第13話

「あの子は──誰なの?」

 目をしばしばさせながら、その疑問だけをのどから絞り出す。

「あなたへの助言は禁じられている」一方、ティーアの態度は長閑のどかですらあった。「──とはいえ、決まり事を正しく伝えないのは不誠実。だから教える」

 ティーアは一度、自分の左手のこうめてからづづけた。

「御暁芹に新たな時間を呼ぶためにあなたに与えられた試練は、御暁芹に死が訪れる前のあの教室で、百秒間、瘴気と戦うこと。勝利の条件は、百秒間、誰も眠らせないこと。眠りとはすなわち、死。あるいはそこへいざなうような致命傷を負わせること。眠らせてはいけないのはあの教室にいる全員。すなわち、珠城珠菜、御暁芹、運部桔京、茨楽香央、葛谷御奈、栖々木羽祇、歩斗家乃愛ほとけのあ──以上、七人。これが試練の全て」

「……歩斗家?」聞き覚えのない名前が一つあった。「……乃愛?」

 ──乃愛ちゃんのことでお話を聞かせてもらえませんか?──

 記憶のあさから、そんな女性の声が聞こえてくる。

 それがいつどこで誰と交わした会話なのか、まったく思い出せない。

 左手で顔を覆って、親指と中指でこめかみを刺激する。そうすると過去のことを思い出しやすくなると、芹から聞いたことがあった。

 思い出したのは、今朝のできごと。

 学校に着くなり全校生徒が体育館に呼ばれた。

 透明な石像でもくくりつけられているみたいに重い足取りで現れた校長が悲痛な声で、こう言った。

 ──昨日、この学校でとても悲しいことが二つも起こりました──

 一度、記憶をさかのぼるのをやめて、珠菜はつぶやく。

「昨日、学校で、芹以外にも、もう一人、亡くなった子がいた……?」

 もう一度、記憶を辿たどる体勢に入るが、それ以上は何も思い出せなかった。

 珠菜が芹の死を聞かされたのは昨日の午後六時頃。お願いだから落ち着いて聞いてねと電話をかけてきた芹の母親の声は、冷静とはほど遠い場所にいた。

 ──娘が学校で自殺をした──

 珠菜の意識はそこで途切れた。

 芹の会社から迎えの車がきて、どこかへ連れていかれ、そこには芹の両親がいて、一時間くらい何かを話した気がする。

 その夜は一睡もできなかった。

 翌日、つまり今日の記憶はさらに曖昧だった。

 どうやって学校にいったのかも覚えていない。

 いつ下校して、それから何をやっていたのかもわからない。

 確かなことは一つ。いま自分は芹を救うためにこの白い部屋にいて、そして芹を救うためには昨日学校で何かが起きて命を落としてしまったもう一人の少女、歩斗家乃愛も救う必要があるということ。

