第105話 名古屋勉強会編⑤ 予期せぬ訪問者

 ――名古屋駅前、とあるカフェ。

 窓際のカウンター席でアイスラテをストローで飲みながら、俺はノートPCを開いた。


「さーて、釣れてるかなっと」


 画面には『九十九つくも』のロゴ、表示されたウィンドウにはプログラムコードのような文字列が滝のように流れている。


 俺はトイレで会った変な男を思い出して小さく笑った。

 くくく、あんな和顔でハーフって。

 悪い奴じゃなさそうだが、あの年でダンジョン経営をしているなんて、どこかのボンボンか、それとも見栄を張って嘘をついたのか――。


「さあ、答え合わせといきますか」


 画面に[complete]と文字が浮かぶ。

 俺は薄く笑みを浮かべ侵入ハックを開始した。


 壇ジョーンか……、名前は本当みたいだな。

 は? 香川? 香川って……どこだっけ?

 あぁ、あのうどんのところか。

 

 さらにスマホ内の深い階層へと潜っていく。

 写真フォルダには、ダンジョン内で接客している写真や外観写真、客との記念写真など色々な写真が収められていた。

 ふぅん、ちゃんとダンジョン経営してんじゃん。

 お、SNSもやってんのね。


 その時、耳障りな音がどこからか聞こえてきた。

 ん? こいつは……何の音だ?

 俺は辺りを見回すが、何も変わった感じはしなかった。

 耳鳴り……? まぁいいか。


 って、おい! これ、森さんじゃねぇか⁉


 俺は一枚の写真に目を見開いた。

 居酒屋でジョッキを合わせる二人、そうだ間違いない、森さんだ!

 もしかして……、平ちゃんとも?


 なんでこいつが?

 くそっ、軽い気持ちで覗いたらとんでもないもんが出てきやがった。

 こんな田舎のダンジョン経営者が、十傑と繋がってるだと?


 でも……、壇ジョーンなんて聞いたことねぇぞ?


 ちょ⁉ 良く見りゃ、この隣にいるの矢鱈堀介じゃん!

 マジでこいつ何者なんだよ⁉


「はぁ!?」


 ――思わず大きな声が漏れる。

 突然、目の前の画面が真っ赤に染まり侵入を示す警告アラートが表示された。


 チッ、何かと思えば。こんなことは何年ぶりだ?

 どこの誰かは知らねぇが……いいだろう、相手になってやる。

 俺は臨戦態勢に入り、侵入者にしかるべき罰を与えようと相手の特定を急ぐ。

 が、しかし……。


「な……」


 恐ろしいまでの速さ。

 俺の作った九十九層の侵入防壁が音もなく侵食されていく。


 チッ……、これはまずいな。相手を探すのは後回しだ。

 やむを得ず回線を切り、被害の状況を調べる。


「何が起こってる? クソッ! どういうことだ⁉」


 回線は確かに切断されている。だが、未だ敵は攻撃の手を緩めない。

 それどころか、もう殆どの防壁が突破されて……。


「ちょ……」


 は? おいおい、このPCに干渉すること自体不可能だろ⁉

 何かウイルスを仕込まれたか?

 再度確認するが、接続表示は全てオフライン状態になっている。


 手品じゃあるまいし、何かあるはずだ、何かが!

 だめだ、落ち着け。よーし、クールに行こう、クールに。

 OK、大丈夫だ。集中しろ! 頭を使え!


「何か、何かあるはずだ……」

 俺は考えうる可能性をひとつずつ潰していく。


 だが、この時、俺は既に本能で感じとっていたのかも知れない。

 必死に打開策を考えている最中も、頭の片隅にそれはあった。


 もう、本当は手詰まりなんじゃないか――と。


 背中に嫌な汗が滲み始めた。

 焦燥感に呼応するように、LANアダプタのLEDも点滅して……。


「あ」


 普段なら気に留めることもない小さな光。

 その小さな光から、ひとつの解を導き出した俺は戦慄を覚えた。 


 マ、マジかよ……こいつ、接続表示を……⁉


 何もかもが手遅れだった。

 こういう時のために用意してあったはずの自作ツール群や、攻撃プログラム。

 それらを使い対抗しようとあがいてみたが、まったく歯が立たない。

 それどころか、リアルタイムで俺のツールをハックして上位複製してみせる。

 いい趣味してやがるぜ……クソッ!。


 抵抗をあきらめ、画面を眺めながら呟く。


「お前は……誰なんだ?」


 と、その時――、スマホが震えた。


 こんな時にと、待受画面を見て俺は息をのむ。

 非通知表示どころか、スマホの画面に表示されていたのは番号ですらなかった。


『 IRΘIS 』


 おいおい……マジかよ、はは、さっきのあの音……、そういう事か。

 俺は震えるスマホを呆然と見つめた。


 Mosquito.IRΘISモスキート・アイリス

 ハッカーでこの名を知らない奴がいるだろうか?


