第86話 言葉って大事です。

 花さんと開店準備をしていて、ふと昨日の事を思い出した。

 そういや、あの声は結局何だったんだろう……?


「どうかしたんですか?」

 紺色のセーターを着た花さんが、きょとんとした顔でこっちを見ている。

 まさかとは思うが、コボルトに寄せて……?

 いやいや、さすがに考えすぎかな。


「ああ、昨日の閉店後にさ、フロアの小部屋から話し声が聞こえたような気がして……」

「えっ!?」

 花さんが目を見開き、俺に顔を寄せる。

 うぉっ!? ち、近い!

「それ、詳しく!」

「ちょ……」

「ジョーンさんっ! それ、詳しくっ!」

「は、はい……」


 花さんの勢いに顔を赤くする暇もなく、俺は昨日あった一部始終を説明した。

「で、結局、ラキモンにせかされちゃって、確認はできなかったんだけど……」

「会話ですか……」

 花さんは「うーん」としばらく考えこむ。

「七階層には会話ができそうなモンスはいませんし、CLOSE中となると……」

「朝、フロアをチェックした時には、特に何もなくて」

「……考えられるのは、何か新たなモンスの発生ですが、それだと今現在フロアにいるはずですし」

「うん……、まぁ、ケットシーがまたいたずらでもしたのかな? ははは」

「……」

 神妙な顔で、何かを考え込むように頷く花さん。

 多分、頭の中はモンスの事で一杯になってるんだろうな……。


「さ、さぁ、そろそろ開店しようか?」

「あ、はい、そうですね」


 俺はデバイスをOPENに切り替えて、珈琲を淹れることにした。

 コポコポコポ……。

 珈琲を淹れている間にも、花さんはずっと何かを考えているようだ。

 今日はずっとこの調子な気が……。


「はい、どうぞ」

 花さんに珈琲を差し出す。

「あ、すみません、ありがとうございます」

 ゆっくりとカップに口を付け、「はぁ~、美味しい」と呟く。

「へへ、良かった」

「なんか、すみません。私、考え事しちゃうと周りが見えなくなっちゃうので……」

「いやいや、気にしないで」

「あ、誰か来たみたいですよ」

 表に目を向けると、青いマウンテンパーカーがちらっと見えた。

 よしよし、今日は立ち上がりが早いな。


「どうも、お久しぶりです!」

「ま、丸井くん!」

 何と、ギーザス……、いや、丸井くんが来てくれた。久しぶりだなぁ。

 坊主頭だった髪が伸び、ちょっと小洒落た雰囲気になっているではないかっ!

