第90話 気を引き締めたいと思います。

 閑静な住宅街の一角にある、モダンな戸建て住宅。

 壁に囲まれた敷地内には、手入れされた芝生の庭があり、ガレージ付きの車庫には高級車が並んでいた。


 慣れた様子でカメラ付きのインターホンを鳴らす、絵鳩。

 モニターが映り、「おつ」と蒔田が眠そうな顔を見せた。


 すぐに鍵が開き、絵鳩が大きな扉を開けて中に入る。

 ピカピカの石床が敷かれた玄関、洗練されたデザインの家具、塵一つ無いフローリングには、ふわふわの羊毛ラグが。絵鳩はそっとラグを避けるように歩き、二階へ続く階段を上ると蒔田の部屋に入った。


「おっつおーつ」

「ん」

 白衣姿の蒔田が何か作業をしながら返事をした。

 絵鳩が部屋の中を見て、一瞬固まる。

「ちょ……、ど、どうしたの、これ?」

 広いはずの蒔田の部屋が、なんだかよくわからない物で溢れかえっている。


「ん、あー、片付ける暇なくて……」

 夜勤明けのドクターのように、ボサボサの頭を掻きながら答える蒔田。

「ね、寝てないの⁉」

「あー、うー。いつ寝たっけ?」

「……」

 絵鳩は諦めたように頭を小さく振った。


「ねぇ、何か飲む?」

「いいねぇ、頼んだよ助手くん」

 手に持った棒ヤスリで絵鳩を指す。

「誰が助手よ、もう」


 蒔田の部屋は広く、奥には簡易キッチンまでついている。

 無いのはお風呂とトイレくらいだ。


 小さな冷蔵庫の中には、タピオカミルクティー、イチゴオレ、オレンジジュースなど色々な飲み物がストックされ、上の棚には珈琲の粉をはじめ、チョコレート、メイプルシロップ、シナモンパウダーなどトッピング類も充実している。


「ミルク入れる?」

「んー、1:0.618ぐらいで……」

「はぁ?」

 絵鳩はやれやれと珈琲メーカーに粉と水をセットして、マグカップを二つ用意した。

 コポコポと珈琲がポットに溜まっていくのを眺めながら、絵鳩が呟く。

「いい匂い。私も部屋にキッチン欲しいなぁ……」

「作れば?」と、蒔田が振り返る。

「どうやって作るのよ? それにそんなことしてたらパパに殺されるわ」

「世知辛いのぉ……」

 そう言いながら、キッチンの側にある小さなテーブルに蒔田が座った。


 絵鳩は手慣れた手付きで冷蔵庫からミルクを取り出し、熱々の珈琲に注ぎ入れたあとホイップクリームを浮かべる。そして、上からココアパウダーを振りかけ、

「はい、どうぞ」とテーブルにカップを並べた。

「わーい、ありがと」

 珈琲を抹茶のようにちびちびと飲み、蒔田が「ほふぅー」と息を吐く。


「ねぇ、何を作ってるの?」

「ん? 今はねぇ、樹脂金型」

「なにそれ?」

「うーん、クッキーとか焼く時に型にいれるでしょ? あれあれ」

 テーブルの上に置いてあったチョコをパクっと食べた。

 絵鳩もつられてチョコを口に入れ、

「ふぉんなの作ってふぉうすんの?」と訊く。

 蒔田は「へへ、お小遣い稼ぎ」と言って、にぱっと笑った。


 部屋の中に、うず高く積まれたダンボール。

 3Dプリンタの周りに散らばった何かの部品や、固形物を見た絵鳩が、「う、売れるんだ……」といって、指に付いたチョコをぺろっと舐めた。


「イエス。でも、もうやめる、注文がとまんなくて身体が持たない」

 目頭を抑えながら、深くため息をつく蒔田。

「そんな町工場のおじさんみたいなこと言って……」

「ま、サイトも閉めたし、後は……今、作ってるの発送したら終わりだから」

「そっか、てか何で小遣い稼ぎ? まっきー必要なくない?」


 チチチチと蒔田が舌を鳴らす。

「助手よ、金持ちほどケチなんだなーこれが。最近のパパは何に影響されたのか知らないけど、自分で稼げとか言い始めるし、ママはパパに聞けとしか言わないし。ムカついたから始めたんだけどさー、もう十分稼いだし、いっかなって」

「なんか、まっきーってすごいね……」


 絵鳩が感心していると、蒔田はふと目線を上げ、

「で? 何かあったの?」と尋ねた。

「あ! そうだ、忘れてた。なんかジョーンさんが、まっきーに聞きたいことがあるって」


「え⁉ 何そのフラグ……」

 蒔田が冗談っぽく自分の両肩を抱く。


「ははは! ないない、それは大丈夫だと思うよ。えっと……何か武器作ってるみたいよ?」

「ふーん……ま、いいや。ジョーンさん、声が届きにくいから疲れるんだよねー」

「不思議よねぇ、私も最初は聞こえなかったけど……。いまは全然聞こえるし」

 絵鳩はもう一欠片チョコを頬張り、美味しそうに目を細めた。


 ***


 ――D&M。

 身体がぶるっと震えた。まだ、少し冷えるな。

 俺は鼻をすすりながら、数を減らした火鉢に火を入れる。

 カウンター岩横のマイルドリーフに水をやり、掃き掃除を始めた。

 ダンジョンの入口の掃除を終え、草刈鎌を持って獣道へ向かう。


 枯れた雑草が倒れて道に突き出ている。

 こんなんじゃ、お客さんが狭くて通れない! 邪魔だ邪魔だ!

