第16話 池ができました。
――イベントから一週間が過ぎた。
□ 税務署に行き、開業届と青色申告承認申請書を提出
□ 陽子さんに頼まれた買い物
□ タオルの用意
□ 簡易更衣室の準備
□ 石鹸作り
先に言っておく。
今日の俺は、このシンプルにターゲティングされたTODOに従う。
太陽が日毎に近づいて来ている気がする。この強烈な日差しは危険だ。
麦わら帽子をかぶっていなければ、太陽に殺されていた。
そんな中、今日俺は世の中で一番嫌われている場所、税務署に来ている。
確定申告の関係で、先に開業届を出しておく必要があるのだが、ダンジョンの方にばっかり気を取られ、細かいことを失念していたのだ。
ちなみに、俺の場合は、法人ではなく
爺ちゃんの会社名義でも良かったのだが、やはり俺も一国一城の主としてやるからには、全てに責任を持ちたい、そう考えての決断。
開業届を出すのは驚くほど簡単で、名前や、住所、開業する業種などを用紙に記入して提出するだけ。郵送でも受け付けてくれる。
今回、俺は開業届を出すついでに、所得税の青色申告承認申請書も出しておいた。白色でも良かったのだが、今後を考えて控除額が多い青色にした。複式簿記が義務付けられるが、今はクラウドソフトで帳簿も確定申告も簡単に行うことが出来るのだ。ITって素晴らしい!
俺は手続きを終えて、陽子さんに頼まれた買い物を済ませた後、家に戻った。
冷蔵庫に野菜や肉を片付け、麦茶を持ってダンジョンへ向かう。
実は今日、ダンジョンはある理由で臨時休業にした。
なんと、我がダンジョンの十三階に池ができたのだ。
発見したのはイベント後から、来てくれるようになった豪田さん。
獣神の斧を持ったダイバーと言えばわかるかも知れない。
そして何故、池如きで店休? そう思った事だろう。
よかろう。そろそろ、俺の壮大な計画を話さねばならない。
――夏。
そう、この夏! 東京の最高気温は過去最高を更新し40度を越えたそうだ。恐ろしい!
ここ四国も例外ではない。連日の猛暑が続き、海やプールは満員である。
まさに需要と供給。今や公園の噴水にまで子供が群がる始末。
皆、水場を求めてさまよっているのだ。
そして、この絶妙なタイミングでの『池』出現。
これは神が微笑んでいるとしか思えない。
もしかして、俺の事を好きなんじゃないだろうか?
おっと、それより『計画』の話だ。
突然出現した池を営業終わりに確認すると、かなり透明度が高く、水棲モンスの姿も見えなかった。十三階は、比較的生息モンスも弱いし、何より池の周りは見渡しが良く、襲ってきても数さえ多くなければ、十分に対処が可能だろう。
ということは、ゆっくり泳いだり、水浴びができるということを意味する。
これは宣伝するしかないっと思った。
が、気付く……まず、タオルがない。そして、池の横に簡易更衣室も必要だと。
タオルは、馴染みのホームセンター
もう、このまま開店しても水場を求めたダイバー達が押し寄せるはずだ。
しかし、俺の脳内そろばんは、カチャカチャとさらに演算を続ける。
――石鹸を売ろう!
麦茶をグラスに注いで、一気に飲んだ。
美味い! やはり夏は麦茶に限る。
来店数が増えるのは嬉しいのだが、そこに向けて、もう一商売。
これが俺の計画だ。
さて、そろそろ石鹸の量産体勢に入らねばなるまい。
言っておくが、ただの石鹸ではない、そんな物なら、島中で買えばいい。
ここでしか買えないもの……ククク。
ダンジョンの中にあるものだけを使って作る、名付けて『ダンジョン石鹸』だ!
