第六部

第126話 条例がでるみたいです。

 まだ外は薄暗かった。

 獣道を上っていくと、朝露に濡れた草の葉でジーパンが少し濡れた。

 俺は特に気にすることなくゲートを開け、ダンジョンに入るとデバイスを立ち上げた。


「ふわぁ……」

 欠伸をしながら珈琲を淹れる。


 昨日は遅くまで盛り上がり、結局片付けをして終わったのが夜中の2時くらい。

 モーリーは潰れちゃうし、猫屋敷さんとリーダーは肉全部食べちゃうし。

 ほんと、犬神さんが止めてくれなきゃ大変なことになってたな……。


「ふふ」

 でも、楽しかったなぁ。


 犬神さんが、簡単にモーリーを肩に担いだときは流石にびびったけど。

 どんだけ力強いんだっていう……。


「おはようございます」

 透き通るような声が響く。

 昨日は打ち上げで遅かったというのに、花さんはすっきりとした表情で笑顔を見せた。


「あ、おはよー、ちゃんと眠れた?」

「はい、昨日はお疲れ様でした。今日は無理を言ってすみません、教授がどうしてもって……」


「ぜ~んぜん、大丈夫大丈夫! 俺も気になってたし、調べてもらえるならありがたいよ。あ、珈琲飲む?」

「わぁ、ありがとうございます!」

 花さんはカウンター岩の席に座り、スマホを取り出した。


「あ、そろそろ到着するみたいです」

「お! マジで? いやぁ、ちょっと緊張するなぁ~、調査なんて始めてだし」

「大丈夫ですよ、すぐに終わると思いますから」

 俺は花さんに珈琲を差し出しながら、

「ふ~ん、そっか」と相づちを打った。


 それから数分も経たないうちに、表の方から話し声が聞こえてきた。 

「あ、来たみたいです、教授~、おはようございます」

 花さんがお辞儀すると、先頭に立っていた女性が「おはよう」と返した。


 ――え⁉

 ちょ、教授っていうから、てっきりお爺ちゃんみたいな人が来ると思ってたんだけど⁉


 教授と呼ばれた女性は、長い黒髪を後ろで一つに結んでいて、警察の鑑識みたいな作業着を着ている。

 ていうか、整いすぎた顔と作業着のギャップが凄い……。


 俺が勝手に勘違いしてただけだけど……まさかこんな綺麗な人が⁉

 後ろにいる大型犬みたいな男の人達の方が、よっぽど教授っぽいんですけど……。


「ど、どうも、おはようございます! 店長のだ、だ、壇ジョーンです! ほ、本日は……」

「ジョーンさん、そんな緊張しなくても」


「あ、ああ、そ、そっか、あははは……」

「君がジョーンくんかい? 山河大学モンス学部教授の鳴瀬なるせだ。いつも花がお世話になってるね、ありがとう」


「ふわっ⁉」

 唐突に手をぎゅっと握られて思わず変な声が漏れる。

 や、やばい、耳が燃えるように熱い!


「……ジョーンさん?」

 花さんがジト目で俺を見ている。

「あ、あはは! いや、その、突然だったもので……」

「ふふ、可愛らしい子じゃないか、なぁ花?」

「ちょっと、教授!」

 花さんの頬が少し赤くなった。


「はは、許せ。さて、店長、デバイスを少し見させて貰うよ?」

 急に仕事モードに入ったのか、鳴瀬教授はツールボックスをカウンター岩に置き、助手の男性に目で指示を出す。

「彼らは私の助手で、助川と角田だ。ほら、挨拶は?」

「どうも、助川です」

「角田です、宜しくお願い致します」

 二人ともやたらと顔が青白いが、身体はとても大きくて体格が良かった。


「ジョーンです、よろしくお願いします!」

 握手を交わし、俺は邪魔にならないようカウンター岩から少し離れた。


 鳴瀬教授がデバイスにコードをたくさん繋ぎ、角田さんがノートPCで何かをモニタリングする傍ら、助川さんは、配線を整理したり、機材の準備をしている。


「何か凄いね?」と、花さんに耳打ちする。

「あれでデバイスの計測値のログを取るんですよ」

「へぇ~」

 良くわからないが感心していると、鳴瀬教授が俺を見た。

「では、今から最下層の調査を行う、二時間ほどで戻るからゆっくりしていてくれ」

「あ、はい!」

「行くぞ、ほら、ぼぅっとするな」

 鳴瀬教授が助手の二人に声を掛けると、二人は「はい!」と背筋を伸ばした。


 ――数時間後。

 

