第五部

第100話 夜行バスに乗りました。

「いってらっしゃいませー」

 俺は花さんと、ダンジョンに入っていくダイバーを見送った。


 イベントもついに最終日。

 今日は大学のゼミが休みらしく、花さんがヘルプに入ってくれている。


 この一週間は、あっという間だった……。

 打ち出の小槌とでもいうべき、愛着の湧いた金色のサイコロとも今日でお別れ。

 色々と問題はあったが、コボルトやベビーベロスも復活を果たしたことだし、イベントの方も問題なく終われそうだ。


 しかし、このイベントは破格だったなぁ~。

 また協会がこういうのやってくれるといいんだけど。


「名古屋にはいつ行くんですか?」

「あ、うん。今日の閉店後に夜行バスで。明日は定休日だし、明後日には戻るよ」

「うわー、何かワクワクしますね? 戻ったらどんなだったか聞かせてください」

「うん、しっかり教わってくるよ。へへ」



 ――閉店後。

 俺は誰もいなくなったダンジョンで細々とした後片付けや、明後日の開店準備をする。


「あー、そうだ。一応、十六階層の様子を見ておくか」


 念の為、ルシール改と回復薬を入れた探索者のポーチを持ち、CLOSE状態のダンジョンに入った。

 ついでなので、一階から順に異常がないかチェックをしながら下りていく。


「ヒカリゴケも良い感じに馴染んできたな……」


 少し輝度が下がって、光が柔らかくなった気がする。

 階段にかけた樹液が劣化し、ただの染みのようになっていた。

 帰ったら、もう一度樹液をぶっかけておくか……。


 五階のマッド・グリズリーを起こさないように、そっと横を通り抜ける。

 こいつは寝返りも尋常じゃなくイカれてる。

 傍から見るとのたうち回っているようにしか見えない……。


「んー、この辺も少し模様替えしたいなぁ……」

 俺は壁を触りながら、全部古代壁に変えたらカッコいいかもな……と、考えながら、小部屋を一部屋ずつ見て回った。

 すると、奥の通路に何かが横切る。

「あれは……」

 また、ケットシー辺りがウロついているのか?

