第103話 名古屋勉強会編③ 質疑応答

「では時間も限られていますので、早速始めていきましょう。えー、王さんからも少しありました、『基本素材の効率的な加工法』からご説明させて頂こうかと思います、どうぞ宜しくお願いします」


 小林さんは取り出した指示棒で、ホワイトボードの『ジュ』を指し、

「まず、樹液ですね。えー、加熱、冷却、混合、ろ過……、多様な加工法がありますが、武器や防具を作る際に、私がまず考えること。それは『完成図を頭に描く』ということです」と言って会場を見渡した。


 どこか不安そうだった皆も、聞き逃すまいと真剣な表情で話を聞いている。


 そりゃそうだ、なんたってあの小林さんの話が聞けるんだし。

 俺もメモ帳に走り書きで要点をまとめていく。


「ですので……、というわけです。ここまでで、ご質問はありますか?」


「はい!」

 若い男が元気よく手を上げた。


「どうぞ」

 男は席を立ち、

「例えば、粘液を加熱している最中に、樹液を少量ずつ混ぜていく場合、樹液の温度を合わせてやる必要はあるんでしょうか?」と質問した後、再び席に座った。


「これは大変良い質問ですね、ありがとうございます。えー、解説します。この質問で考えなければならないことは、まず何の粘液か? そして何の樹液を、どのような効果を狙って混ぜようとしているのか――です。なぜなら、この質問の答えは、ケースによって変わるからです」

 小林さんは、ホワイトボードの文字を消しながら話を続けた。


「例えば、リュゼヌルゴスに代表されるような凝固系の粘液を、ナイフなどのベース素材として使いたい場合――。一般的には硬度上昇を狙って、アバレウコンの樹液を混ぜるケースが想定されますよね? その時、樹液の温度を粘液に合わせたとすると、何が起こるのか? 皆さんご存知の通り、アバレウコンの樹液は、単一で加熱して沸点を超えた場合、ポリウレタンのように変質してしまいます。ですが、リュゼヌルゴスの粘液に混ぜ入れる場合に限って、この変質は起こりません」


「異議あり!」

 後ろの方に座っていた、初老の男性が立ち上がる。


 周りの人達は、水を差すなと言わんばかりに迷惑そうな顔を向けた。

 小林さんは動じることなく「どうぞ」と、柔らかな口調で手を差し出し、王さんにアイコンタクトを送った。


 脇に控えていた王さんがマイクを渡すと、男性は大きな声で話し始めた。

「あ、あー。えー、小生は以前、その同条件下で実験を試行した事があるが、突然樹液が変質し、右手第二指側爪郭そくそうかくを熱傷しそうになったことがある。あまりいい加減なことを言うのは、安全上の観点からしても、同じ志を持つ同志としても看過できない。ご説明を願えるかな」


 あれ、この現象って動画で見たことがあるぞ……。

 樹液には消費期限のようなものがあって、貯め置きすると性質が変わるという実験だった。


 リュゼヌルゴスの粘液に樹液を混ぜ入れる作業で、わざと変質したアバレウコンの樹液を使いポリウレタン化させる……、確か『アバレウコンの樹液タイマー問題で、ドッキリ大アバレ⁉』だったか?


 小林さんが男性に静かに頷く。

「ご質問ありがとうございます、ではご説明を。まず、なぜ変質したのか? についてですが、これは学会では『樹液タイマー問題』と言われています。ダンジョンの植物から採れた樹液、モンスの体液などにも一部同じようなものがありますが、時間の経過、保存方法などで性質が変化してしまうという問題です。これは大変厄介な問題と言われていますが……、皆さんはどう思われますか? 私は、むしろ創作の幅が広がると考えていまして、要は、どういう条件下で、どう変質するのかさえ把握しておけば何も怖いことはなく、逆に利用できると思いませんか?」


 先程の男性が口を挟んだ。

「あー、ちょっと失礼。そのタイマー問題うんぬんはさておき、そんな膨大なデータを誰が持ってると言うのか? まさかデータを買えとでもいうつもりじゃないだろうね?」


 会場がざわついた。

 言いたいことはわかるけど、このおじさん何かズレてんだよなぁ……。

 むしろ、そんな貴重なデータが金で買えるのなら買い手はいくらでもいると思うが。


「――確かに膨大なデータになるでしょう」

 小林さんが口を開くと、会場がまた静かになった。


「ですが、その作業を楽しいと思えない方に、インディーズ・ウェポンの世界は厳しいかも知れません……」


 男性が凄い剣幕で声を荒げた。

「な、なんだと! しょ、小生を侮辱する気かっ!」


 小林さんはスッと手を上げ、

「落ち着いて下さい、私は敵ではありません。先程、同志だとおっしゃってくれたではありませんか」と言って、胸元から一冊の手帳を取り出した。


「御覧ください、皆さん。これが何かわかりますか?」


 そう言って、ページをパラパラとめくって見せた。


 ――古びた手帳。

 色違いの付箋がたくさん貼られ、ヨレたページにはびっしりと何かが書き込まれている。


「この手帳は、私の素材ノートです。自分なりに、様々な条件下に置いた素材の変化を記録しています。これと同じ様なノートが……、そうですね――あと五十冊くらいはあるでしょうか」


 会場がどよめく。

 ご、五十冊って一体、どれだけの試行錯誤を重ねれば……⁉


「私も皆さんと同じです、例外はありません。初めはたった数行、走り書きのメモから始まりました。いきなり五十冊書け、なんて誰も言いません。ただ、自分の素材ノートを持つのはとても便利です、情報の共有も簡単ですし、記憶と違って正確です。スマホで動画や写真で記録するのもいいかも知れません。大事なのは、記録を残す――ということなんです」


 しーんと静まり返る会場。


 そうか、俺も記録を取らないで済ます事が多い。今後のことも考えると、一度ちゃんとした記録法を考えておくべきか……。


「効率的な加工法というのは、蓄積されたデータによって変わる。皆さん、これを意識してみて下さい」

 小林さんが深く頭を下げると、タイミングよく王さんが飛び出してきた。

 

 いつの間にか用意されていた物販コーナーに手を向けて、

「ハイハイ、良くわかったねー。お休憩のお時間です、皆さん三十分ですよ。お向こうで、お素材ノートのお販売があるよーっ! とてもお買い得ー」と声を張る。


 皆は吸い寄せられるように物販コーナーに向かい、素材ノートを買い求めている。人だかりの中には、さっき怒っていたおじさんの姿もあった。

 

 うぅむ……お見事。

 しかもAXICSのロゴ入りかぁ、うぅ……買わざるを得ない。

「落ち着いてからにするか……」

 俺は物販に群がる同志達を横目にトイレに向かった。

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