第30話 初めてのタンナケット

 宿の部屋に入るなり、カレンはベッドに潜り寝込んでしまった。

「まあ、迷宮の洗礼ってヤツだ。誰でも最初はそうだ」

 俺はカレンの布団の上に乗り、そっと声をかけた。

「……わ、私は、足を引っ張ってばかりで」

「馬鹿野郎、最初からスイスイ歩けるヤツがいるか」

「そうそう、タンナケットの第一歩教えてあげようか!!」

 ミーシャが割り込んできた。

「よ、よせ!?」

「こんな偉そうだけどさ、完全にビビって私の肩の上でガタガタしてただけだよ。俺は魔法使いだなんていっておいて、呪文一つ唱えられなかったんだから!!」

「う、うるせぇ、猫なんだからしょうがねぇだろ。借りてきた猫って言葉知らねぇのか」

 ミーシャが鼻ピンした。

「可愛かった頃のタンナケットの話、少ししてあげようか?」

 カレンが頷いた。

「お、お前!?」

 特大鼻ピンがきた。

「……」

「あのね……」


「お、おい、ミーシャっていったな。これが迷宮か?」

 俺は少女……ミーシャの肩に乗り、辺りを見回した。

「なに、もう怖いの。まだ、地上階層だよ」

「こ、怖くねぇよ」

 目の前に広がる光景は異質だった。

 本能的に危険を感じる。

 ここには近づくなと、頭のどこかが叫んでいた。

「震えてるよ。腕試しするんじゃなかったの?」

「そ、それは、そうだが……」

 俺は手にした杖を握り締めた。

 これだけが、今の支えだった。

「だから、迷宮なんてやめときなって。しかも、私となんて」

「だ、大丈夫だ」

 その時、異様な臭いが漂ってきた。

「な、なんだ」

「ああ、ゾンビ。よくいるよ、魔法使いっていうんだから、さっさと焼き払ってよ」

 俺は目の前の妙なヤツに向けて呪文を詠唱しようとしたが、言葉すら出てこなかった。

「……」

「まあ、そんなところだと思ったよ。もういいでしょ。帰るよ」

 ミーシャは俺を抱え、その場を逃げ出した。


 一気に街のボロ宿まで逃げ帰ると、俺は部屋の片隅で固まっていた。

 今まで感じた事がない恐怖だったのだ。

「どうしたの、あの威勢の良さは?」

 ミーシャは小さく笑みを浮かべ、俺を抱えるとベッドに腰を下ろした。

「……」

「怖かったんだね。可哀想に」

 ミーシャは俺の背を撫でながら、小さく笑みを浮かべた。

「無理して迷宮なんか潜る事はないよ。このまま普通に暮らそう。それなりに、楽しいと思うよ」

 俺は首を横に振った。

「へぇ、意外と根性はあるみたいだね。なんで、迷宮なんかいきたいの。お宝なんて滅多にないよ」

「……そんなものはいらねぇ。ただ、知らねぇ世界をみてぇだけだ」

 ミーシャは小さく笑い、俺を抱きかかえた。

「冒険者なんて、そんな馬鹿野郎ばっかりだよ。そんなロクデナシの仲間入りしたいなら、付き合ってあげるよ。私もあなたがいないと困るしね」

「……」

「そんなに落ち込まないの。恐怖心を持たない方がおかしいし、正常な反応からさ。根性まで曲がらなかっただけ、見込みはあるかもよ」

 ミーシャは少し考える素振りをみせた。

「そういえば、名前聞いてなかったね」

「……野良だから、そんなのねぇよ」

 ミーシャが小さく笑った。

「野良なのにどこで魔法習ったの。二本足で立って喋るってだけでも、レアもののお宝なんだけどさ」

「……近所のガキの家が魔法使いでな、暇つぶしに教えてくれたんだ。いいのか悪いのか、なぜか資質と魔力だけは持ち合わせていたみてぇだ」

 俺は手に持ったままだった杖を握った。

「それがお守りか、大事にしなよ。それじゃ、私は自分のお守りに名前付けようかな」

「え?」

 俺が声を上げると、ミーシャは笑みを浮かべた。

「タンナケット、これでどう?」

「俺は選り好みしねぇよ。そう呼びたきゃ呼んでくれ」

 ミーシャは俺を膝の上に下ろした。

「それじゃ、タンナケット。まずは地上階層をウロウロして慣らそう。時間掛ければ、戦い方も分かってくると思うよ。バカじゃなさそうだからさ」

「……大バカ野郎かもしれねえぞ。お守りどころか、疫病神かもな」

「あーあ、腐っちゃって。まあ、疫病神が二人重なったら、逆に疫も寄ってこないんじゃない。案外、上手くいくかもよ」