「あけおめです、ジョーンさん。えっと……」

「初めまして、花と言います。丸井さんは、有名なメダルコレクターさんですよね?」

「そ、そんな、僕なんかはまだ駆け出しで……」

 顔を真っ赤にして照れる丸井くん。


「またまた~、もうその界隈じゃ有名人じゃない? フォロワーも万いってるし」

「え~! 凄いですね⁉」

「そ、それほどでも……」

 丸井くんは、満更でもない様子で照れ笑いを浮かべ、「実は、ちょっとジョーンさんにお知らせしたいことがありまして……」と切り出した。

「なんだろう? 気になる」

 丸井くんはへへっと笑い、

「ジョーンさん、ダンマケってご存知ですか?」と訊いてきた。

 ダンマケと言えば、ダンジョン・マーケット。

 年二回開催の巨大即売会で、来場者数は50万人を超えると言われている。


「まぁ一応、名前ぐらいは知ってるけど……、行ったことはないなぁ」

「そのダンマケに似たようなイベントで、ダンポって言うのがあるんですけど」

「ダ、ダンポ……?」

 俺は花さんと顔を見合わせる。

「ダンジョン・エクスポ、略してダンポです!」


「「は、はぁ……」」

 花さんと二人で気の抜けた返事をする。


「参加するのはベンチャー企業です。規模は小さいですが、新しい技術や独創性の高さが売りなんですよ。投資家との橋渡し的なイベントでもあるんですが……」

「ふーん、何か凄そうだね」

「それが今回、ここ、うどん県で開催なんですよ! 僕の知り合いが出展するんで、良かったら見に来ませんか?」

「え? いいの?」

「もちろん、良かったら花さんも一緒にどうですか?」

「わ、私もいいんですかっ⁉」

 花さんが期待に満ちた目で俺を見る。

 ここは上司として男を見せるしかあるまい……。


「丸井くんっ! 行きます、いや、行かせてくださいっ!」

「本当ですか? いや~良かったです。えっと、開催は来週一杯までなんですけど、次のお休みとか?」

「えっと次の休みは木曜だけど……花さん、予定とか大丈夫?」

「もちろん、私も大丈夫ですっ!」

 花さんは嬉しそうにぐっと拳を握った。


 丸井くんは、ほっとした顔を見せ、

「あ、これを」と、バッグから取り出した紙を、カウンター岩の上に置く。

「会場のパンフです。では、木曜の13時に待ち合わせしましょう」

「うん、わかった。ありがとう」

「じゃあ、悪いんですけど、今日はこれで……」

「あれ? 潜っていかないの?」

「実はこの後、講演会が入ってて、すみません」

 丸井くんは照れくさそうに、伸びた髪を触った。

 すっかり業界人だなぁ……、坊主頭の頃が懐かしい。

「そっか、じゃあ頑張ってね」

「頑張ってくださいね」

「じゃあ、木曜に」


 俺と花さんは丸井くんを見送り、パンフを広げた。

「うわー、色んなブースがありますね」

「うん、あ! インディーズ・ウェポンもある! へぇ~」

「これは楽しみですね」

「ですな」

 二人でパンフを眺めていると、突然、花さんが叫んだ。


「あーーーっ!」


「え! な、なに? どうしたの⁉」

 俺は心臓をバクバクさせながら、花さんに尋ねる。

「すみません、つい……。あの、朝言ってた話し声なんですけど……」

「え、何か思い出したの?」

「自信はないんですが、もしかすると八咫烏かも……」

「八咫烏って、確か……前に言ってたやつ?」

「はい、――CLOSE中、――発した言葉、――誰もいない。これは、八咫烏なら説明がつくのかなって思いまして……」

「そうなの?」


 花さんは自信なさげな顔で頷きながら、

「んー、八咫烏は発生というより『ダンジョンを旅している』という言い方の方が正しくて。というのも、八咫烏は自分の意思で消えてしまうんです」と答えた。

「好きに移動できるってこと?」

「そうですね……ダンジョン間を移動できるとされています」


「え?」


「海外ではTLC(スリー・レッグ・クロウ)、またの名をBMC(ボトル・メッセージ・クロウ)とも言われています。そのままなのですが、ダイバー達の言葉を運ぶという意味です」

「なるほど、あの海とかに流すやつか……」

 俺は波に漂う空き瓶を思い浮かべる。


「八咫烏なら、会話が聞こえても不思議じゃないですし、消えても何も不思議じゃありません。問題は、確かめる方法がないことですけど……」

「むぅ、そんなレアなモンスなら見てみたかったなぁ」

「ですよねっ! あ~私も見てみたいなぁ~。そうだ、ジョーンさん、もし八咫烏に遭遇したら何て言いますか? もしかすると、海外の人や未来の人に届くかもですよ?」

「未来の人にも?」

「はい、八咫烏は、同種の間で覚えた言葉を共有するんです。あ、でも八咫烏は一体だけだという説もありますが……、どちらにしても、凄く古い言葉も覚えていますし、何と言ってもロマンがありますよねっ!」

「う、うん、そうだよね」

 花さんの勢いに怯みながらも、なるほどなぁと俺は頷いた。


「……私は、もしも遭遇したら、『今日からあなたは何でもできます』っていうつもりなんです」

 急に声のトーンが落ち、花さんの眉が下がったように見えた。

「実はモンス診断士の試験、あんまり自信がなくて……、大好きなモンスに言ってもらえたら、ちょっとは自信がつくのかなって思ったりして。あはは」


 モンス診断士は難関中の難関だからなぁ……無理もないか。

 何かしてあげられたらいいんだけど、俺、勉強できないしなぁ。


 八咫烏か……。

 待てよ、八咫烏にこだわる必要ないよな……?

 俺の脳内に閃光が迸る!


「ほぁたぁーーーーーーーーっ!」


 花さんが肩をビクッと震わせて俺を見る。

「ジョ、ジョーンさん……?」

「あ、ご、ごめん、なんでもない。あはは……」


 ――その日、閉店後。


 俺には名案が浮かんでいた。

 花さんの言っていたセリフ、ラキモンに言ってもらえばいいんじゃね? って話。

 我ながらキレッキレである。

 

 閉店作業を終えた俺は、デバイスをCLOSEに切り替え、ラキモンお願い用の瘴気香を握りダンジョンに向かった。


 ラキモンいるかなぁ……。

 うまく遭遇できるといいんだけど。


 迷宮フロアに着き、小部屋を覗いて回った。

「うーん……寝てるかなぁ」

 通路には、スケルトンが床に崩れ落ちている。

 一見すると、骸骨が散乱しているように見えるが、これは寝ているだけなので問題はない。


『ダンちゃん!』

 振り返ると、ラキモンがぴょんぴょんと跳ねて来た。

「おぉ、久しぶり」

『ラキ! ねぇダンちゃん、アレ持ってるラキ……?』

「あるよ」

『うっぴょー! さすがダンちゃんラキっ!』

 飛び跳ねるラキモンを宥めながら、俺は瘴気香を渡した。

 凄まじい勢いで齧るラキモン。

 その野犬のような喰い付きに、ラキモンがモンスという現実を垣間見る。

 

