第104話 名古屋勉強会編④ 春とトイレ

「ふぅ~」


 綺麗なトイレだなぁー。

 凄く広々としていて床も壁もピカピカ。

 便器も綺麗すぎて、用を足すのにどこか背徳感を感じてしまうほどだった。

 しかも、洗面台は自動で水と石鹸が出るタイプで、乾燥機まで……。


 俺はふと、D&Mのトイレを思い浮かべ……ハッと気付いた。


 ――俺、間違っていた!

 

 トイレは必要最低限、用が足せればいいと思っていた。

 むしろ少し無骨なくらいが丁度いいとさえ……。


 そういえば……、花さんや女性客が、D&Mのトイレを使っているのをあまり見たことがない。

 ここまで綺麗にする必要はなくとも、女性でもストレスなく使用できて当たり前だ。

 

 そうだよ、なんで気づかなかった?

 都合の良い『シンプルイズベスト』で誤魔化せる時代は、とっくに終わってるというのに!


 付加価値を高めようと努力しない店は淘汰される。

 これはどの業界でも同じこと。


 現状では、探索後のダイバーに対して、おしぼりや飲み物などの用意はしてある。

 最近は、花さんが教えてくれた『ハルキノコックス』という良い香りのするキノコをいた物を、洗濯の時に混ぜているので、女性ダイバーの評判も良かった……。


 俺はわかったつもりで、うぬぼれていたのだろう。

 誰かに言われてからでは遅いのだ。

 お客さんの目線に立っていないから、こんな基本的なことにさえ気付けないのだ。


 よし、帰ったらまずトイレの改装をしよう。

 ただ綺麗にするのではなく、ダンジョンらしく遊び心、かつ清潔感のあるトイレに!



 脳内で図面を引きながら手を洗っていると、隣に青く髪を染めた若い男が立った。


 セミナーに来ている人だろうか。見た感じは、俺と同じ年か少し下くらい。インドアな雰囲気で身体の線が細く、パッと見ると女の子みたいだが、耳にはすごい数のピアスが並んでいて、首筋からはトライバル風のタトゥーが覗いている。


 うわー、ピアスが紅小谷より多いかも……。

 攻めてるなぁーと、純粋に感心していると突然男が口を開いた。


「なんかさー、AXCISっていうからさー、期待しすぎたっていうかさー」

 ん? あれ、俺に言ってるのかな?


「ちょっとレガシーな感じがしたよねー。ただ、ノート売るのは上手いよ。ははは!」


 鏡越しに様子を窺うと、イヤホンを付けているのが見える。

 そして、誰かと電話してるんだなとわかった瞬間、男と目が合った。


「悪い、平ちゃん、後でかけ直すよ、うん、じゃ――」


「ねぇ、お兄さん? 何か俺に付いてる?」

 電話を切ると同時に、真正面から俺を見据える男。


 たぶん睨んでいるんだと思うんだけど、あまりにも中性的な顔立ちのせいか全然怖くなかった。綺麗な顔してるなぁーってくらいしか思わない。もしかすると、いつも豪田さん達を見てるから免疫ができたのかも。

 ただ、面倒はごめんだし、俺もいい年した大人であるからして、ここは穏便に済ませたいところだが……。


「いや、そんなつもりじゃないです」

 俺はなるべく相手を刺激しないように、フラットな感じで答えた。

 こういうのは、下出に出すぎても駄目なのだ。


 少しの間、男は俺を睨んでいたが、ふと目元の力が抜けるのがわかった。

 お、あきらめてくれたのかも。


「ふぅん、まぁいいや。お兄さん、?」

「え、あ、はぁ、まあ一応……」


「そっか、そっか、ね。ククク……、ま、頑張ってよ」

 男はふんと鼻で笑って、俺の肩をぽんぽんと叩いた。


 指にはめられた蛍光色のアクリル素材や、奇抜なデザインのシルバーリングが目に付く。

 どれもカッコよく、しかも、今まで見たことがないような独創的なものだ。


 創る人、と尋ねるということは、自分でも何かを創っているのだろうか?

