第14話

「な、に……いまの……なん、だったの……?」

 押せば願いの叶うボタンを体のどこかに隠しましたとでも言われたみたいに、錯乱状態で体中をさわって自分の安否を確認する。

「爆弾……あの時計が爆弾だったの? でも爆弾って、もっとこう……」

 珠菜は二つの爆発物を思い浮かべる。

 一つは筒状のダイナマイト。もう一つは映画などでよく目にする粘土みたいな物体に信管をつけて爆破させているプラスチック爆弾。

 どちらもどういう原理で爆発しているのかはわからないけれど、小さな懐中時計と比べれば、ある程度の破壊力を備えていることに理解はできる。

「なんなの……なんだったの、あれは」先ほどの悪夢を頭の中から追い払うように、何度も何度も、まばたきを繰り返す。

「あなたの言ったとおり、爆発物がその役目を果たした。それだけのこと」

 蛇口をひねったのだから水が出た、その程度のことにすぎないといわんばかりにティーアの口ぶりはそっけない。

「でもあの時計って……ウマアザラシのおもちゃなのに」

「馬?」ティーアはまず左に首をかしげて「海豹あざらし?」右に傾げた。「珠菜は馬と海豹が好きなの?」

「馬と海豹じゃなくて、ウマアザラシだよ」

「珠菜、私はあなたが思っているほど、あなたの言語や文化に精通しているわけではない。その上であえていわせてもらうなら、今のあなたの言葉はとても不可思議だと感じた」

「ウマアザラシっていうアニメのキャラクターがいるんだよ」

「あにめ、とは?」

「……ええっと」

 貴重な時間を浪費している気がしたけれど、自分がまだ冷静さを取り戻していないこともわかっていたので、ティーアの疑問に付き合うことにした。

 スカートのポケットにスマートフォンが入っていたことを思い出し、取り出す。電波は圏外と表示されていたものの、通信を必要としない機能は問題なく使用できた。

 アルバムのアイコンをタップすると、端末内に保存されている画像がずらりと並ぶ。作品のことはよく知らなくても、お気に入りのキャラクターを何枚か保存していたので、目当てのものを見つけ、それをタップで拡大表示させてティーアに向ける。

「これがウマアザラシだよ」

「首から上が馬で、胴体は海豹のいきもの」ティーアは摩訶不思議そうに顔をスマートフォンに近づける。「これは海にいるの? それとも山?」

「アニメだから……架空の世界?」

「死んだ魚のような目をしているけど、これはちゃんと生きているの?」

 ティーアの疑問に珠菜は小さく笑う。「芹もそんなこと言ってたな」

 ウマアザラシのいくつかある特徴の一つに、その大きな瞳がある。ファンからは愛くるしいと表現され、そうでないものからは死んだ魚みたいだとレッテルを貼られていた。

「他にもこういういきものはいるの?」珍しくティーアの声色から興味を示すような感情がうかがえた。

「この子も人気だよ」珠菜は画面をスワイプして次の画像を表示させる。頭は黒猫で体は黒蛇のように細長いアニメ調のキャラクターが表示された。「クロネコクロヘビ白ネコ白ヘビっていうんだよ」と珠菜は言う。

「顔が猫で胴体が蛇だからそういう名前なのは把握した。でも、このいきものは全身が真っ黒で、白の要素が見当たらない」

「それはね、脱皮するとこうなるの」

 画面をスワイプして次の画像を表示させた。白い猫の顔に白い蛇の体を持つキャラクターが現れる。その表情は黒猫だったときよりもほがらかだ。

 話題のアニメということで、以前一度だけ『あつまれ! ウマアザラシ』を見たとき、このクロネコクロヘビ白ネコ白ヘビにスポットを当てたエピソードが放送されていた。

 怒りん坊のクロネコクロヘビは脱皮をすると優しい白ネコ白ヘビになる。だけど、優しい白ネコ白ヘビを脱皮させると、また怒りん坊のクロネコクロヘビに戻ってしまう。

 イタズラ好きのウマアザラシが調子に乗って何度も脱皮させている内に事件が起きて、街は大騒ぎ。そして最後にウマアザラシはみんなにおしおきをされてしまう、そんな内容だった。

