第106話 名古屋勉強会編 完 ありがとう小林さん
会場に戻ると大半の人は席に着いており、午後の部の始まりを待っていた。
物販コーナーはかなり落ち着いたようで、売り子の
俺が物販コーナーに近づくと、王さんがピクンと反応した。
「ハイハイ、おノート、おメモ、お鉛筆もあるよー、ハイハイ……おノート……」
疲れているのか、
まぁ、あれだけの人数を捌いたんだ、無理もないか……。
王さんに同情しつつ、俺は商品を物色する。
テーブルの上に並べられていたのは、
「て、手堅い……」
この辺の商品構成も、今までの経験から売れ筋を残した結果なのだろう。
『 小林ノート B5サイズ 一冊 2800円 』
――理解できる。
心機一転して、何かを始めるきっかけになると考えれば、安い値段だ。
現にこの価格帯の高級ノートは数多く発売されているし、買い求める人も多い。
AXCISの型押しロゴも入っているし、ハードカバーでゴムバンドもついている。
紙の質も当然良いはずだし、裏写りなんてしないはず。
ただ、俺としては、できれば同じ種類のノートに書き続けたい派……。
何冊か増えてきた時に一冊だけ違うノートとか耐えられないのだっ!
それに、いつでも継続して買えるものじゃないし、この値段で買いだめをするほど金銭的な余裕もない――。
俺は小さく頷き、一冊の小さいメモ帳を手に取った。
うん、これならば、使い切りで済む。
『 小林メモ A7サイズ 一冊 980円 』
クッソ高ぇ!
100均に行けば似たようなメモ帳が9冊買える。
……だがしかし!
それは似たようなメモ帳であって、このメモ帳ではない。
こいつはこの場でしか買えない、AXCISの型押しロゴ入りメモ帳。
そう、今日、この場でしか買えない!
980円中900円くらいは、メモリアル代なのだっ!
文字を書き留めるだけのメモなら、それは俺だって百均で買う。
だが、このメモ帳には10倍の金を払う価値がある……はず。
それは使うことの高揚感であったり、作業の継続性を高める効果、見た目のカッコよさや、耐久性、書き心地……。(まぁ、他にも色々あるかも知れないが)
「よしっ!」
俺は千円札とメモ帳を握りしめ、王さんのところへ行く。
「おありがとーございますー。これお釣りよー」
「どうも、ありがとうございます」
王さんは笑顔で対応してくれたが、なんとなく眼に輝きがない。
――頑張れ王さん、もう少しだぞ。
俺は心の中で応援しながら、会場に戻った。
席に着くと、陳さんが後半の準備を始めていた。
待っている間、俺はAXCISメモ帳に、新たなトイレのアイデアを何点か箇条書きで書き出してみることにした。
するとどうだろう、あまり悩むことなくアイデアが浮かんでくる。
突拍子もないものが多いが、こういうのは勢いが大事だ。
後で忘れた頃に見ると、意外ときっかけをくれることも多いからな。
お、始まるか――。
俺は背筋を伸ばして、小林さんの登場を待った。
***
――名古屋駅、名鉄バスセンター前。
小林さんは、一仕事終えた男の顔になっていた。
「今日はわざわざ遠いところから、本当にありがとうございました」
「いえいえ、何を言うんですか! 勉強させてもらったのは僕の方です。それに、めちゃくちゃ楽しかったです!」
「それは良かった。いやー、緊張して上手く話せなかったなぁと思いまして……」
「いやいや、本当にわかりやすかったですし、何より小林さんのお話を聞いて、何か一皮剥けた気がします!」
小林さんはうんうんと頷き、
「私の話が少しでも役に立ったのなら、それはとても光栄なことです。これからもお互い、頑張りましょう」と、手を差し出した。
「小林さん……」
俺はその手をしっかりと握り返した。
「頑張ります! 手始めに、帰ったらトイレの改装をするつもりです。あ、完成したら写真送りますね!」
「ト、トイレですか? やっぱり、ジョーンさんは独創的な人ですね……」
小林さんがボソッと呟く。
「え?」
「あ、いえいえ、何でもないです。では、TOT●に負けないようなやつを期待してますよ?」
「ちょ、それはハードルが……」
「ははは。あ、そろそろ時間ですね。では、またお会いしましょう」
「はい! 小林さん、ありがとうございました!」
俺はバスに乗り込み、席に着くと窓ガラスを覗いて小林さんを探した。
しかし、小林さんの姿はどこにもなかった。
もう、行ってしまったのかな……。
少し残念に思いながら、俺はメモ帳を膝の上に置いた。
プシュッ! と音が聞こえ、バスがゆっくりと進み始める。
バスセンターを出て駅前の道に出ると、そこには手を挙げる小林さんの姿があった。
「あっ!」
待っててくれたんだ……。
「うぉーっ小林さーん! ありがとうございまーすっ!」
窓に張り付いて手を振っていると、後ろからトントンと肩を叩かれる。
「失礼しますお客様、申し訳ありませんが他のお客様のご迷惑になりますので……」
「あ、あぁ、すみませんっ、つい……」
俺は周りのお客さんたちに頭を下げ、席に座って小さくなった。
再び窓の外に目を向け、流れる景色を眺めながら俺はメモ帳を開く。
――さてさて、新しい武器も考えないと。
***
その頃、D&M十四階層、ケットシー・パレスでは……。
「もう許さニャイよ! 誰がこのダンジョンの支配者か教えてやるニャムーッ!」
エンペラービートルの殻で作られた器が、カランカランと床に転がった。
「「御意!」」
仁王立ちで鼻息を荒くするケットシーの横には、半纏姿の猫又たちが控えている。
以前よりもその数は増え、いまやパレスの外にまで猫又が溢れるまでになっていた。
その猫又たちのすぐ後ろで、煙管を吹かしながら横になっていた五徳猫が、ムクッと起き上がり不思議そうな顔で尋ねる。
「なぁ、そもそも……、なんでそんなに怒ってんだ?」
「ニュ……。う、うるさいニャムーッ! あの犬っコロに上下関係を叩きこんでやるのニャ!」
「やれやれ、要は気に喰わないだけか……。言っとくがおれぁどっちの味方もしねぇよ? 面倒は御免だし、あの旦那とは事を構えたくねぇんだ。悪いが……、まぁ、頑張ってくれ」
「な! たとえ五徳殿と言えどもケットシー様にそのような……」
いきり立つ猫又たちに、ケットシーは丸い肉球を向けた。
「よいニャムよいニャム」
「しかし……」
「所詮、こ奴は我が眷属ではニャイ、はぐれ者ニャ。捨ておくニャム」
「ぎょ、御意……」
「やれやれ、じゃあ次の畑当番忘れないでくれよ?」
五徳猫がジロリと猫又達を睨んだ。
すると、一匹の猫又から「ひゅ」っという音が聞こえ、何かを誤魔化すように身繕いを始めた。
それを見た五徳猫はフッと小さく笑うと、ダンジョンに消えて行く。
去り際に残した紫煙が小さな魚の群れに姿を変え、パレスの中を回遊し始めた。
しばらくの間ケットシー達は「おー」とか「ニャム~」などと感嘆の声を漏らしながら煙の魚群を鑑賞していたのだが、そのうちゴロゴロと喉を鳴らしながら、気持ちよさそうに寝始めてしまった。
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