 十数年前に忽然とネットから姿を消した伝説のホワイトハッカー。

 またの名を――17,6kHzの訪問者。

 MIC機能がないスピーカーにマルウェアを感染させ、超音波の発信、受信を可能にする方法を発明した紛れもない天才。


 通常、MICやスピーカーは、約17kHz~24kHzの超音波に近い周波数の音に反応する。それを踏まえて、ハードウェアのリスニング機能とMIC機能を逆転させるマルウェアを作成。


 IRΘISは、デバイスのスピーカーを受信機として使うという発想を用いて、エアギャップが存在するデバイスへの侵入を可能にしたのだ。


 侵入時にノック代わりのモスキート音を鳴らすことから、ではMosquito.IRΘISと呼ばれている。噂じゃ若い女だと言われていたらしいが……。


 俺は恐る恐る、電話を取った。


「……誰だ?」

『やぁ、九十九春つくも はる、私を知ってる?』

 エフェクトのかかった無機質な声色。

 今更、自分のフルネームを知られていても驚かない。


「ああ、あんたを知らない奴なんてにはいねぇよ」

『それはそれは』


「……」

 一体、何が目的だ? あのIRΘISが俺に何を?

 だがそれよりも、このタイミングは偶然なのかそれとも――。


『いいね、うん。君の作ったツールだけど、実に美しいコードがいくつもあった』

「そりゃどうも、あんたに速攻ハックされたけどな」


『私は少し覗いただけ』

「で、一体、何なんだ? こんだけしておいて、世間話がしたかったなんて言わないよな?」


 話をしながらもPCの復旧を図った。

 しかし、バッチを当てたそばから弾かれていく。

 

 ――クソッ!


 完全に支配下に置かれた画面を見つめる。

 俺はやれやれと天を仰いだあと、アイスラテのストローを咥えた。


『実はお願いがあって、彼に――いや、私の息子に悪さをするのはやめて貰えないかな?』

 思いがけない言葉に、ラテを吹き出しそうになった。


「む、息子⁉」

『ええ、訳あって息子のスマホに、私が作ったアプリを入れていてね。だから警報が鳴った時、とても驚いたわ。もしかして息子に悪意が迫ってるのかと。でも調べてみてわかった。君はどちらかと言えば、そっちにいた頃の私に近い存在。なら、少し話し合ってみようと思って』

 

 ……にわかに信じがたい話だ。

 IRΘISってだけでも信じられないくらいなのに。


 ただ、仮にこいつがIRΘISでなかったとしても、これだけの腕を持つ相手、既に何かしら俺の急所を掴んでいるはず……。


「チッ、別に何もしてねぇよ。それにする気も失せた。それより、あんた自分の身元がバレてもいいのか? あのIRΘISの素性だ、引退したとはいえ欲しがる奴は多いと思うが?」

『んー、まぁ嫌ではある。が、何とでも対処は可能……ってところかな。もちろん、それなりの報復を含めてね』

「……嫌な奴」


『それは肯定と受け止めてもいいのかしら?』

「ああ、この件について俺は何も知らない、覚えてもいない。お前もそうだろ?」


『ええ、それでいいわ』

 そっけなく答える無機質な声の奥から、子を守る親の気迫のようなものを感じた。


 ふんっ、正直、興醒めだ。

 彼女がまだの人間なら、とことんやり合う道もあっただろう。

 伝説のハッカー相手に、自分がどこまでやれるのか試してみたい気もある。

 だが、もう彼女はIRΘISではない――、ただの母親なのだと俺は理解した。


「じゃ、そういうことで」


 俺が投げやりに言うと同時に、通話が切れる。

 PCの画面の中央には『 Hello, World! 』の文字が残されていた。


「あーあ、白けたわ……」

 九十九春つくも はるは無造作にノートPCを閉じた。

 氷が溶けて薄まったラテを飲み干し、カフェを後にした。

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