「あ、わかった」ひらめいて、手を叩く。「あの子──乃愛ちゃんは、ファンの子なんだ」

 珠菜の通う葉ノ咲はのさき中学では、毎年七月に夏祭なつさいと呼ばれる学生たちが中心となって運営する、地域住民も参加可能な祭を開催していた。

 屋台や舞台がにぎわうなかで最も人気の出し物が恒例となっている工学部の『秘密兵器』だ。

 専門校に引けを取らない充実した設備と伝統のある葉ノ咲中学工学部はその技術力を毎年この時期にお披露目するのがならわしとなっていた。秋の文化祭では受験を控えた三年生が全力を注ぎ込むことができないからだ。去年は飛行船を飛ばして、地域の枠をこえ日本中を驚かせた。

 秘密兵器と呼ばれるだけあって、何が飛び出すかは当日まで極秘扱いなのだが、遺憾いかんなことに今年は祭の一週間前に情報がろうえいしてしまった。

 昨年と同様、地元の大手せんメーカーと自動車メーカーに協力をあおぎ、世間をあっと言わせる準備をしていたそのとき、一人の部員の些細なミスにより事件は起きた。

 第一目撃者である学校付近で暮らすとある男性は、学校から大きな破裂音を聞き、反射的にその方角を見ると、次の瞬間、全長数メートルはある巨大なウマアザラシの姿を確認した。

 しばし唖然とした彼だが、衝撃的なものと遭遇した際にいつも行っていることをすみやかに実行した。すなわち、スマートフォンで撮影してSNSに投稿することだった。

 それはバグのような勢いでシェアされ、彼のささやかな承認欲求は大いに満たされた。

 そしてその日を境に工学部は想定外の敵との戦いを余儀なくされる。

 近所の子供たちと一部の大人たちだ。

 主に十歳未満の少年少女から絶大な支持を受けている人気アニメ『あつまれ! ウマアザラシ』の主人公ウマアザラシ。

 あの学校にいけば本物に会えるという風説が広まり、少なくない数の子供たちが夜中の学校に侵入して『秘密兵器』を持ち去ろうとした。

 学校も部室もしっかりと施錠せじようされているにも関わらず、悪い大人たちがそれを突破した。

 工学部は有名でもそれ以外は至って平凡な公立の中学であり、警備を厳重にする予算もないので今年は秘密兵器の披露はあきらめるべきと学校側から言いわたされたとき、伝統とそれ以上に根性のある工学部員たちの闘志に火がついた。

 だったら夏祭当日まで自分たちで警備をさせてほしいと申し出て、彼らは行動を開始した。

 秘密兵器を屋上に保管して、一つしかない屋上につづく階段の入り口には二十四時間態勢で見張りをつけると校外にまで宣言した。

 工学部員一同はオリーブドラブという色のキャップを被り、同じ色の作業服を身につけて、意識を高めた。

 これはあらゆる国の軍用機から重火器にいたるまで幅広く使用されている、戦いと守護の色なのだという。

 さらに不心得者ふこころえもののためにトラップまで用意しているらしいと物騒な噂まであった。

 工学部が誇る秘密兵器ウマアザラシを保管しているのは、ちょうど珠菜のクラスの真上だった。


 つまり、乃愛が手にしていたあの懐中時計は工学部が仕掛けた罠だったということなのだろうか、珠菜はそう推測する。

 どうやってあんなものを作ったのか、いくらなんでもやりすぎでは、そんな思いがわき上がってくるも、現実問題として乃愛がアニメのグッズだと信じて疑わないあの懐中時計はまぎれもない爆発物であり、今後のリトライでは慎重に対応せざるを得ない。

