょう……」
ゾンビナースの店員さんが、古びたカギ束とマップを差し出す。
「全ての鍵はここにあります、ではIDをどうぞ……」
「あ、はい」
俺と花さんはIDを差し出した。
「当病棟での装備は、こちらで用意したものだけに限らせて頂いております……」
「え? 選べないのですか⁉」
「はい……では、こちらを……」
花さんにはナース服、俺には白衣を出してきた。
「あ、あの、武器とかはどうなるんでしょうか?」
「全て、病棟内でお探しくださいませ……」
そう言って、店員ナースは静かに頭を下げた。
次の瞬間、ナースの頭がゴロンと転がり落ちた。
「「うぎゃあああ!!!」」
――そして、
『アハハハハハハハハハハ!!!!!』とホール中に、甲高い笑い声が響いた。
*
近くにあった更衣室で着替えを済ませた俺達は、マップと鍵束を携え、病棟の奥へと足を進めた。
「とりあえず、武器を探さなきゃ……」
「ですよね……」
暗い廊下、チカチカと輝く緑がかった蛍光灯。
破れたソファ、壁に貼られた案内はロシア語だ。
――扉がある。
赤いスプレーで大きく×印が書かれていた。
「どうします?」
「うーん、行くしかないかな」
俺はゆっくりと扉を押した。
キィィィ……。
背中を花さんが掴んでいるが、素直に喜べるほど余裕はなかった。
マジで怖い。なんだこれ、ダンジョンなのか?
「あ、ジョーンさん、そこにバールのようなものが……」
「ほんとだ、これは使えそうだね」
俺はバールのようなものを手に取り、二三度振ってみる。
うん、重さも丁度良い。
「ここは手術室のようですね……」
手術台と大きなライト、黒い染みの付いたシーツが乱雑に床に落ちている。
壁には手形が……。
「ホントにホラー映画みたいだ」
「このマップの丸印はなんでしょうか?」
「ん?」
マップには丸印の付いている部屋と付いていない部屋がある。
俺達がいるこの部屋には何も付いていない。
「何か嫌な感じがするな……出よう」
「はい……」
部屋を出ようとすると、何かが視界の隅で動いた。
「下がって!」
花さんを庇うように俺は前に出た。
バールのようなものを構え、俺は息を殺してじっと観察する。
どこだ……?
何かがいるはずだ……何かが。
その時だった。
壁の染みだと思っていた手形が集まり、スライムになった。
「え⁉」
深紅のスライムはサッカーボールくらいの大きさになると、俺に向かって飛びかかってきた。
「オラァッ!」
俺は思いっきりスライムをぶん殴った。
スライムは壁に叩き付けられ、また染みを作る。
「今のうちに出よう!」
「はい!」
部屋を出て、奥へと走った。
「はぁ、はぁ……、いまどの辺かな?」
「えっと、あそこに階段が見えるのでここですね」
花さんがマップを指さした。
「手前に丸印の部屋があるけど……どうしよう」
「丸印なんで、もしかして安全ってことはないですかね」
「どうだろう……行ってみるしかないか」
俺達は丸印の扉の前に来た。
花さんと顔を見合わせて頷き、扉を押す。
「あれ、鍵が掛かってる……」
「やっとこれの出番ですね」
鍵束を出した花さんが、合う鍵がないか確かめる。
――その時だった。
キュルキュルキュル……
キュル
キュル……
キュル
キュル……
「な、何の音だ?」
暗闇に目を凝らすと、廊下の向こうから、ストレッチャーがゆっくりと向かってくるのが見えた。
「ひっ⁉ は、花さん! 早く、鍵を!」
「わわわ、ちょ……合わない!」
ガチャガチャと鍵を差し込むが、花さんは焦りと恐怖で手元が震えてしまっていた。
うぉおおお! こうなったらやるしかねぇ!
「先手必勝ぉーーーっ!!!」
俺はストレッチャーに向かって駆けだした。
そして思いっきりドロップキックをかます!
ストレッチャーは派手な音をたてて吹っ飛ぶ。
が、その奥からガチゾンビナースが現れる。
「うぉおおおおおーーーーー!」
フルスイングでバールがゾンビナースの頭部を吹き飛ばした。
瞬間、ゾンビナースが霧散する。
お、やっぱりダンジョンなんだな……。
ちょっと安心した。
「ジョーンさーん! 開きました!」
俺は花さんの元に戻り、丸印の付いた扉を押した。
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