「……どうだかな」

 ミーシャは笑った。

「私も最初はそんな感じ。何回腐ったかな。まあ、懲りてないならまたいこうか」

「……よろしく」

 ミーシャは俺の背を、そっと撫で続けた。


「まあ、このくらいで勘弁してやろうか!!」

「……」

「ほら、タンナケット一生の恥だもんね。固まってやんの!!」

 ミーシャが鼻ピンしてきた。

「……驚いた点が二つ。タンナケットが妙に可愛いのと、ミーシャが凄くまとも!!」

「私はいいの。ってか、どーいう事だ!!」

 ミーシャが怒鳴った。

「へぇ、それは知らなかったな。聞いても話してくれないから」

「はい、初耳です」

 レインとナターシャが、なにかいいたそうに俺をみた。

「……おうち帰る」

「あーあ、タンナケットがいじけた!!」

 ミーシャは俺を抱きかかえた。

「……僕、もう生きていけない」

「キャラまで崩壊した!!」

 笑いながら、ミーシャが強く抱きしめた。

「タンナケットの家はどこだ!!」

「……ここ」

「……あ、あの、私よりタンナケットの方が重症な気が」

 カレンがオロオロしはじめた。

「尊い犠牲ってやつだ。偉そうに頭張ってる以上は働け!!」

 ミーシャは小さく笑った。

「これに比べたら、カレンの方がよほどマシだって。ちゃんと戦ってたし!!」

「……あ、あの、私は大丈夫なので、あまり虐めないで!!」

 カレンがさらにオロオロしはじめた。

「本当に大丈夫?」

 ミーシャがいった。

「……は、はい。私が変に落ち込むと、タンナケットが」

「それが分かったなら、クヨクヨすんな!!」

 カレンが頷き、ベッドから下りた。

「……あ、あの、タンナケットは!?」

「ああ、コイツ。こうすりゃ直る!!」

 ミーシャは俺が握っていた杖を、無理矢理引き抜いた。

「て、テメェ、それ返しやがれ!!」

 俺はミーシャの顔をバリバリ引っ掻いた。

「ほら、直った!!」

「……な、なんか、二人とも凄い」

 カレンが唖然とした。

「ああ、いっておくよ。このパーティーで一番先輩なのはミーシャだから。でも、肝心なところでバカだから、タンナケットがリーダーやってる」

 レインがいった。

「だ、誰がバカじゃ!?」

「あら、この前バカやってタンナケットに捕まって、こってり絞られていませんでしたっけ?」

 ミーシャがスッコケた。

「あ、あれは……気の迷い!!」

「……反省してねぇな。コイツ」

 俺はため息を吐いた。

「……お、面白いパーティですね」

 カレンが呟いた。

「最初にいったろ、馬鹿野郎ばっかりだって。まあ、主にミーシャだが」

「こ、この野郎!!」

 ミーシャが俺に鼻ピンした。

「……なんだ、追い出されてぇのか?」

「……追い出せる、私の事?」

 俺とミーシャの視線がぶつかった。

「ほら、こんな感じだよ。僕だったら、もっとマシなパーティを勧めるけど」

 レインが笑った。

「……いえ、私もバカなので、ちょうどいいと思います」

 カレンが笑った。

「はい、何となく纏まったところで、ご飯にしましょう。いきますよ」

 険悪な俺とミーシャの頭を小突き、ナターシャがいった。

「……もう、猫缶開けてやらんぞ」

「……ごめんなさい」

 ミーシャが笑顔になった。

「よしよし!!」

「……ちっ、今日は厄日だ」

 俺たちは「火吹きトカゲ亭」に出かけた。


「頭にきたぜ、今日は俺の奢りだ。死ぬほど食え」

 俺が怒鳴ると、全員が一斉に容赦ないオーダーの嵐を飛ばした。

「おら、どんどん持ってこい。金ならあるんだ」

 どうやっても食い切れねぇとしか思えない量のメシがテーブルに並び、全員で一斉に飛びかかった。

「いいな、俺が死ぬほど食えといったからには、容赦するんじゃねぇぞ。なんなら、そのまま全員死ね」

「……タンナケットの目が据わっています」

 カレンが一瞬引いた。

「カレン、手抜きするんじゃねぇ」

「……は、はい!!」

「よく食べるねぇ、毎度!!」

 おばちゃんが伝票を置いていった。

「……なんだよ、こんなんじゃ全然スッキリしねぇ。もっと、ガンガン食え」

