ファビアンとデート・5


 未来は前途揚々。

 フレイは死なずに済む。

 自分の世界に戻ったアガサは、フランス貴族の姫君。

 贅沢な暮らしと一流のお菓子。

 不良の兄と性格の悪い姉、悪知恵が働く妹はいない。夫婦仲最低の両親もいない。

 崩れた誕生日ケーキもなければ、クマさんの縫いぐるみで喧嘩しなくてもいい。

 赤毛に染まった兄のうるさいパンクを聞かなくてもいいし、学校の先生に怒られなくても済む。


「……でも……今までの私はどうなるの?」


「君は、アガサ・ブラウンではなくなる。彼女は、焼け死んだことになっているから」


 ファビアンの言葉が、甘いものでマヒしたアガサの頭に染み渡った。


「地上に降りたら、君は本来の金髪と青い目の女の子になって、新しい名前で呼ばれるよ。アガタってね」


 ――アガタ……。


「それ……。本当の私じゃない」


 思わずかじりかけのマカロンを、皿の上に戻した。

 ファビアンの微笑みが、不思議そうな表情に変化した。


「……?」


 まるで覗き込むように、ファビアンが見つめている。これじゃあ、心の中まで覗かれてしまいそうだった。

 でも、アガサはそれでもいいと思った。いや、わかってほしいと思ったのだ。

 青い目のまま、アガサもファビアンを見つめた。


「ファビアン、それ、本当の私じゃないよ。だって、私は『アガサ』で、赤毛で、赤茶の瞳で、ずっといたんだもの。今更、『アガタ』にはなれない」


 完全に、ファビアンの微笑みが消えた。


「君はただ、精霊に間違って付かれて、変化していただけだ。今こそ、精霊との繋がりを捨て、本来の自分に戻るべき時だと思うけれど?」


「違うわ。私には、物心ついた時から、フレイがいたんだもの! 確かに生まれたままの姿なら、そうかも知れない。でも、フレイとともに成長して、変化してきた私こそ、本当の私なのよ!」


 ぴくり……と、ファビアンの眉が動いた。


 普通の女の子でいること――。


 それは、アガサの長い間の夢であった。

 でも、今のアガサは、胸を張って……あまりまだ成長していないのだが、はっきり言うことができた。


「私は、フレイといっしょにいて、はじめて本当の私なの。金髪で青い目の『アガタ』は、私じゃないわ」


 ファビアンの表情にゆとりが無くなった。アガサの反応が意外すぎるほど意外だったのだろう。


「アガサ、それは違う。間違ったままの状態は、とても不自然で危険なんだ。君はフレイと別れるべき、普通の女の子だ。水は高いところから低いところに流れるのが自然なように、君も自然に身を任せなければ……」


「流れないようにだって、がんばればできるじゃない! ほら、こんな風に……」


 アガサは、紅茶のカップを持ち上げてみせた。確かにその瞬間は、紅茶という液体が高いところに持ち上がっているのであるが……。


「一生、持ち上げてはいられないよ」


 ファビアンの言葉に、アガサは紅茶を飲み干した。そして、立ち上がった。


「ファビアン、色々いいことを教えてくれてありがとう。私、すっかり落ち込んでいたけれど……私でいるために、努力することを諦めない。それじゃあ」


 ちょっと大きめのマントを、ガバッと、アガサは脱いだ。裏地が青の『水のソーサリエ』のマントである。

 とたんにファビアンが慌てた。


「だめだ! ここでそれを脱いでは!」


「は?」


 アガサはすっとんきょうな声をあげたが、すでに遅かった。


 突然、まぶしい光が走った。


「ひやっ!」


 しゃがみ込んだアガサに、ファビアンがすぐにマントをかぶせた。

 あたりのソーサリエたちも、ざわざわと騒ぎ、一気にあたりに緊張が走った。


 ――何がおきたの?


