チェンジリング

チェンジリング・1


 はぐれ地の池の中。

 イシャムが作ってくれたボートに、アガサはたった一人で乗っている。

 そこにフレイの姿はない。でも、アガサは持ち込んだロウソクに向かって、何度も呪文を唱えるのだ。


「火の精霊フレイよ、ロウソクに火を灯して!」


 当然、火はつかない。

 ただ、さわさわと風が水面を渡るだけである。

 アガサは手桶で水をすくい、水着の上にかける。万が一の爆発に備え、準備だけはしておく。

 風よけと寒さ対策の羊毛の毛布を被り、再び挑戦する。


「火の精霊フレイ! ロウソクに火をつけて!」


 やはり、火はつかない。

 ただ、ぽちゃん……と、魚が跳ねて水面に波紋を広げただけである。

 アガサは乱暴に手桶を水に突っ込み、さらに大きな波紋を作り、ジャバッ! と自分に水をかけた。

 そして、大きく息を吸い込み。


「火の精霊フレイよ、ロウソクに火をつけろ! って言ったら、つけろ!」


 半ばヤケのヤンパチである。

 だが、火はつかない。

 アガサは、怒りで燃え盛りそうになりながらも、再び大きく呼吸をして、精神統一を計った。



 岸辺で、ぼんやりとその様子を見ながら、イミコはため息をついた。


「何だか……もう見ていられない。アガタったら、追いつめられれば追いつめられるほど、がんばっちゃうみたいで」


 その横でジャン‐ルイもため息をついた。


「がんばるのがいいのか、諦めるのがいいのか……。本当にわからなくなってきたよ」


 入試テストまで、あと3日。

 何の進化もないままだ。


「フレイが諦めちゃっているんですもの、もう落ちるのは目に見えているものね」


「いや……それもあるけれど」


 ジャン‐ルイは、小さな石を池に投げ込んだ。

 ぽちゃん……と波紋が広がった。


「気になるんだ。フレイが間違ってアガタに付いたとしたら? 本当のフレイのソーサリエってどうしていると思う?」


「え? 私、そんなこと、考えたこともなかった……」


「本当のソーサリエは、精霊がいないから、本当の自分ではいられないはずなんだ。きっと、死んでしまったか……いや、それはないな。死んだなら、フレイだって消えているはずだから。でも、きっとそれに近い状態でいるんじゃないかな?」


 イミコは、ボートの上で苛々ながらも、フレイに命令を送り続けているアガサを見た。


「……もしかして、アガタがフレイを諦めたら、その子は助かるってこと?」


「いや、そんなにうまくいくはずがない。フレイは消えるだけだと思う。だって、彼はその子を認識できなかった。だから、アガタについたんだから。でも……」


 ジャン‐ルイは立ち上がった。

 そして、空中でアガサの訓練を見守っていたアリに合図を送った。もう、時間だ。これ以上は、アガサが風邪をひくだろう。


「でも? どうしたの?」


 イミコは不安気に聞いた。


「いや……。フレイは、きっと、アガタとその子の事を考えて、自分の間違いに報いようとしているんだと思う。消えて千年の封印を受け入れるつもりなんだよ。そうしたら、もう、アガタに苦労を背負わせないで済むだろうし、精霊のいないソーサリエの子には、別の精霊がつく可能性が出てくるから」


 ――アガサにも責任が持てない。

 きっと、本当のソーサリエの子にも。


「……まさか、だな」


「え? 何が?」


「いや……何でもない」


 いくら姿が似ていて、年が同じでも……。


 フレイの付くべきソーサリエが、自分の妹のアガタだったんじゃないか? なんて考えるのは、都合がよすぎる。

 そうなるためには、よほどフレイが狂っていないかぎり、ありえない。

 だが、ジャン‐ルイはそう思えて仕方がない。


 ――多分……兄という立場がそうであって欲しい、って思わせているんだ。

 まったく精霊の気配がないソーサリエなんて、あまりにもアガタがかわいそうで。



 ガチガチ震えてくしゃみ3回。

 アリのひらひら衣装に包まれて、さらに1回。


「ああ、アガタ姫。あなたは無理をしすぎています」


 アリが心配そうに話しかける。


「無理でも何でも……もう私たちには時間がないのよ」


「私たち? フレイはもう諦めていますよ」


 アリが囁いた。


「アガタ姫。これは、きっと、バッラーの神の思し召しです。あなたの危険は去りました。これからは、バルバルの王宮で暮らせということではないでしょうか?」


「王宮はいらない」


「大臣を説得して、第一夫人にしますから」


「そういう問題じゃないの! はっくしょん!」


「か、風邪ですか? 大丈夫ですか?」


 アリの優しさはわかるのだけど、アガサは時々疲れてしまう。


「今はただ、この学校に残り、フレイを助けることだけが私の望みよ」


 ――そのためにはどうしたらいいの?


 このままがんばっても、どうにもならない。

 いったい、どうしたら?


 フレイ! 

 あなたはいったい、どうしちゃったの? どうなりたいの?

 死んじゃいたいの? 消えちゃいたいの?

 あなたには、私の考えが読めるはず。

 お願い! 答えて!

 フレイ!



 部屋に戻って温かいお湯につかる。

 その中でも、アガサは何度も命令した。シャワーの上に括りつけたロウソクに向かって。


「火の精霊フレイ。お願いだから、私の言葉に耳をかして」


 もちろん、成功しない。

 アガサはお湯から上がると、苛々と鏡に向かって髪の毛をタオルで拭いた。

 髪は見事に赤いまま。

 ……ということは、フレイはどこかに必ずいる。


「フレイ! いじけるのもいい加減にしないさいよ! 私はあなたを諦めないからね!」


 アガサは鏡に向かって怒鳴ると、勢いよくバスルームのドアを閉めた。


 その間、フレイは……。

 見えないほど透き通った状態で、アガサの回りを飛んでいた。

 ふわり、ふわり……と、力なく。


「だって……もう仕方がないじゃないか、ねーさん。すべては、おいらが悪いんだぁ……」

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