「ねえ、珠菜」何かを求めるようにティーアが声をかけてきた。「他にはないの?」

「他って?」

「めずらしい、いきもの」

 ティーアは珠菜のスマートフォンを指さす。アニメのキャラクターがお気に召した様子だ。

「えっと、まだいたかな──」言いながら画面をスワイプすると、キリンのように首の長いひつじが出てきた。「たぶんこれで最後だよ。ヒツジキリン」

「なぜこのいきものはえんふくを着ているの?」

「それはたぶん、ヒツジとしつをかけてるんじゃないかな?」

 実際、アニメの中でヒツジキリンは執事として立ち回っている。

「執事、とは?」

「ええっと、どういえばいいのかな……身のまわりのお世話とか、ていねいに挨拶をしてくれる人のこと、かな?」

 珠菜は芹の家に長年勤めている老紳士、桜井さんを思い浮かべながら言った。

「丁寧に挨拶をすると執事なの?」

「いや、そういうわけじゃなくて……」

「では珠菜」ティーアは何かを演じるように丁寧な身振りで告げた。「いってらっしゃいませ」

「──え?」


【残り時間 一〇〇秒】

 リトライがはじまってしまう。

「…………」

 前回のリトライから、何一つ対策ができていない。

「珠菜? どうして珠菜がここに──」

 芹が不安そうに口を開く。


【残り時間 九十一秒】

 チックタック チックタック

 不吉な音が耳に転がり、あわてて教卓の内側に回り込む。


【残り時間 八十六秒】

 歩斗家乃愛と目が合う。

「お姉ちゃん、だれ?」乃愛はちょこちょこと視線を動かして言った。「お姉ちゃんはさっきの『傷の人』じゃないんだね」

 チックタック チックタック


【残り時間 八〇秒】

「ねえ、お姉ちゃん。階段のところにいる緑色のお姉ちゃんたちってまだいるの?」

 その言葉で、やはりこの子は秘密兵器を目当てに侵入してきたのだと確信を得る。


【残り時間 七十四秒】

 チックタック チックタック

 音が熱を帯びているかのように、秒針が一秒を刻むたび、珠菜の額に汗がにじむ。


【残り時間 七〇秒】

 歩斗家乃愛は自分が見つけてきたウマウマタイマーを中学生からじっと見つめられていることに気づき、それに気をよくした。

 きっと、うらやましいんだと思った。

「いいでしょ、これ。乃愛が見つけたんだよ」

 もっといい場所で見せてあげようと、体を起こして教卓から出る。

「その子、誰?」

 離れた場所から声がして、その人を見た。綺麗な人だったけど、この人もさっきの『傷の人』じゃない。

 目の前にいる中学生はじっとウマウマタイマーを見ている。それは乃愛の優越感を刺激した。

「いいでしょう?」

 首からさげていたウマウマタイマーをはずして、特別にちょっとさわらせてあげようとした。でも次の瞬間、ウマウマタイマーを強引にうばわれて、窓に向かって投げられた。


【残り時間 五〇秒】

「なにするの!」

 しゆんびんに追いかけて、間一髪、窓の外に落ちる手前で乃愛は懐中時計を掴んだ。

「お願いだからそれを捨てて、はやく」

 珠菜の叫びに、びくりとして、乃愛は思わず窓の外に向かってそれを投げた。

 それなのに再び珠菜は叫ぶ。

「──みんなせて」と。


【残り時間 四〇秒】

 歩斗家乃愛だけが知らなかったことがある。

 歩斗家乃愛は開いた窓の先に向かって投げたつもりでも、実際、窓は閉じていた。

 この学校の窓ガラスは御暁ガラスの製作した世界的ヒット商品であるエアガラスが組み込まれており、その高い透過率はそこにガラスの存在を感じさせない。

 それは景色をより正確に楽しめると同時に危険性もあるため、教室の一番前の窓以外はすべてはめ殺しで開かないようになっていた。


【残り時間 三十七秒】

 勢いのついた懐中時計は透明な壁と衝突して、時計内に施された仕掛けが作動し、爆破し、乃愛は弾き飛ばされた。


【残り時間 二十六秒】

「──乃愛ちゃん」

 教室の窓側から通路側まで吹き飛ばされ、ぴくりとも動かない小さな背中に珠菜は大きく声をかけたが、名前を呼ばれても、その幼い体は反応を返さなかった。

 絶望的な感情に押しつぶされそうな珠菜の前に、一枚のプリント用紙が舞い落ちる。

 無機質な明朝体で、そこにはこう印字されていた。


【残り時間 十六秒】

 これまでいくつも宿題を提出していただき感謝しています。

 ずいぶんお疲れでしょう。

 だからこれで最後にします。

 今日の放課後、御暁芹を教室に呼んでおくので、彼女を殺害して下さい。

 手段はお任せします。

 それでもうあなたの珠城珠菜への罪は問いません。

 では、健闘を祈ります。


【残り時間 〇秒】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る