02 Ground

 4文書分のコピーを終えると、既に19時を回っていた。

 塞は開館時間ぎりぎりの21時まで作業をしても構わなかったのだが、手伝ってもらっている相手にそこまで頼むわけにもいかない。1人でやっていればまだ3文書も終わっていなかっただろうから今日はここまでで引き上げることにした。

「うん? もういいのか」

「1日目から根詰めてもしょうがないでしょう。学食……はもう閉まってるか。通りの店で良かったらお礼に夕飯奢るよ」

 通りの店とは駅から大学までの一本道に乱立する学生向けの値段で経営している店のことだ。

 当然大学生御用達であり、塞もその中で比較的静かな店を利用している。

「塞、バイトしてないだろ。無理しなくていいぞ」

「仕送りで慎ましく暮らしていれば夕飯を奢るくらいのお金はあるよ。それに、臨時収入があったし」

「ああ、教授の手伝いか」

 塞は基本的にバイトはしていない。それは労働意識が低いというより、勉強の妨げになるものが嫌いだからだ。長期休暇ですら、図書館に閉じこもって、臨時のバイトを探さない。学生として正しい姿なのかもしれないが、面接で専攻している研究よりもアルバイト歴を重視される昨今では、就職活動的には有利といえない。もちろん、塞にそんなものどこ吹く風だ。

「図書カードとコピーカードだけどね」

「どうせそれ以外に使わないだろう」

「うん。使わないね」

 話ながらカウンターで許可証を返却し、ゲートを抜ける。と。

「まて。何で当たり前に通ってるの鳥問」

「画家に」

「もういい」

 溜息を堪えてコピーの束を抱え直す。季節的に外はもう真っ暗だ。

 鳥問は夜間玄関へ向かわず駐輪所へ走っていった。塞は軽く首を傾げた。鳥問は家から近いと言う理由でこの大学を選んだくらいだ。つまり、ご近所だ。徒歩の方が早いくらいだろう。それともどこかに出かけていたのか。

「って。ちょっとそれ何」

「知らないか? ママチャリと呼ばれるものだ」

「いや、原チャリと呼ばれるものだと思うよ」

 ママチャリはただの自転車だ。

「知ってるじゃないか。何故聞くんだ」

「……それはまあ聞くんじゃないかな」

 原チャリは、塗装されていた。それはもうべったりと黄色一面に塗りたくられ、その上から抽象画─鳥問にとっては世界はこう見えているのかもしれないからその表現は正しくはないかもしれない─が描かれている。子供らしき姿と、白い羽は分かった。子供と羽と言えば。

「キューピッドか。言っておくけどあれは神話に登場する神様であって天使じゃないよ」

「ケルビムだ!」

「分かってるよ」

 智天使と呼ばれるケルビムが子供の姿で描かれるようになったのは、中世以降だが問題はそこではない。そもそも聖書にしめされているケルビムはどちらかというと化け物のような姿なので、どこでどうなったらそのような姿に変化していったのかその過程にとても興味はあるが、それは塞の専門外だ。それを、鳥問は中々理解しない。否、塞が趣味的知識で答えられてしまうから、勘違いが続行する。余分な雑学は捨ててしまった方が良いのか悩み所である。

 自動二輪の値段には詳しくないが、良いものだろうことは分かる。それを壁画扱いする鳥問にもう突っ込む気も起きず、やりすごすことにした。

「……あ」

「どうした」

 歩きながら携帯の電源を入れた塞は小さく声を上げた。兄からのメールだ。時間は昼過ぎ。図書館に籠ってすぐにメールがきていたようだ。

「兄からメール」

「栫さん? 夕飯でも来るのかな」

「来ないでしょ」

 高里栫たかさとかこいは塞の兄で、天文学を専攻する大学院生だ。その名の通りの学問であり、栫はいつも望遠鏡を片手に首都圏外の山の上に居すわっている。それでも電波が届く昨今は偉大であろう。その兄がわざわざ下山してまで妹に会いに来ることはない。あり得るのは、必要な資料を図書館でコピーして送ってくれ、とそんなところだ。

「丁寧に図書館で電源切ってるから」

「普通でしょ」

「常識としては合ってる」

 でも普通マナーモード。笑う鳥問に鋭い視線だけ向けてメールフォルダを開いた。

「…………」

 そして、固まった。

「塞?」

「鳥問、いい医者は知らないか」

「怪我でもしたのか。だからちゃんと電源を入れとけって」

「いや、頭の方のだ」

 普通怪我をしたのなら妹ではなく両親に連絡がいく。つまり。

「……何か変なメール?」

「宇宙人に遭遇したらしい」

 数秒の沈黙後。

 鳥問の背景にきらびやかな空気が広がった。

「すばらしいじゃないか!」

「お前も医者へいけ!!」


 高里栫、24歳。

 その日、山頂にて、宇宙人と遭遇した。

 翌日、当然だが塞に医者へ連れて行かれることとなる。

 必然的に、鳥問の前衛的自動二輪で。

 

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