タイプはオーソドックスなプレーン、さっぱりタイプ、しっとりモイスチャーの三種類。
価格は一個200DPで提供する。
では早速生産を始めよう。
まずは、材料集めだ。二階に降りて、トレントやドリアードが落とした葉や枝を集める。
それを一階へ運び、用意しておいた焼却用の缶に入れて燃やしていく。
「うぅ……熱い……」
汗だくになりながら、出来た灰をバケツに半分ほど入れる。
これを五杯分用意できたら、水を入れてかき混ぜておく。
「ふぅ」
これで少し待つのだが、その間に一旦、実家に戻っておにぎりを食べる。具は鮭。
居間で休憩した後、冷蔵庫から卵を一個拝借して、バケツの様子を伺いに戻った。
バケツの水は灰と綺麗に分離している。
この『
この水溶液の濃度を調べるために卵を使う。
俺は実家から拝借した卵をバケツに入れる。すると卵が浮いた。
こうすることで濃度が十分だという事がわかるのだ。
今度は、灰汁を別の容器に移し替える。
その際に、フィルターとしてガーゼを当てて、細かなゴミを取リ除く。
綺麗になった灰汁は、後で使うので一旦横へ。
さて、次は『油』を用意しなくてはならない。
プレーンタイプは、ケローネ油とミセルというモンスから出る油を60:40で混ぜ合わせた油を使う。さっぱりタイプは、その割合を50:50に。
モイスチャー感を出したいしっとりタイプは、これにガジュラの実から絞ったエキスを加えるのだ。
ちなみにケローネ油の香ばしい匂いはミセルの油が中和してくれるので大丈夫。
「これでよし」
それぞれ作った油を、分量に注意しながら慎重に灰汁と混ぜ合わせていく。
すると「鹸化」という化学反応が起こり、石鹸ができるのだ。
今回、小さな型に入れるのは面倒なので、大きな容器に作り、出来上がりを切る事にした。
石鹸が固まるまで時間があるので、デバイスから『水浴び、はじめました』という告知を行う。
池の写真とタオルや簡易更衣室の案内を添えてサイトにアップした。
「これでよし、と」
後は、明日、固まった石鹸を切り分けて、水場に飢えたダイバーたちを待つのみである。
――翌日。
朝、ダンジョンへ行き、開店準備を終わらせて、石鹸の様子を見る。
うん、綺麗に固まっている。ほんのりとガジュラの涼し気な香りが漂う。うん、いい感じ。
ナイフで豆腐を切るように、一個ずつ均等な大きさに切り分けていく。
木のカゴに、プレーン、さっぱり、しっとり、と手書きで書いたPOPを貼って、種類ごとにカゴに盛ってカウンター岩へ置く。かなりインパクトがあって良い。
そうこうしているうちに、早速「暑いぃ~~」と唸りながらダイバーがやって来た。
「おはようございます」
「どうも店長、今日もヤバいぐらい暑いね」
強面のダイバー、豪田さんだ。
「そうですね~、どうです? 水浴びしません?」
「あー、サイト見た。うん、そのつもりで、はは」
と、笑いながらカウンター岩に置いたカゴに目をやる。
「お、石鹸?」
「そうなんです、三種類あって、どれも自信作ですよ」
なぜ、石鹸なのか? それは俺自身、ダイバーだったからわかる事。
モンスと戦うのは、思った以上に疲れるし汚れるのだ。
そう! ベタベタしながら戦うのはもう古い!
水浴び+石鹸は最強の図式!!
しかもダンジョン内の材料しか使用していないので、泡も時間が経てば勝手に消える!
エコ! めっちゃエコ!