 アガサの疑問に答えたのは、とても聞き慣れた声だった。


「じゃああーーーん! ねーさん、発見! とってもイカす火の精霊、フレイ登場!」


 ファビアンの腕越しに見上げると、フレイが楽しそうに空中を躍っていた。



 アガサがほっとしたのは、ほんの一瞬だった。

 回りの属性の違うソーサリエたちが、精霊の力を抑えようと必死になっている。どうにか抑え切っている中で、ただ一人だけその力を持たない者は……。


「アガサ! だめだ! 爆発する!」


 ファビアンが叫びながら、フレイを睨んだ。


「へ? おいら、呼ばれて飛び出て、じゃじゃじゃじゃーんだっただけだぜ?」


 と、呑気に言っているフレイは、どんどん力を溜め込んで大きくなりつつある。

 逆にアガサのほうは、頭がマヒしそうだった。

 精霊は、ソーサリエの頭を食べているという。長い間、距離を置いていたので、フレイは飢えているのだ。

 一気に飛んで来た場所が、アガサには禁断の中央食堂だと、フレイは気がついていないのだ。

 ファビアンの呪文が飛んだ。

 とたんに、レインから水の大きな玉が飛び出し、大きくなりつつあるフレイを包み込んだ。


「うわっ! 何だ? 何するんだよー!」


 一気に水玉に閉じ込められたフレイは、ばたばたと暴れた。

 ファビアンの手が、アガサを抱き起こした。


「だめだ! ここではもう、抑えきれない! 飛ぶよ!」


 いきなり、ファビアンはアガサを抱いたまま、走り出した。しかも、出口なんかではない。

 窓。一番近い外に向かって。


「きゃ! ちょ、ちょっと……あぶな……」


 窓は開いていない。ガラスがあった。

 だが、ファビアンは気にするようすはない。そのまま、窓硝子に激突した。


 ――ガシャーーーーーン!


 窓硝子は粉々になって飛び散った。

 同時に、ファビアンとアガサは、窓の外に身を投げ出していた。

 空を飛ぶことなく、自由落下。芝生がものすごい勢いで近づいていた。


「ひ、ひやーっ! 落ちる!」


 思わずファビアンにしがみつき、アガサは目をつぶった。

 だが、地面すれすれというところで、ファビアンとアガサの体は平行移動を始めた。それは、まるで芝生の上を高速で走る動物のように。

 今度は目の前に石の建物が迫ってきた。

 このまま進めば、間違いなく激突。


「ぎゃあああーーー!」


 アガサは、今度は目を剥いたまま、悲鳴を上げていた。

 だが、今回もすれすれのところで、今度は壁を駆け上るかのように移動し始めた。

 もう、驚きすぎて、何が起きても声が出ない……と、アガサが思った時、二人の体は、開いている窓から部屋の中に飛び込んでいた。


 誰もいない。

 だが、この部屋は……。


「ジャンジャンの部屋だわ」


 あたりを見回して、アガサは呟いた。


「どこでもいいから、火のソーサリエの場所へ……と思ったけれど」


 ファビアンが小さなため息をついた。

 その横で、レインが水玉乗りをして遊んでいた。

 その中で、フレイがころころしながら、何かを叫んでいた。


「レイン」


 ファビアンの声とともに、水の精霊・レインは、細長い手足でちょこんとお辞儀をし、水玉の上から飛び上がった。

 とたんに水玉がはじけて消えた。


「……………ビアンのバカヤロー、アガタのアホー! 早く出せよ、この……あ」


 叫びながら、ぺちょんと床に落ちたフレイ。

 その姿はいつもの様子。言葉は爆発していたが、本人の爆発の兆しはない。

 ふと、部屋にある鏡を見て、アガサは自分の姿が、もとの赤い髪に戻っているのに気がついた。

 フレイが自分のもとに戻ったからだ。


 ……と、いうことは?


「ちょ、ちょっと! ファビアン!」


 あることに気がついて、アガサは真っ赤になって怒鳴った。


「な、な、何が本当の私よ! このマントに秘密があったのね? フレイを寄せ付けないようにして、私を変身させる何かが!」


「確かにフレイを君を断絶させる働きがあったけれど……他は何もないよ」


「し、信じられない! いったい、何を企んでいるのよ!」


「何も……」


 またまた、いつものポーカーフェイス。ファビアンの考えが全く読めない。


「……と、と、とにかく! 私とあなたじゃ、残念ながら考え方が違うみたい。目標も違うから、協力を求めるほうが馬鹿だった! って気がついただけでも、今日はありがとう!」


 ぷん! と怒って立ち上がろうとしたが、足腰が立たない。

 せっかく話をしめたつもりなのに。

 アガサは、うーん、うーんとうなりながら、体を動かそうとした。

 その様子を見て、ファビアンがくすくすと笑い出した。


「なっ! 何がおかしいのよ!」


「君は……まったく僕の思いも寄らないことを考えるから……」


 何を考えているのかわからないヤツに、思いも寄らないと言われるのは心外である。よほど気が合わないのだろう。

 ファビアンは、水色の美しい瞳をアガサに向けた。


「ジャンジャンは、頭脳派だけど……僕には、彼の考えそうなことが想像できる。でも、君にはお手上げだよ、アガサ」


 すっと伸びた手が、おでこに触れた。


「あたっ!」


 思わずヒリッとした。


「さっき、ガラスで切ったんだね。血が出ている」


 すっと、ファビアンの胸元が近づいて見えた。そのとたん……。

 額に温かな感触。


 え? ええ? えー!


 何をされたのか、すぐに気がつかなかった。

 おでこにキス。

 まさか、まさか。

 でも、間違いなくプラチナ・ブロンドの髪が、アガサの目の前を往復した。

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