第134話 夕方6時の雲呑麺

 ――高田馬場・ダンクロ営業戦略本部7F会議室。


「……えー、条例可決後の対策は以上となります」


 会議室では、守旧派しゅきゅうはの古参社員と、真藤を中心とした改革派の若手社員がテーブルを挟んで対峙していた。

 あからさまに敵意を向けてくる古参の中には、改革派から抜けた若手社員の姿もあった。


 真藤からすれば理解しがたい選択としか思えないが、それを咎めるつもりはさらさらない。

 曲がりなりにも成人し、社会に出た人間が、自らの意志によって選択した道なのだ。

 自分がとやかく口を挟む筋合いはない。


「質問をいいでしょうか?」

 真藤が手を上げると、進行役の古参社員は露骨に顔を歪め、無言で手を向けた。


「……先ほどの『条例対応パック』ですが、単に競合他社と価格競争を引き起こすだけになってしまう懸念があります。利用時間が短くなるのなら、利用回数と客数を伸ばす対策を講じるのが定石ですから、パックを用意するのも理解できます。ですが、逆に私は短くなった利用時間に対する価値を高めていく方が、今後のダンクロにとって有益だと考えます」


 ウンザリした顔で聞いていた古参社員が、

「で……、結局、何が言いたいの? 反対ってことかな?」と投げやりに言う。

「い、いえ、反対ではなく、自分の意見を申し上げているだけですが……」


 他の年配社員が口を開いた。

「うーん、真藤くんの話は、私のような現場一本の叩き上げには難しくてかなわん。もっとわかりやすく言ってくれないと」


「はい、えー、簡潔に言いますと、従来の薄利多売方式ではなく、顧客満足を最大限に高める高付加価値戦略にシフトするべきだと――」

「わからん! まったく入って来ないんだよ、君の話は……。要は私達のやり方が古いって言いたいんだろ?」

「いや、そんなことは一言も……」


「いいか! ダンクロは地域密着型で愛される店を目指して今日までやってきたんだ! 私が君くらい若い頃には毎日何千と、ビラを配って歩いたもんだ」


 勢いづいて席を立った年配社員が言うと、他の古参達も追随する。


「そうだそうだ! 俺達は足を使ってお客様を掴んできた! いやぁ~、思い出しますなぁ、あの頃は毎日、足のマメが潰れて大変でしたよ」

「そうそう、今みたいにスニーカーを履くわけにもいきませんでしたしねぇ」


「ま、その分、お客様に来て頂いた時は、皆でささやかな打ち上げをしたりしてね……」

「ああ、わかりますわかります!」

「クレームをいただいたお客様とは一歩踏み込んだお付き合いになってしまったりね」

「そうそう、なんというか、戦友のような関係とでも言いますか……」

「あー、わかるわかる!」


 真藤は目の前で起こっていることが理解できなかった。

 一体、何だこれは……?


 この人達は何の話をしているんだ?


 話が通じない――、彼らと自分ではそもそもの価値観が違うのだ。

 自分の言葉が、この人達には届かないのはそのせいだったのかと真藤は悟った。


 自己陶酔にも似た、形容しがたいコミュニティがそこにある。

 そして、彼らは決してそこから出ようとしないだろう……。


「さて、真藤くん、他に意見が無ければ会議はひとまず終わりますが?」

 古参社員が勝ち誇った顔で問いかける。


「はい、私からは何もありません」と、真顔で真藤が答える。

 すんなりと引き下がると思っていなかったのか、古参社員は一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐに会議を締めた。

「で、では、本日は以上となります、お疲れさまでした」

「「お疲れさまでした」」


 *


 ――夕方6時・高田馬場・某中華料理店。

 赤と白を基調とした店内は熱気に満ちていた。


 厨房からは威勢の良いかけ声、炒め物の音、香ばしい匂い、時折聞こえてくる中国語が、店内を東洋的オリエンタルな雰囲気に仕立て上げている。

 客の殆どは、ワイシャツにネクタイのサラリーマンで、真藤もその中の一人だった。


 奥のテーブル席に中国系のお姉さんが料理を運んで来た。

「ハイヨー! 雲呑麺お待ちぃ!」

「ありがとう」

「雲呑のタベ方知ってるカ?」

「あ、大丈夫です、知ってます」

「ハイヨー!」


 真藤は割り箸を手に取り、雲呑麺をすすった。

 濃厚な旨味を持つ雲呑に負けない絶品のスープ、それでいて後味はあっさりしている。

 麺は細麺でいくらでも入りそうだった。

 箸で麺を持ち上げると、自然と口の中に涎が溜まってくる。


「はふ、はふ……」


 額に滲んだ汗を拭い、熱々の雲呑を食べながら、合間にキンキンに冷えたビールを流し込む。


「くーっ! 最高だクソッタレ!」


 周りのリーマン達が何だ何だと真藤に目を向ける。


「あ、すみません、失礼しました……」

 真藤が頭を下げると、何事もなかったようにリーマン達は自分達の世界に戻った。


 黄金色に輝くスープを見つめながら、真藤は思った。

 ……俺がおかしいんだろうか?


 古参社員達の言いたいこともわかる。

 だが、真藤が検証してみたところ、彼らのやり方は、余りにも非効率な上に自己満足でしかない。

 結果よりも過程を重視する傾向があり、しかも、その過程を評価する基準は、客観的指標の無い個人裁量によるもので、いかに苦労したのかにばかりスポットが当たっていた。


 ダンクロがここまで大きくなったのは、彼らの努力とは関係が無いと真藤は考える。 

 単に、時代の流れに上手く乗ったからだ。

 右肩上がりのダンジョン黎明期、失敗する方が難しい。

 会長の理念は共感はできる。

 だが、誰からの指導も受けずに、理念を理解した上で実践出来る者が、今のダンクロにいるとは到底思えなかった。


「俺はどうしたいんだ……」

 箸を置き、独り呟く。


 何かをしようと思っても、自分を突き動かす決定的なが足りない。

 そう、気付けば始まっているような。

 自分の中に蓄積した、どろどろとしたマグマのような衝動を爆発させる何かが……。


 その時、ふと隣の席の会話が耳に入ってきた。


『ウチの取引先でさ、小規模ダンジョンなんだけどいい線いってんのよ、これが』

『へー、何、どんなの?』

『うーん、プライベートダンジョン?』

『はは、なんだよそれ?』

『一見お断りでー、紹介制なのよ。芸能人とか、業界人がメインらしい』

『何か怪しい感じがするけど』

『んーんー、全然。ベンチャーだけど、ちゃんと活動実績もある会社だし、金主は官公庁向けのアウトソーシングやってる手堅い企業だよ』


 プライベートダンジョン……⁉


 真藤は雷に打たれたような衝撃を受けた。


 ――これだ!

 多様化する時代にもマッチする、新しいダンジョンの形態。

 

 自分の年齢なら、まだ挑戦ができる。

 すぐに頭の中でそろばんを弾いた。


 仕事を辞め、融資先が決まるまで食いつなぐくらいの貯金はある。

 駄目でも、また仕事を探せばいい。

 

 場所は? 規模は?

 ターゲティングはどうする?

 堰を切ったように、次から次へと疑問やアイデアが湧き出てくる。

 自分の思考のスピードに追いつけない。


 居ても立ってもいられなくなった真藤は、スーツを肩に背負い会計を済ませると高田馬場の街へ飛び出した。

 足取りは軽く、その瞳は未来を見据えていた。

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