「も、もうちょっと、ゆっくり食えよ……」

『うぴょるるる! はぁ~、美味しかったラキ~』

 ほんのりとラキモンの口から、瘴気香の生臭い匂いが漂う。


 と、その時。

 小部屋から何か声が聞こえる……。

「ん? ラキモン、あの部屋から何か聞こえなかった?」

『ぴょ? そうラキか?』


 ラキモンは目をパチパチさせてキョトンとしている。

 俺はそ~っと小部屋の扉を開けてみた。

 すると部屋の真ん中にぽつんとカラスが立っている。


「え? カラス? あ! 三本足……ってことは、もしかして八咫烏か!?」

『ラキ~』

 八咫烏は目を開けたまま、まるで剥製のように微動だにしない……。

 い、生きてるのかな?


 八咫烏に向かって、手をばたばたさせてみるが、やはり反応はなかった。

 う~ん……。本当に喋るんだろうか?


「あ、あの~、何か喋ったりします?」


「…………」

 返事はない。

 ただの、じっとしている烏だ。

 うーん、もしかして寝てるのかな?


 すると突然、八咫烏が口を開いた。

「%&$J#)JD=)!」

『ラッラッラッラ! うぴょー!』

 ラキモンが急に笑い始め、床を転がる。


「お、おい……大丈夫か?」

『ラララ、いやぁ~面白いラキね』

「何がそんなに面白いんだ?」

『だって、ダンちゃん……、ララッ、ラッラッラッラ!!』

 言いかけて、また笑い始めるラキモン。

 なんだよぉ、気になるなぁ……。


『ふわぁ……、何か眠くなってきたラキよ。じゃあ、ダンちゃんまたラキね……』

 ラキモンは、眠そうに目を擦って部屋を出ていってしまう。

「ちょ、お、おい! ラキモンってば!」

 ……行ってしまった。

 結局、なんだったんだろう?

 あ! 例の名案、頼むの忘れてたし……。

 うー、この不完全燃焼な気持ちをどうしてくれるんだ!


 俺は八咫烏の前に立ち、もう一度話しかけてみた。

「あ、あのー、さっき何を話してたのかな?」


「The last one……last one!」

「しゃ、喋った!」

 今のは英語かな? うーん。


「Написать новую работу」

 んー、わけがわからん。


「ヤダァ、コンナトコロデ……」

 おっ日本語! でも、何か変な感じに……。


「セカイガキキニサラサレテイマス、イマスグログ……」

 な、何だ? 悪戯みたいなのも覚えてるのか。

 しかし、本当に色んな言葉を覚えてるんだなぁ。 


 そうだ! 花さんにも教えてあげないと!

 あ、でも、いま戻るといなくなっちゃいそうだし……う~ん、どうしよう。

 

 八咫烏は悩む俺などお構いなく喋り続ける。

「ウマクイカナイ……スナオニアヤマレバイイノダケレド」

 ん? なんだなんだ?

 誰か悩み相談でもしてたのだろうか……。

 

「You're fired! HaHaHa!」

「コイツオモシレエナ!」

「人がゴミの……」

「…………」

「……」


 いつの間にか、俺は八咫烏の前に座って耳を傾けていた。

 本当にいろんな人達が、この八咫烏の前で言葉を口にしたんだな……。

 願いごとを言ったり、悩みを打ち明けたり、悪戯を言ってみたり、驚いてみたり。なんだろう、この気持ちを言葉にするのは難しいけど……言葉って深い。


 今も、世界中にある何処かのダンジョンの中で、俺と同じ様に八咫烏の言葉に耳を傾けているダイバーがいるかも知れないのか……。


 俺はおもむろに口を開いた。

「D&Mってダンジョンを経営しています、ジョーンといいます。……この先、どうなるかわからないけど、もし、D&Mが残っていたならお立ち寄り下さい。待ってます」


 ちょっと長かったかな? 覚えてくれるだろうか。

 誰かに届けばいいな……。

 いつか、メッセージを聞いたダイバーがウチに来てくれるかも知れない。

 そう思うと、何か楽しみがひとつ増えたようで嬉しくなった。



 肝心の花さんの件だが……。

 形だけのラキモンの言葉を聞いても、花さんは喜ばない。

 八咫烏の言葉を聞いていて思ったのだ、言葉には本当に凄い力があるんだと。

 

 だから、俺はちゃんと直接言おうと思う。

 花さんならできるよって。


 さてと……一応、花さんに連絡してみるかな?


 俺は八咫烏を見て、「ありがとう、楽しかった」と声をかけてから部屋を出た。

 一階へ戻ろうと足を踏み出すと、部屋の奥から、

『……オタチヨリクダサイ、マッテマス』と声が聞こえる。

 慌てて部屋に戻ると、八咫烏の姿はもう何処にもなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る