 小学校低学年、あるいはそれより幼く見えるあの女の子が中学三年の教室で何をして、その身に何がふりかかったのか。

 珠菜は想像力を広げてみたものの、漠然とした予想を立てることもできなかった。

「珠菜」ティーアが声をかけてきた。「そろそろ」

 そう言って、目を水時計に向ける。

 リトライ開始まで、あと数滴。

 珠菜はティーアを見て、うなずく。

 さっきのリトライでは歩斗家乃愛以外は誰も被害者にも加害者にもならなかった。

 冷静に対応すれば、次のリトライで全てを終わらせることができるかもしれない。

 珠菜の胸に希望が芽ばえる。同時に得体のしれない不安もあった。

 そもそも歩斗家乃愛は、なぜあそこで命を失っていたのだろうか。


【残り時間 一〇〇秒】

「……珠菜?」唐突に現れた親友の姿に芹は目を見開く。「どうして珠菜がここに──」


【残り時間 九十八秒】

 珠菜は脇目も振らず教卓の内側に回り込む。

 小さな空間に、膝を抱えた体勢で一人の少女がおさまっていた。

 くりっとした愛らしい瞳と視線がぶつかる。


【残り時間 九十五秒】

「…………」

「…………」

 沈黙と沈黙が重なる。

「珠菜? どうしたの?」

 背後から芹の声。


【残り時間 九〇秒】

「えっと……乃愛ちゃん、だよね?」珠菜は腰をかがめて少女に話しかけた。

 小さな顔が、ぴくんと反応する。

「お姉ちゃん、どうして乃愛のことしってるの?」

 歩斗家乃愛は不思議そうに小首をかしげた。


【残り時間 八十六秒】

 膝を抱えた体育座りの姿勢をほどいて、乃愛は立ち上がる。

 乃愛の視線の高さは珠菜の腰とほぼ同じだった。

 珠菜はまだ腰をかがめた体勢で、手は膝の上にある。

 何を思ったのか、乃愛は珠菜の左手首を掴んで、少し持ち上げた。

 珠菜の手のひらが乃愛の顔に向く。

「……私の手がどうかしたの?」理由の見えない行動に、少し戸惑う。

「お姉ちゃんは、さっきの『傷の人』じゃないんだね」


【残り時間 六十六秒】

「え? 傷?」

 少女の言わんとすることが見えてこない。

 感触が伝わるほどの鋭い視線が珠菜の背中をさす。

 振り返ると、全員、こっちを見ていた。

「その子、誰?」

 そう訊いてきたのは芹だった。


【残り時間 五十八秒】

「えっと、この子は、歩斗家乃愛ちゃんっていうの」

「知り合い?」

「えっと……よく知らない」

「名前は知ってるのに?」

 要領を得ない会話の応酬がつづく。


【残り時間 五〇秒】

 芹は数歩近づいて、乃愛を観察する。

 紺の短パン、アニメキャラクターのイラストがプリントされた白のシャツ、活発な印象を受けるショートヘア。それ以上に印象的な首からげた金色の懐中時計。

 そこに視線を受けたことに気をよくした乃愛は得意そうに懐中時計を掲げた。

「いいでしょう、これ。乃愛が見つけたんだよ」

 遠慮なくめてくれてかまわない。乃愛の表情からそんな自信が満ちている。


【残り時間 三十五秒】

「それは、なあに?」珠菜は訊く。

「本物のウマウマタイマーだよ」乃愛は答える。

「馬?」どこかで聞いたことのある名前だったが、それが何か思い出せない。

「みててね」と乃愛は楽しそうに声を上げて歌いはじめる。「ウマウマウーマー、ウマー、ウマー、ウマアザラッシー、あたらっしー、アザラッシー、ウマらっしー」

 お遊戯会がはじまる。でもその歌で思い出した。

『あつまれ! ウマアザラシ』という子供たちから絶大な支持を集めている人気アニメのテーマソングだ。中毒性の高いそれはアニメに興味のない層からも評判がよく、珠菜もスマートフォンにダウンロードしたものをたまに聴いている。

 乃愛のシャツにプリントされているのは首から上が馬で胴体はアザラシというで立ちのキャラクーで、正にそれがウマアザラシだ。


【残り時間 八秒】

「おいでよおいでよ、ウマアザラッシー」

 歌がフィナーレを迎えようとしている。

 そのパートではそうする決まりでもあるのか、乃愛は首から提げていた懐中時計をはずして、紐の部分を手に持ち、プロペラみたいにぐるぐる回しはじめる。

 近くに黒板や教卓もあるのに、少女がそんなことを気にする様子もなく、案の定、懐中時計は勢いよく教卓のかどにぶつかった。


【残り時間 二秒】

 結論からいえば、それは事故だった。

 同時に事件であり、見る者によっては災害ですらあった。

 懐中時計と教卓が衝突した刹那、分不相応な轟音が響き、ハリケーンが発生したような暴風が雄叫びを上げ、珠菜たちは壁に、黒板に、窓に叩きつけられ、教室内で何らかの役割をになっていた備品だったものの破片を浴びた。

 それは中学校の教室で起きた、爆破事故だった。


【残り時間 〇秒】

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