 放置していた自分を恥じつつ、俺はもくもくと雑草を刈っていった。

 

「ふぅ……」


 腰が痛む。

 最近、筋トレサボってるからなぁ……。

 ついでに少し道幅が広くなるように雑草を刈り終え、少し休憩をすることにした。

「はぁ~……」

 珈琲に癒やされながら、カウンター岩周りをぐるっと見渡す。

 よしよし、だいぶ綺麗になったな。

 時間もちょうどいいぐらいだし、OPENしますか。


 俺はデバイスを切り替え、準備が終わったところでタブレットからさんダを覗いてみた。

「え⁉」

 なんと、ダンジョン・エクスポの記事が掲載されていた。

 なんというアンテナと機動力。お、恐るべし紅小谷鈴音……。

 ていうか、こっちに来てたのか?

 水臭いなぁ~、言ってくれれば、肉うどんでもご馳走したものを。

「ま、あいつも忙しそうだしな……」

「誰が?」

「ひゃっ⁉ べ、紅小谷? いつの間に⁉」

「見りゃわかんでしょ? ていうか客に気付かないなんて、ちょっと弛んでるんじゃないの?」

 紅小谷は片眉を上げて、俺を鋭い目で突き刺す。

「うっ! た、確かに……」


「ふ、まぁそれより調子はどうよ?」

「あ、うん。ダンジョンの方は意外と順調で、ほら、コボルトも発生したしさ」

 カウンター岩に片肘を乗せ、紅小谷がふぅ~んと頷く。

「ん? それ、なに?」

 後ろの棚に飾ってある記念すべき処女作、P・Jピーチ・ジョーンを指さした。

 俺は手にとって紅小谷に見せる。

「これいいだろ? 俺が作った短剣、名付けてP・Jだ!」

「……」

 紅小谷は無言でP・Jを手に持つと、品定めするように、刃の部分に触れたり、反り具合を見たりしている。


「へぇ、なかなかやるわね? 色も綺麗だし、いいじゃない」

「だよな! へへへ、そっかぁ~いい感じかぁ~」

「素人にしてはって、は な し よ! すぐ調子に乗るんだから……」

 紅小谷がじとっとした目で俺を見ながら、短剣で手のひらをぺしぺしと叩く。


「実は、壇ブランドを作ろうと思ってさ」

「まぁ、止めはしないけど」

 俺は紅小谷に珈琲を差し出す。

「ありがと。こういうのだけは気が効くのよねぇ……」

 むぅ、なんかトゲがあるな……。


「あ、そうだ! ダンクロがガチャ始めたみたいで」

「何か影響は?」

「んー、少しガチャの売上が落ちたかなぁ……、でも、いまはそれほど影響はないよ」


「たわけーーーーーーーーーーーっ!」


「ぬおっ!」

 びっくりしたぁ~、久しぶりに聞くとビビる。

「ったく、今、大丈夫な時に手を打つのが経営者ってもんよ? どうにかなってから対策なんて、無能の極みね」

「お、おっしゃる通りで……」

 うぅ、うぉおーーーっ! やっぱり俺は甘い、甘ちゃんなんだ!

 俺は自分を恥じて頭を抱えた。


「……ねぇ、ジョンジョン? あんた、いちいち反応しすぎなのよ。ったく、要は、対策をすればいいだけなんだし、あんたの目の前に誰がいると思ってるの?」

 呆れたように俺を見る紅小谷。

 しかし、その目の奥には暖かく優しい光が見える。おぉ、神よ!

「べ、紅小谷さま……」

「やめなさい、キモいから。ま、ダンクロのラインナップぐらいは調べてあげるから、後は自分で頑張んなさいよ? ったく……」

「え? いいの? マジで?」

「まぁ、ついでよ、!」

 紅小谷は腕組みをしてプイッと横を向く。


「ふん、どうせあんたのことだからカプセルに紙でも入れて、大きいものでも揃えようとか思ってたんでしょ?」

 す、鋭い……。

「あ、うん、まぁ、その……」

「折角のガチャにワンクッション置いてどうすんの? コロコロって出る、開ける、嬉しいってのがガチャの醍醐味だと思うんだけどねー」

 カウンター岩を人差し指でトントンと叩きながら紅小谷が言う。


「そ、そう言われてみれば……」

「まぁ、それは私が考えることじゃないわね」

 小さく肩を竦めると、紅小谷は飲み終えた珈琲カップを置いて、

「じゃ、わかったら連絡するから」と、出ていってしまった。

「あ、ありがとー!」

 小さな背中を向けたまま、紅小谷が手を振った。

「さすがだなぁ……」

 少し広くなった獣道を下りていく紅小谷の背中を、見えなくなるまで見送る。

「よし、俺ものんびりしてられないぞ……」

 パンパンと頬を叩き、自分に喝を入れたあと、俺はダンジョンに戻った。

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