第132話 ドリンクバーの二人

 ダンジョン協会事務所を出た大石は独り商店街を彷徨っていた。

 コンビニで買った缶ビールを飲み干し、空き缶を投げようとして手を止める。


「はあ……」


 ため息をつき、ゴミ箱に缶を入れると路地裏に猫を見つけた。

 大石は猫の側にしゃがみ込み、手を伸ばす。


「ほら、おいで、ねこちゃん、おいで……」

『ミャウッ!』

 猫は大石を見て逃げていった。


「はあ……」


 またも大きなため息をつき、大石はそのまま路地を歩いた。


「あのメール……絶対おかしいよなぁ……。どうすりゃいいんだよ……」


 一人呟きながら歩いていると、コンビニの光が見えた。


「もう一本だけ飲むか……」


 大石がコンビニに入ろうとすると、スクーターにヘルメットをしまう青年と目があった。

 どこかで見たような……と思った瞬間、

「あーーーーっ! ダンジョン協会の大石さんですよね! こんばんは、お仕事帰りっすかー?」

 人懐っこい笑みで青年は話しかけてきた。


「あ、条例の……」


 *


「ありがとうございましたー!」

 最後のお客さんを送り出し、俺は閉店作業を始めた。

 各所の点検を終えてデバイスをCLOSEにし、黒いフェンスに鍵を掛けて家に帰った。


 夕飯を食べ終わり、ちょっとコンビニでお菓子でも買うかと玄関に向かう。

「ちょっとコンビニ行ってくるね」

「おぉ、気を付けろよー」

 居間から爺ちゃんの声が返って来る。

 俺はスクーターに跨がると、薄暗い田舎道を走り出した。


 うーん、このくらいの涼しさがちょうど良いなぁ。

 田んぼの匂いがなくなった頃、コンビニに到着する。

 駐車場にスクーターを止めてヘルメットを仕舞っていると、ダンジョン協会の大石さんが歩いてくるのが見えた。


「あーーーーっ! ダンジョン協会の大石さんですよね! こんばんは、お仕事帰りっすかー?」

「あ、条例の……」

 大石さんは思い出したように少し目を見開く。


「そうです、壇です。あ、ジョーンって呼んでください」

「え、あ、はぁ……」

 あれ、何だか気まずそうな感じだな?

 声かけない方が良かったのかも……。


「すみません、突然驚きますよね? あははは……」

「いや、大丈夫です……」

「協会って、結構遅くまでやってるんですね? いやー、大変っすね」

「今日は、その……、ちょっと真っ直ぐ帰る気になれなかったので……」

 大石さんは俯く。


「どうしたんです? 何かあったんですか?」

「……いえ、大した事ではないので」

「そうですか……。あ! そういえば、条例の事で何か進展はありました?」


「条例……はぁ……」

 大きなため息をつき、大石さんはその場にしゃがみ込んだ。


「……ちょ、どうしたんですか? 具合でも……」

 俯いたまま手を横に振り、おもむろに顔を上げると、

「自分、もう駄目かも知れません……」と小さな声で呟いた。

 これは……ただ事じゃなさそうだな。


「あ……あのー、ここじゃあれなんで、どうです? そこのファミレスでも……」

 思い切って声を掛けてみると、大石さんは無言で頷いた。

 


 *


「ドリンクバーを二つ」

「はい、かしこまりました。ご注文は以上で?」

「あ、はい」

 俺はメニューを仕舞い、向かいに座る大石さんに訊ねた。


「ホントに何も食べなくて大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫です。……ていうか、すみません、何か鬱陶しいですよね……」


「いやいや、そんなこと思いませんよ。それより……何があったんですか? パワハラとかなら今は相談できる場所も増えましたし……」

「――違うんです」大石さんは被せるように言った後、

「あ、す、すみません、飲み物を取りに行きませんか?」

 と、誤魔化すように席を立った。

「そ、そうっすね」


 ドリンクバーで大石さんはカフェラテを、俺はメロンソーダを入れた。

「壇さんは、どうですか? ダンジョンの方は順調に?」

「いやー、順調ってわけじゃないですけど、何とか頑張ってます、ははは」

 他愛も無い話を二言、三言交わしながら、二人で席に戻る。


 大石さんはカフェラテに口を付け、窓の外に目を向けたまま、ゆっくりと話し始めた。


「壇さん……、見ちゃいけないものを見たことってありますか……?」

「え? 見ちゃいけないもの……ですか」


 ふと、風呂上がりの爺ちゃんと陽子さんを思い出す。

 いやいや、そういう事じゃないよな……。

 俺は、慌てて脳内ビジョンをかき消した。


「うーん、僕はないですかねぇ……、そもそも、秘密を扱うような仕事はしたことがないので……あはは」

「実は……自分、上司のメールを覗き見してしまったんです」


「え⁉ それってバレるとまずいんじゃ?」

「はい、というか……、もう、バレてるんです」

「いや、それ大丈夫なんですか⁉」

 大石さんは小さく頭を振る。

「そのメールを見た限りですが、どうやら先輩が不正を行っているらしくて……、それで今日、思い切って直接、先輩に訊いてみたんです」

「そ、それで……どうなったんですか?」


「……駄目でした。逆ギレされて、左遷をほのめかされました。ウチのトップの所長は事なかれ主義なんで、所長に言っても結局……、自分が馬鹿を見ると思います」

「そんな! 何なんすか、そいつら! その先輩も……所長さんも、二人とも大石さんの上司なんですよね? 一体、何のための上司なんだ!」

 

 俺は怒りに任せ、メロンソーダを吸い尽くした。

 クソッ! こんな時でも美味いもんは美味い!

 

「いや、こんなに親身になっていただいて……ありがとうございます。でも、大丈夫です、話を聞いてもらったら、ちょっと落ち着きました」

 大石さんは、カフェラテをくいっと飲み、そろそろ切り上げる雰囲気を見せている。


 メール、と言うことは……オンライン、だよな。

 怒りによって分泌されたアドレナリンと過剰に摂取した糖分が手を取り合い、俺の脳内を駆け巡る。今まで聞いた情報が紙吹雪のように舞い散り、点在していた情報がメロンソーダのような、鮮やかなネオングリーンの光りで繋がれていく。


 そうだ、俺には、ダンジョン協会の特別技術顧問を務める――母がいた。


「ちょっと待ってください! 僕に考えがあります。聞いてもらえますか?」

「え、あ、あぁ……はい」

 きょとんとした顔で座り直す大石さん。


「大石さんが直接言っても駄目だったんですよね?」

「ええ、取り合ってもらえませんでした」


「所長さんも頼りにならない?」

「はい、多分ですが」


「では、第三者がそのメールを見つけて、不正を明るみにするっていうのはどうでしょうか?」

「いやいや、壇さん、それはできないですよ。犯罪です、不正アクセスですよ」

 大石さんは、眉間に皺を寄せながら否定した。


「いえ、例えば、ダンジョン協会の特別技術顧問が、社内のセキュリティチェックを行った際に偶然発見したとなれば、どうでしょう?」

「ま、まあ、そうなれば話は変わってきますけど……。でも、自分のような事務社員と技術部は交流が無いので……」

「大石さん、もしかしたら力になれるかも知れません!」


 そう言って、俺はスマホの画面をタップした。

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