第137話 ダンジョン病棟編② 一泊の重み

 次の日、いつも通りダンジョンで仕事をするが、どうも身が入らない。


 拭き掃除をすれば物を落とすし、染め物の時間を間違える。

 挙げ句、ラキモンに瘴気香をあげようと見つけたのはいいが、肝心の瘴気香を忘れガン切れされる始末。

 

 いかんいかん、集中しないと……。


「GABAでも飲むかな……」

「どうしたんですか? ジョーンさん、さっきから上の空っていうか……」


 ふわっとした袖のブラウスを着た花さんが俺を覗き込む。

 そういえば花さんは、超難関であるモンス診断士の一次試験を突破した。

 

 現役突破はとんでもない快挙らしく、大学でも相当話題になったらしい。

 同じ大学の山田くんが鼻息を荒くして言っていた。 


「あ、いや、そうかな……。あはは」

「そういうときって、ジョーンさん私に教えてくれないですよね?」


 ちょっとだけ口を尖らせる花さん。


「え……い、いや、そんな大した事じゃ……」

「じゃあ教えてくださいよー、何考えてたんですか?」

 俺を覗き込むようにして訊ねてくる。


 うぐっ……、何だか今日はフレンドリーだな。

 それにしても、可愛いとはこれほどの力があるのか……。

 思わず名状しがたき衝動に駆られそうになった。


「ほ、ほら、あのー、ダンジョン病棟って流行ってるよね? 一度は行っておきたいなと思っててさ」

「あー! 流行ってますよね! 私も気になってたんですよ。というのも、モンス構成がどこにも書いてなくって、大学の行った人達に聞いても教えてくれないし……」

「そうそう、あれ何でか誰も教えてくれないんだよね。矢鱈さんと紅小谷にも、休んで行った方がいいよって言われててさ」

「え、行くんですか⁉」

 花さんが身を乗り出す。


「え、あ、いや……ちょっと迷ってて。実は……お化け屋敷とかそっち系苦手なんだよね」と、俺は苦笑いを浮かべる。


 さらに身を乗り出した花さんが、

「大丈夫です! ジョーンさん、行くべきですっ!」と瞳を輝かせた。

「あ、うん……」


 何でこんなに推すんだろう……。

 ま、行っておくべきなのは確かだし、腹くくるか。


「じゃあ、次の定休日にでも行ってくるかな……」

「あ、あの……ジョーンさん……、で、できれば私も……その、連れてってもらえませんか?」


「――え?」


 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 光速で移動して、自分の声が遅れて着いて来たみたいな感覚。


「あ、ご迷惑だったらいいんですけど……」

「いやいや! そんなことあるわけないじゃん!」

 思わず力が入ってしまう。


「あ、その、俺と二人だと気まずくない?」

「何でですか? ジョーンさん楽しいし、今も二人ですけど?」


 フッ……と意識が途切れそうになった。

 危ない危ない、そういえば花さんって無自覚キョトン系なところがあったわ。


「花さんがいいなら、俺は大歓迎だよ。どうする? 新幹線で行こうと思ってるけど……」

「私は構いませんよ。あ、こういう時お弁当とか作れたら良いのになぁ……」

「作ろっか?」

「え? ジョーンさん作れるんですか⁉」

「まあ、東京では一人暮らしだったし……それなりに」

「すごい! あ……何かホント嫌な感じだと思うんですけど、その、卵焼きって甘い派ですか?」

 めちゃくちゃ申し訳なさそうにする花さん。

「え、基本出汁系だけど……」

「よかったぁ~! 私、甘いと食べられなくて。あ、すみません……もう勝手に作ってもらう空気出しちゃってました……」

「いいよいいよ、最初から作ろうと思ってたし。ていうか、お弁当手作りで平気?」

「むしろ興味があります。珈琲があれだけ美味しいんだから、お弁当はもっと美味しいのかなって……えへへ」


 ちょ、何だこの展開……。

 俺、ちゃんと起きてるよな?


 まさか花さんと二人で旅行なんて……。

 りょ、旅行⁉

 そうだよ! 一泊する予定なんだがっ!


 ど、ど、どうしよう……ここで聞いて変な感じとか精神的に耐えられそうにない。

 かと言って、確認しないわけにもいかないし、確認したら量子的に確定するし、もう少しだけこの揺らぎに身を任せたいし、どうしていいのかわからない。


「そういえば、一泊しないと体力的にキツいですよね? どうします?」

「え⁉ そ、そうだね、一応……一泊で考えてはいたんだけど、うん、『考えてた』段階ね」

「んー、そっか。泊まりとなると……私はいいんですけど、兄達がどういうか……」

 花さんは額に手を当てながら考え込む。


 確かに、あの平子兄達のことだ。

 簡単に許しそうにはないな……。


「まあ、その辺は説き伏せてみせます! てことでお願いします、ジョーンさん」

「あ、うん、わかった。じゃあ、チケットはどうする? 一緒に取ろうか?」


「そっか、一緒の方がいいですよね。じゃあ、お願いしてもいいですか?」

「じゃあ、用意しておくね。お金は後でいいから」


「ありがとうございます! うわぁー、楽しみです!」


 満面の笑みを見せる花さんを見て、俺はまだこれが現実とは思えなかった。

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