第5話 水の精霊と猫

「水が深くなっているな……」

 地下三階の異変はすぐに分かった。

 せいぜい人の腰上くらいだった水深が、すこし進んだだけでそれ以上に増していると分かった。

「これ以上は危険だね……」

 ミーシャが呟くようにいった。

「このままならな……『浮遊』」

 俺の呪文に応えて杖が光り、全員の体が浮いた。

「これ苦手なんだよな。コケそうになる」

 レインがぼやいた。

「違和感は我慢しろ。所詮は慣れの問題だ」

 水上に浮いた俺たちは、そろそろと奥に向かって進んだ。

「さすがに罠はないか……この状態じゃ、どのみち使い物にならないし」

「機械的なものならな。魔法の……おっと、釈迦に説法だったな」

 俺が言葉を切ると、ミーシャは頷いた。

「タンナケットのご忠告は痛み入るけど、私だって分かってるよ。それが、約七十メートル前方にあることもね」

 水に半ば埋もれた通路の先。

 目を懲らして見たところでなにも分からないが、ミーシャの鼻は的確にそれを捉えた。

「さすがだな。どれ……」

 俺は目を閉じて、微かな魔力の流れを読み取った。

「……ナターシャ、『風』の結界術を頼んだ。こいつは、ちと面倒だ」

 なにもいわず、ナターシャが通路の行く先に結界を張った。

「解呪がややこしいからな、手早く片付けよう……エクスプロード」

 俺の魔法により、結界の向こうで大爆発が起きた。

 一瞬だけ水が蒸発して床がみえ、大波と共にまた沈んだ。

「ふう……手荒だねぇ」

 ミーシャが苦笑した。

「なに、どのみち爆発系の罠だ。俺が爆発させたって問題はあるまい」

 そう、上を通れば爆発するタイプの罠だった。

 それを、わざと魔法で爆発を起こして誘爆させた。

 ただ、それだけの簡単な事だった。

「うん、罠は粉々に吹っ飛んだね。先に進もうか」

 俺たちはまたゆっくり前進を開始した。

「タンナケット、気を付けろ。水中になにかいるぞ」

 レインが警告を発しながら剣を抜いた。

「俺が気を付けるんじゃねぇ。全員が気を付けるんだ」

 軽く返しながら、俺は杖を構えた。

「数は一体か。なんだろうね……」

 武器としてはあまり役に立たない短刀を抜き、ミーシャも警戒態勢に入った。

「さて……」

 おれが呟くのに合わせたかのように、水中から音もなく一人の誰かが出現した。

「う、ウンディーネ!?」

 珍しく、ナターシャが驚きの声を上げた。

「ほう、あれがな……」

 俺からみても美人だと思う女……なんていったら失礼なので、女性といっておこうか。

 ナターシャの見立てが間違えていなければ、俺も使う魔法の力の源泉である四大精霊。

 そのうちの「水」を司るのがウンディーネが、いきなり目の前に出現したというわけだ。

「へぇ、初めてみたよ」

「俺もだ」

 ミーシャの言葉に俺は応じた。

 普段から魔法としてその力を借りているが、精霊なんてものは初めてみた。

「敵意はなさそうだな」

 レインが剣を収めた。

「もし敵意があったら、今頃私たちはこうやって喋っていません」

 ナターシャがため息をついた。

「で、なんの用だ。まさか、暇つぶしって事はあるまい」

 別に問いかけたわけではなかったのだが、ウンディーネは笑みを浮かべた。

 そして滑るように水面を歩いてくると、ミーシャの肩に乗っていた俺の頭を撫でた。

「……おい、まさかただの猫好きだっていうんじゃあるまいな」

 それに答えるかのように、ウンディーネは服のポケットらしき場所を探って、なにかスティック状をものを取りだした。

「……な、なに、ちゅ~るだと!?」

 ……間違いない。

 この精霊、ただの猫好きだ。

「ちょ、ちょっと、私の猫に餌付けしないで!!」

 ミーシャが怒鳴ると、ウンディーネはミーシャをそっと抱きしめた。

「ええ!?」

 ミーシャが真っ赤になって怯んだ隙に、ウンディーネはちゅ~るの封を切って、そっと差し出した。

「……食えと?」

 俺の問いにウンディーネは頷いた。

「……怒らせると怖そうだ。ありがたく頂こうか」

 ……さすが、全猫垂涎の品である。

 無性に美味かった。

 それで満足したのか、ウンディーネは最後に俺の頭を撫で、そのまま水中に消えていった。

「……な、なんだ、今のは!?」

 レインが声を上げたが、猫好きでなければ分かるまい。

「な、なんか、ある意味どんな魔物よりも強敵だった……」

 まだ赤面しているミーシャがいった。