「……普段、意外と真面目だから、変にぶっ壊れるとタチが悪いんだよね」

 ミーシャがポソッと呟いた。

「ミーシャ、いいから食え!!」

「……へいへい」

 結局、俺は結構な額を散財し、妙にスッキリした。


「く、食い過ぎ……」

「……キツい」

「さ、さすがに」

「ぼ、僕も……」

 まだ、料理が山盛りのテーブルに突っ伏したまま、俺以外の全員が動けなくなっていた。

「うむ、スッキリだ。おばちゃん、残りはテイクアウトだ」

「あいよ!!」

 容器を持ってきたおばちゃんが、せっせと料理を詰めはじめた。

「ま、まだ、食わせるの……」

「馬鹿野郎、勿体ないお化けが出ちまうだろうが。朝メシにでもすればいい」

 料理がテーブルからなくなり、テイクアウト用の容器が山積みになった。

「……朝メシって量じゃねぇな」

「や、やっと、冷静になった?」

 ミーシャが問いかけてきた。

「うむ、俺はなにをしていたんだ。よし、残りは他の客どもに配ろう。お前ら、好きなだけ持ってけ」

 俺がデカい声を張り上げると、一斉に他の客が群がり、あっという間に容器がなくなった。

「……なに、ここそういう客層?」

「み、みんな、貧乏冒険者ばっかりだからね……」

 ミーシャがげんなりいった。

「……タンナケットを弄る時は、慎重にやろう」

 ミーシャがテーブルに完全に落ちた。

「うむ、困ったな。こんな時は……」

 俺は呪文を唱えて杖をかざした。

 全員の体が光に包まれ、キョトンとした顔で身を起こした。

「あ、あれ、胃もたれが……」

「胸焼けと胃もたれを治す魔法だ。暇だから、この前作ってみたんだが、さっそく役に立ったな」

「な、なに、その地味な魔法!?」

 ミーシャが声を上げた。

「派手なヤツばっかりが魔法じゃねぇよ。むしろ、地味なのが多いぜ」

 俺は苦笑した。

「はい、私は魚の目を落とす魔法を三年掛けて開発しました」

 ナターシャが小さく笑った。

「く、薬買った方が早いじゃん!!」

 再びミーシャが声を上げた。

「……馬鹿野郎、そこをあえて無駄に魔法でやるのがロマンなんだよ」

「はい、分かってないですね。これだから……」

「だ、だから、なんなのあんたら!?」

 ミーシャが頭を抱えた。

「……あ、あの、皆さんの関係がよく分からないのですが」

 カレンがポカンとしていた。

「ああ、ただのイカレポンチな馬鹿野郎集団だ。それ以上でも以下でもねぇ」

「まあ、何度もいうけど、僕はもっとマシなパーティを勧めるよ。バカ呼ばわりされたくなかったら」

 レインが笑った。

「……ワクワクしてきましたので、お世話になります」

 カレンが笑みを浮かべた。

「なんだ、やっぱり馬鹿野郎だったか。そんじゃ、ちょっと休んだらまた迷宮だ」

「……はい!!」

 こうして、俺たちはボロ宿に戻った。


「はい、迷宮食堂ですか?」

「コボルトがやってる?」

 ちょうど宿でウロウロしていたアイーシャとターリカを捕まえ、俺は話を切り出した。

「ああ、こき使ってくれって頼んでおいた。ここでダラダラやってるより、刺激があると思うぜ」

 俺がいうと、二人は頷いた。

「分かりました、準備します」

「なにか、楽しそうですね」

 二人の反応は良好だった。

「まあ、もうちと休む。じっくり準備してくれ」

 言い残して、俺は部屋に戻った。


「おう、帰ってきた。こい!!」

 ベッドの上に胡座をかいていたミーシャが、上機嫌で呼んだ。

「なんだ?」

 とりあえず、俺はミーシャの胡座の中に収まった。

「なんか、昔話したら思い出しちゃってさ。撫でさせろ!!」

「いつもやってるじゃねぇか。好きにしろ」

 ミーシャは俺の背中を撫で、ため息を吐いた。

「あの状態からよく立ち直ったもんだよ。我ながら!!」

「まあ、あの頃の方がまともだったって説もあるがな……」

 いきなり鼻ピンされた。

「弱っちくならねぇかな、コイツ!!」

「今さら無理だ。諦めろ」

 その後、ミーシャはなにもいわず背を撫で続け、俺は静かに目を閉じたのだった。

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