 俺は腹が立つよりも、この男が一体何者なのかが気になった。


 思い切って立ち去ろうとする男を呼び止める。

「あ、あの! え、えーと、僕は香川でダンジョンをやってる壇ジョーンっていいます、もしかして、その……、セミナーにいらしてますか? なんて、あははは……」


 ピタッと男が立ち止まった。

 振り返り、俺のことを上から下まで見ると、

「へぇ、ダンジョン経営してんだ?」と訊いてくる。


 どうやら、興味を持ってくれたようだ。


「はい、まだ十六階層ですけど……、モンスは中々揃ってると思います」

 男の表情が和らぎ、さっきまでの刺々しさが嘘みたいにフレンドリーになった。

「あー、悪い。俺、てっきりニワカくんかと思ってさ……。しっかし、変わった名前だよね?」

「こう見えて、一応ハーフなので……あはは」

「あははは! マジで? 全然見えないじゃん⁉」

 男はゲラゲラと笑うと、おもむろに長財布から名刺を取り出した。

「あんま渡すことってないんだけどねー、笑わせて貰ったからさ、これ特別サービス」

「あ、ありがとう……」


 名刺を受け取り、俺は叫んだ!


 ――――――――――――

 Indies Wepon 九十九

 

 九十九つくも はる


 QRコード付

 ――――――――――――


「つ、つ、九十九ーーーーーーっ⁉」


 おいおい、九十九だと⁉

 嘘だろ⁉ あの九十九? マジで?

 ていうか、このQR何? 気になる!


「知ってた? 嬉しいね、ははは!」

「い、いや、知ってるも何も、超有名ブランドじゃないですかっ!」


 凄い! 今、このビルにはインディーズ・ウェポン界のカリスマブランド、AXICSと九十九が……。



「あ! 先、言っとくけど、俺は他人に教えるのは無理だから、そういうの聞かないでね。まぁ、縁があれば、また会うでしょ? じゃー、お先に」

「あ、あれ、勉強会は……?」

「ん? あぁ、これといって収穫なし。ま、悪いとまでは言わないけど……、俺のやり方には、ちょっと合わないかなぁー」

 春さんはそれだけ言うと、小さく手を上げて去っていった。


 九十九の春さんか……。

 うぉおおおお!

 名刺を持つ手が震える。

 ミーハーと言われても良い! 嬉しいものは嬉しいのだ!


 あ、あれ? でも九十九って、確か有名なハッカーが運営してるって噂だったような……。俺はスマホで検索をしてみた。

 ――――――――――――――――――――――――

 <Indies Wepon 九十九>

 

 近未来的な造形と攻撃性能の高さで、若年層からの圧倒的支持を得た。

 取引はすべて代理人を通して行われ、買い切り武器は全て高額の超ハイ・ブランド。

 創設者の九十九氏は、デバイスから持ち出す度に、DP使用料が課せられる『課金式武器※』の発案者でもある。

 

 ※特許出願中:特願201X-XXXXXX

 ――――――――――――――――――――――――


 うーん、なんというか、職人肌の小林さんとは対照的な気がする。

 考え方が合わないのも、当然なのかも知れない。


 俺の場合、小林さんのようにノートをつけたりする方が好きだ。

 やっぱり職人さんって憧れるし、自分の手で作り出している感じがカッコいいと思う。


 でも、春さんのように、時代の最先端をいくようなスタイルにも憧れてしまうよなぁ……。


「はぁ……、難しい……」


 まぁ、欲張りすぎるのもあれだし、俺は俺で地道にやってくしかないか。

 いつか俺も、自分のスタイルを確立したいものだ……。


 あ、そうだ!

 このQR読み込んでみよーっと。


 名刺のQRにスマホのカメラを向けると、画面にURLが表示された。

 タップしてみると、九十九のブランドロゴ待ち受け画像が!


「おぉ! カッコいい!」


 このままSF映画に出てきそうなデザイン。

 自分でデザインしたのかな?

 

 うーん、俺も挑戦してみたいけど、そんなに簡単にはできないだろう。

 やりたいことはどんどん増えていくけど、自分の能力が追いつかない。


 まぁ、他人と比べても仕方がないんだけど……。


「それよりも……、まずはトイレだな」

 スマホをポケットにしまい、俺は大きく背伸びしながら会場へ戻った。

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