07 Library

 島崎ゼミには、学生が6人いる。

 基本的に、文学部のゼミと言えば4年生が参加するものである。ようは、卒論のためだ。どの教授に指導してもらうか決めるのである。中には、ゼミと卒論指導が違うものもいるが、大方そのためと言える。そして、近年非常に勿体ないことながら、卒論の代わりにゼミを2つ受講し単位が取れれば良いとする大学がある。この大学もそれにあたる。繰り返すが、勿体ない。卒論など、2度と書けるものではない。もちろん論文を書きたければいつでも書けるわけだが、大学の資料をふんだんに使い、――学生にも言い分はあろうが――自由な多くの時間を費やし、好き勝手に書ける、よほどでなければ却下されることのない論文などそう取りかかれるものではない。

 だが。やはり文学部と言うべきか。その中の更に特殊な学科だからなのか。山口泰斗やまぐちたいとが在籍する学科で、卒論の代わりにゼミ受講を選んだ学生は今のところ、1人もいない。ちなみに、卒論を希望しながらゼミを2つ取ったものならば、いる。例えば、山口泰斗本人のように。しかし、現在山口泰斗は、大学生ではない。大学院生である。しかも他大学の。ようは、聴講生として参加させてもらっているのだ。単位になどなるわけもない。しかし案外そういう者は多かったりする。

 現在島崎ゼミに参加しているのは、他大学の大学院生山口泰斗、大学3年で他学科の妹の穂摘ほづみ、やはり他大学の大学3年生各務章人、そしてやはり聴講生として参加しており、来年度から正式にゼミ生となる高里塞。他にいるがあまり覚えていない。とてもこの学科のゼミ生と思えない、金髪にピンヒール、そして真っ赤なルージュを引いた女性がいたが、どこか紛争中の中東に発掘に行ったと聞いた。随分外見と一致しない潔さである。

 院への進学希望でもないのに2年時から専門を確定させ教授に指導を仰いでいたという真面目すぎる姿勢を除けば恐らく高里塞が最もゼミ生として参加するに相応しい学生なのだろう。学部も学科も専門も。

 そして、その高里塞は今日も図書館にいた。

 泰斗は教授が返していない本を発見しては図書館に返しに行く仕事を一手に担っている。と言うより、聴講代の代わりに助手らしきことをしているのである。出来ればこのまま助手にしてもらいたいところだが、古代言語や考古学、歴史学などは需要と供給が一致していない。40代で助手がごろごろしているのだから、まともな職につけるのはまだまだ先のことだろう。本当に、親が資産家で良かったというものだ。

 図書館のカウンターに本を置きながら、ふと先程の方向に目を向けると、高里塞の横に見知った顔がいた。塞の兄、栫である。

「──栫」

「あれ」

 声をかけると栫は半拍遅れて振り返った。どうも、微妙にタイミングがずれる人間である。空ばかり見上げていて、地に足がついていないというべきか。塞も泰斗に気づき、小さく会釈をした。大学も学部も違うとは言え、先輩に対してはきちんとした態度をとるタイプである。尊敬対象にないと思えたらその場で切り捨てるタイプでもありそうだが。

 栫は、久し振りだね、と笑う。栫とは別大学の聴講時代に知り合った。歴史学の一環として、地理関係の講義に出ていた時、やはり天文学の一環として、参加していたのである。

「山口さん、ちょうど良かった。島崎教授は教授室にいらっしゃいますか」

「さっきはいたけど、どうかな。パソコンが動かないとかって怒ってたから、どっかに生贄を探しに行ってるかも」

「呼んでくれたらいいのに」

「高里君の携帯、知らないけど」

 塞は、ああと軽く頷いた。

 けれどだからと言ってこの場で携帯を取り出して教えてくれるわけではないらしい。図書館で電源を切っているのもあるのだろうが、友人でもなければ教えません、と言う堅い空気が流れている。無理に、聞く気もないが。

「それで、どうしたの。栫を連れて教授室? さすがに繋がりが分からない」

「栫の知人が、天使学に興味あるらしくて。入門テキストをいただきたいと思って」

「あれ、高里君の専門じゃ……ないね。そっちの天使学なわけね」

「はい」

 言いかけて慌てて言葉を止めた。旧約聖書学を専攻し、言語的な意味で天使を調べている塞は、いわゆるカルト系に並んでいるような天使学を酷く厭う。勿論、趣味の一環としてなら問題ないのだろうが、それと同一視されることを嫌うのである。確かに自分の専門を、同ゼミの人間に勘違いされるのは不快だろう。旧約聖書と新約聖書の違いが分からない一般人ならともかく。

「図書館の奥を私物化されてることが多いのでこちらに先に来てみたんですけど」

「まだパソコン相手に格闘してればいるよ。どちらにしても今日は6時限目の講義しかないからずっと部屋に籠ってるんじゃないかな」

「じゃあ行ってみます。……ああ、ところで。山口さん、専門はオリエント系の歴史学でしたよね」

「んー。考古学と歴史学の間で険悪ムードの真っ只中だ」

「相容れませんからね」

「俺は十分相容れてるのに」

 考古学は現場を主とし、歴史学は文献を主とする。歴史学をやっているが、現場にも興味あるんだよ、と言う人間はいわば蝙蝠扱いされるのが常である。どうしても現地に行きたい関係で、考古学としてはいるが、精神的には歴史学なのである。

 まあようするに。教授同士の派閥争いがあるに過ぎないのだが。それこそが大問題なのだ。

「『エン』関係だから、そりゃあ現場は関係ないけどさ」

「それに、天使って出てきますか」

「うん? そりゃあ使いなんていくらでもどこででも出てくるよ。一般流布している天使ってのはいないけど」

 神に使いがいるのは当然であるし、神の力が象徴的に使いと表現されることもよくある。とは言え、泰斗が扱っているのは神の婚姻なのでその辺りの描写は少ないが。

「神と、使いと、それ以外に何かいますか」

「それ以外。ええと、ないなあ。神と人間以外は大抵使いでひとくくりだ。後は獣とか災いとか。ああ、旧約聖書だと災いなんかもろに天使か」

「『ちから』もですか」

「『ちから』は使いだろう」

 あるいは、神自身じゃないか。

 専門ではないが、だからこそ印象的にそう答えると、塞は酷く鋭い目をして。

 そうでしょうね、と堅い声を発した。


 今更何をと思うその質問の意図は。

 結局、明かされることはなかった。 



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