「ああ、忘れないうちにいっておこう。ミーシャよ、俺はお前の猫ではない」

「……ご飯抜くよ?」

「……なんでもない。口が滑っただけだ」


 まあ、なんだかよく分からない事もあったが、地下三階探索はゆっくりだが順調に進んでいた。

「このフロアも魔物がいなくなっちゃったね。前は凄かったのに……」

 ミーシャが警戒は解かずにいった。

 その手にあるクリップボードの紙は、もう書き込みだらけで真っ黒になっていた。

「まあ、楽っていえば楽だが、不気味ではあるな」

 敵といえば、時折仕掛けられている罠くらいだ。

 以前の地下三階は、それなりに手応えがある場所だったのだが、すっかり変質してしまっていた。

「よし、器用な事をやろうか。少し緩んできただろうから、ここらで小休止にしよう」

 とはいえ、ここは恐らく人の背丈ほどは深さのある水の上だ。

 座る事すらままならないが、俺は呪文を唱えた。

 足下の水が凍り付き、まるで浮島のようになった。

「……器用だね。知ってたけど」

 ミーシャが苦笑した。

「まあ、これくらいしか能がないからな。少し冷えるが、我慢してくれ」

 俺たちは氷の浮島に乗って、しばしの休憩を決め込んだ。

「ふぅ、やっぱり魔法で浮いてるより落ち着くよ」

 こうでもしないと落ち着かないというように、レインは剣を抜いて手入れをはじめた。

「一応……」

 ナターシャが呪文を唱え、氷の島との間に薄い結界を張った。

「多少は冷えないでしょう」

 笑みを浮かべたナターシャは、そのまま島の上寝転がった。

「私は今までの整理しちゃうよ!!」

 ミーシャはミーシャで、今まで書き溜めたメモ書きを元に、新しいマップを書き起こしはじめた。

「まあ、俺は爪研ぎでもするか」

 こんな調子で勝手に時間を過ごし、しばし緊張感を忘れたところで、再び気持ちを引き締めた。

「タンナケット、勿体ないからこのままこれを船にしないか?」

 レインが氷の浮島を指差していった。

「それもそうだな……」

 俺は呪文を唱え、静かだった水面に流れを起こした。

「うん、流される人生も悪くない!!」

「ミーシャ、意味分かっていってるか?」

 ともあれ、水流によって押し流されていく氷の島にのり、俺たちはさらに先へと進んだ。

「ん、この気配は……」

 レインが反応した。

「あ、あれ……どっかで」

 ミーシャの顔が歪んだ。

 そして、それはまた現れた。

「また、お前か……」

 流れていく島のすぐ後ろに、またもやウンディーネが出現した。

 ニッコリ笑みを浮かべると、俺たちが乗った氷の島をそっと押した。

「……えっ、押していってくれるの?」

 ミーシャが困惑した表情を浮かべた。

「なんだか知らんが、魔力の温存にはなるな」

 俺は苦笑して、ウンディーネに任せる事にした。

 複雑に入り組んだ通路だけは相変わらずの地下三階だったが、まるで俺たちが行きたい場所を分かっているかのように、ウンディーネは迷いなく進んでいった。

「なんていうか、猫好きに悪い奴はいないってやつ?」

 ミーシャが苦笑した。

「それはどうか分からんが、なぜか気に入られたようだな。そこだけは、変に自信がある」

 俺もまた苦笑した。

「まあ、この迷宮もいつもこうだといいんだけどねぇ……」

 レインが余裕の剣のお手入れをしながら、ポツリといった。

「馬鹿野郎、これじゃ遊園地と変わらねぇだろうが。楽するな」

 俺がツッコミを入れると、レインは肩をすくめた。

「まあ、警戒だけはしておこう。なにも信じるな。冒険者の鉄則だよ」

 ミーシャが少しだけ表情に陰りを見せた。


 ウンディーネに導かれた場所は、地下四階へと通じる階段だった。

 この周囲には水はなく、普通に階段を使うことができそうだった。

「なんだか知らんが、とにかく世話になったな」

 俺が礼を述べると、ウンディーネは優しく俺の頭を撫で、満足そうに頷いてから水中に姿を消した。

「さて、すっかり楽しちまったな。気合いを入れ直せ。この下はまだ地下四階だが、なにがどうなってるかわからん」

「いわれるまでもなく……この階段、ちょっとヤバいね。一段目は踏まないで下りて!!」

 ミーシャが緊張の面持ちいった。

「ふぅ、お前がいてよかったぜ……」

 俺がいうと、ミーシャはとびきりの笑みを浮かべた。

 こうして、俺たちは地下四階への階段を進んだのだった。

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