「レイドバカンスの発生は確認できなかった、恐らく今回のレイドは、本来のレイドとは違う現象だろう」

 鳴瀬教授は縁なしの眼鏡を外し、助川さんに資料を渡す。


「花、悪いが今後二週間は私宛にデータを送ってくれ」

「あ、はい。わかりました」

 こうして見ていると、この空間の顔面偏差値が以上に高くて驚く。

 と言っても、この二人が上げているだけなのだが……。


「角田! 片付け」

「はいぃ!」

 角田さんは嬉々として機材の片付けを始めた。


「店長」

「あ、はい!」

 俺も思わず背筋が伸びた。


「このまま普段通りに営業しても問題は無いと思う。それと……」

 鳴瀬教授は、少し考え込むようにして、

「……まあ、発表は今日だし、これくらいのフライングはいいだろう」と、続ける。


「これはまだオフレコだが、県条例でダンジョン滞在時間に規制をかけようという動きがある。詳しくはニュースを見たまえ」

「え⁉ 規制……」

 瞬間、頭の中が真っ白になった。


「無論、私達は反対を表明したのだが……、すまん、政治には疎くてな」

「そんな、教授が謝ることじゃないですよ!」

 花さんが言うと、鳴瀬教授はにっこりと微笑む。


「花、ありがとう。私もやれることはやるつもりだよ。だが、現場の声というものが一番届くのだと私は信じている。ジョーンくん、応援しているよ、花をよろしく。では」

「あ、きょ、教授、ありがとうございます!」

 颯爽と帰って行く鳴瀬教授達に、俺は深く頭を下げた。


「ジョーンさん……」

「うん、とんでもないことになりそうだ……。まずは情報を集めなきゃ!」

「わ、私も手伝います!」


 ***


 ――東京・港区ダンクロ本社。

 洒落た低層オフィスの一室に、ダンクロ経営陣が集まっていた。


 緊張気味の若い男が、大きなモニターの前でプレゼンをしている。

「で、ですので、こ、こ、このように、わ、我が社の来客数は、前年比……」


「もう良い」


 場が凍り付いた。

 円卓を囲む12人の幹部達が、青ざめた顔で一人の老人を見る。


 ――渋沢団九郎、言わずと知れた業界最大手ダンクロの創始者であり現会長である。


「やれやれ、揃いもそろって……」

 団九郎は重いため息を吐き、腕組みをした。


 若い男は半泣きになりながら、オロオロと手元の資料をめくっている。


「か、会長、何かございましたでしょうか……」

 幹部の一人が恐る恐る団九郎に尋ねた。


 それを聞いた団九郎は悲しそうに目を閉じ、再び目を開いた。

「いいか? ワシは間違い探しなどしておらん。この会社をどうしていくか、未来を相談する為にここにおるのだ」

「そ、そうだ! 会長のおっしゃるとおりだ!」

 団九郎はジロリと発言した幹部を見据え、

「では、どうすればいいと君は思う?」と問いかけた。


「え、あ、それは……ぜ、前年比から考えますと……その……」


「……もう良い」

 団九郎は重いため息を吐き、完全に失望したと言わんばかりに手を振った。


 と、そこに社員が慌てて駆け込んで来た。


「た、大変です!」

「なんだね君は! 会長がおられるというのに!」

「そうだ! 会議を何だと思っているのだ!」

 口々に幹部達が、まるで失態を取り返そうとするように高圧的な態度を取った。


「この……馬鹿者どもがーっ!!」


 団九郎の一喝で再び場が凍り付く。


「すまんな、どうした? 何かあったのじゃろう?」

 鬼の形相から、仏のような笑みに変わり、団九郎は駆け込んできた社員に優しく語りかけた。


「あ、は、はい、たった今、うどん県議会に『ダンジョン依存症対策条例』が提出されました! どうやら、滞在時間に規制をかけようとしているようです!」

「「な、なんだと⁉」」

「気は確かか?」

「まあ、慌てなくとも田舎の条例にすぎんだろう?」

「いや、全国に波及する恐れもあるぞ」

 一斉に幹部達がざわめく。


「あ、あのー、モニターにニュースが流せます」

 プレゼンをしていた若い男が申し訳なさそうに手を上げた。


「ありがとう、映してもらえるかい?」

 団九郎がにっこりと微笑むと若い男は「はい!」とモニターを切り替えた。


『……条例案に賛成するうどん党県政会の議員は「条例をきっかけに、社会全体でダンジョン依存症対策に取り組むことで、次代を担う子どもたちの健やかな成長につながる」などと述べました』


「おい! 株価は? IRはどうする?」

※IR(Investor Relations:インベスター・リレーションズ)とは、企業が株主や投資家向けに経営状態や財務状況、業績の実績・今後の見通しなどを広報するための活動を指す。


「予算も修正が必要になるか……」

「出店計画の見直しもだな……」

「追加融資が必要になるかもしれんぞ」


「ひとつ……」

 団九郎がおもむろに呟いた。

 皆が一斉に注目する。


「自身の成長なくして、ダンジョンの成長なし」


「ひとつ、自身の夢なくして、ダンジョンに人は集まらず」


「ひとつ、自身の誇りなくして、ダンジョンに多様性なし」


「か、会長……」

「これは、ワシが創業時に掲げた理念、今ではカビの生えたようなお飾りになってしもうた」

「そ、そんなことはありません!」


 団九郎は幹部達の顔を一人一人見た後、口を開く。


「なぁ? 金は大事よ、それは百も承知。だが、金を生むのは『何か』を皆忘れておる。それは前年比でもROEでもない、「人」じゃよ」


「そ、それはもちろん、人事評価も最新のクラウドシステムを導入しましたし、カウンセラーの設置や福利厚生の面でも……」


「良い、わかっておる。やはり、大きくなりすぎたのだ……。もはやワシの手には余る」と、団九郎は手の平を見つめた。

(彼なら、こういう時にどう動くのか……ふふ、まぁ良い)


「――諸君、ワシは決めた。血を流す! この会社の為に、鬼と呼ばれた自分に戻ろう」


 幹部達は顔面蒼白になり、わなわなと震え始めた。



「経営陣を一新する。全社員に伝えよ、これより"下剋上"である、と――」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る