豪田さんは興味深そうに石鹸を見て
「じゃあ、さっぱりを一つ貰うよ、それとタオルも」
「あ、はい! ありがとうございます、タオルは無料ですので帰りに返却して下さい」
「あいよ、じゃあ行ってくるわ」
「はーい、いってらっしゃいませ」
俺は笑顔で頭を下げる。
よしよし、出だしは順調。
この調子だぞ~。
――結果、大盛況である。
わらわらとダイバーたちが、吸い込まれるようにダンジョンへ入っていく。
石鹸も飛ぶように売れ、しっとりタイプは残り五個になってしまった。
「こりゃあ、明日の分も作らないとな……」
俺がほくそ笑んでいると、豪田さんが奥から走って来た。
「店長! 大変だ! この石鹸ヤベえ!」
息を切らせながら、豪田さんが言う。
「ちょ、落ち着いて下さい。何があったんです?」
「あ、あの石鹸、モンスが寄ってくる!」
「え!?」
ちょ、どういう事? 寄ってくるって……。
慌ててデバイスで池を見る。すると泡まみれのダイバーたちが、モンスに追いかけられていた。
「な、どうして……」
「石鹸にモンスがおびき寄せられてるみたいだ」
「そんな……」
「とにかく、店長! モンスは俺が何とかすっから、今から来るダイバーには売らないでくれよ!」
と早口に言いながら、豪田さんはダンジョンへ走って行った。
「わ、わかりました! 豪田さんすみません、僕も直ぐに向かいます!」
走る背中に叫んで、直ぐに対応の用意を始める。
俺は入口に『しばらくお待ち下さい』の張り紙をして、デバイスを操作し、自分のルシール+99を取り出した。
メンテモードにはしない。十三階なら、そんなに強いモンスもいないし、豪田さんもいる。
来ているダイバーたちも、ベテランが殆ど。
大袈裟にメンテモードなんかにしたら、それこそ笑いものである。
ルシール+99を握りしめて、俺は走った。
一気にダンジョンを駆け抜けて、自分でも驚くほど早く十三階に着いた。
「豪田さーん!」
「おう店長! こっちは片付いたぜ!」
早く着いたつもりだったが、すでにモンスの群れを倒したダイバーたちは、池で泡を落としていた。
俺は皆に向かって頭を下げる。
「みなさん、すみません。まさか、あんな効果があるとは……もちろん石鹸のお代は大丈夫なので」
「まあ、考え方を変えればよ、あれでモンスを呼べるんだもんな? 結構使い道あるぜ、なあ?」
と豪田さんが皆に問いかける。
池から上がった若いダイバーが
「そうだな、DP稼ぎたい時はいいかも」
その他のダイバーたちからも
「パーティ組んでれば、対処できるし」
などと、意外と肯定的な意見が聞こえてくる。
「まあ、店長! ここにいる連中は、そんなヤワな奴はいねぇから安心しな! がははは!」
豪田さんが神様に見えた。
「ありがとうございます! 本当にすみません」
「じゃあさ、店長、ここにいる連中は石鹸半額ってのはどうだ?」
豪田さんが腕組みをしながら言った。
「え、そんな! お代はいいですよ!」
「ダメダメ、そんなんじゃ俺らと上手くやってけねぇぞ? 半分は出すって言ってんだから」
まるで親分のような豪田さんの言葉。
すると、皆が示し合わせたように「へへへ」と微笑みを浮かべる。
すごい! 始まりの村のイベントみたい!
「あ、ありがとうございます! じゃあ、お言葉に甘えて……」
バンバンと俺の肩を叩きながら豪田さんが
「ははは、決まりだな。じゃあ後は店長もう大丈夫だ、ありがとな!」
「いえ、じゃあ皆さん、ごゆっくり楽しんでください」
最後にもう一度頭を下げて、俺は一階へ戻った。
なんて気持ちの良い人たちなんだろう。
俺はしみじみと思いながらカゴに残った石鹸に目を向けた。
「……」
我ながらとんでもない物を作ってしまった。
モンス寄せ石鹸かぁ……。
カゴに積まれた石鹸に笑われたような気がした。
後日、この石鹸は我がダンジョンの定番商品となるのだが、この時の俺はそれを――まだ知らない。
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