 そのまま奥に行ってみると、通路の奥で何かゴソゴソとやっているモンスがいる。


「五徳猫?」

 俺の声に気付いた着流し姿の五徳猫が、キラーンと目を光らせてこっちを見た。


『おや? ああ、管理者の旦那かい』

 五徳猫がヒタヒタと近くまで寄ってくる。


 俺は一瞬身構えたが、五徳猫は大きな肉球を向けて、

『まあまあ』と笑ったように見えた。


「な、何やってたの?」


『ん? ああ、こいつらどこでも寝るからな。端に避けてたんだ』

 見ると、壁に持たれるように座るスケルトンが三体並んでいた。


「それはご苦労さまです……」

 モンスがこんな事するなんて、うーん不思議だ。


『で、旦那ぁ、今日はどこへ?』

「ああ、一番下まで様子を見にね」

『へぇ、そうかいそうかい』

 五徳猫は袂をまさぐる。

『あれ、煙管を置いてきちまった。……じゃあ、俺はこのへんで』

「あ、うん」

 そのまま首を傾げながら、五徳猫は迷宮フロアの奥へ消えていった。


「ふぅ~……」

 大きく息を吐き、五徳猫にはCLOSEは関係ないんだなと俺は思った。

 ケットシーといい、猫系モンスは何か特殊な力があるのかも知れない……。

 今度、花さんに教えてあげよう。


 それから何事もなく密林フロアを抜けて、十六階層に着いた。

 そっと、足音を立てないようにして、ゆっくりと進む。


 俺は迷宮フロアと洞窟フロアの中央に作ったセーフゾーンから、奥を覗いてみた。

 奥にはまた一回り大きくなったベビーベロスが、地鳴りのような鼾をかきながら寝ている。


「こうして見ると……でかいな」


『立派なもんだろう』


「うん、迫力あるよ……、え⁉」

 咄嗟に振り向くと、老齢のコボルトが両手一杯に木の枝を抱えて立っていた。


「コ、コボルト⁉」

『前にも会ったな、管理者だったか?」


「あ、うん」

 紺柴という種類のコボルトなのだが、所々体毛に白髪が混ざっている。

 身体には古傷のような跡があり、まさに古強者といった貫禄があった。


『何か用か?』

 コボルトが鋭い目を向けた。


「い、いや、ちょっと様子を見てただけで、あはは……」

 コボルトは『そうか』と言って、奥へ歩いていく。

 俺はこのまま戻ろうかとも思ったが、ちょっと気になって後ろから着いていった。


 コボルトは、洞窟フロアの奥で木の枝を下ろした。

 そして一本の木を手に取り、眠っているベビーベロスの側に向かう。


 な、何をするんだろう……?


 コボルトは口を半開きにして眠るベビーベロスの口元に木枝を差し入れた。


「⁉」


 そして、コボルトが木枝を抜くと、薄い粘液が付着しているのがわかった。


 ――あれはベロスの涎⁉ 


 コボルトは涎の付着した枝を溶岩泉にかざす。

 すると、ポッと勢いよく火が灯り、その火種を使って火を焚き始めた。


「す、すごい……燃焼剤みたいだ」

 キャンプみたいになってんじゃん!


『何だ? 火が珍しいのか?』

「い、いや……」


 コボルトは特に返事もせずに、椅子代わりの石の上に座ると、腕組みをしながらぼうっと火を眺めた。

 揺らめく炎が、コボルトの瞳に反射する。

 少し眉根を寄せ、静かに目を細めるコボルトに話しかけるのは、なんだか無粋な気がした。


「じゃ、じゃあ戻るよ」

 コボルトは俺を一瞥すると、また炎に目を戻す。

 俺はそのまま何度か振り返りながらフロアを後にするが、コボルトが俺を見ることは一度もなかった。



 カウンター岩に戻って、お茶を飲みながら、あの『涎』手に入らないかなーと考えてみる。

 あ、そうだ、メンテナンスにして採っちゃえばいいか?

 名古屋から戻ったら試してみよう……。



 ダンジョンを後にした俺は、家で荷物の用意を済ませたあと、居間でテレビを見ていた爺ちゃんと陽子さんに声を掛けた。

「ちょっと名古屋いってくる」

「おー、気をつけての……」

 そのままテレビに向き直ろうとした爺ちゃんが、

「ん? 名古屋? お前名古屋言うたか?」と声を張った。


「うん、明後日には戻るからー」

 俺は玄関から答える。。

「……まあええわ。近所の土産は忘れるなよー?」

「わかったー」

 靴を履き終わったところに、陽子さんが見送りに来た。

「ジョーンくん、気をつけなきゃ駄目よ」

「あ、はい! じゃあお土産買ってきますねー」

 陽子さんに大きく手を振り、俺は駅に向かった。


 ――高松駅。

「えーっと……さぬきエクスプレス号、お! あったあった……」

 止まっていた夜行バスに駆け寄る。

 丸みを帯びた車体には、風をモチーフにしたような青赤黄のラインが入っていて速そうだ。


「すみません、お願いします」

「はーい、どうぞ」


 手荷物を預け、バスに乗り込み座席に座る。

 俺は早速、窓から外を眺めた。


 ぽつぽつと人が集まってくるのが見える。

 意外と利用する人っているもんなんだなぁ……。


 ガラガラだった座席は埋まり、程なくしてエンジンが掛かる。

 プシューっという音と共にドアが閉まった。


 いよいよだ……。


 ゆっくりとバスが進み出す。

 流れる街灯をしばらく見つめたあと、俺はゆっくりと目を閉じた。

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