ファビアンとデート・4


 鼻をくすぐる甘い香り。

 目の前に並ぶガラスケース。

 マカロンの山。


 忘れもしない。


 食堂である。

 アガサの憧れの場所であり、憎い場所でもある。

 しかも、忍び込んだ夜とは違い、明るい日差しが差し込む喫茶室があった。そこに多くの生徒たちが、ティータイムをとっていた。

 読書する者、黙々と食事する者、友達と談笑する者。中には、マントの裏地の色が違う者同士、議論している者もいた。

 多くのソーサリエたちにとって、ここは至福の場所にちがいない。だが、アガサには、苦い思い出がある。

 そう、御用となった苦しい思い出が。


「わ、私が甘い物の誘惑に負けて、ニコニコするとでも思っているの!」


「うん」


 あっけなくファビアンは答えた。


「……うっ」


 マカロンの屈辱をアガサは忘れない。

 だが、その美味しそうな姿も忘れられないのだ。

 言葉を無くしたアガサに、ファビアンは笑っていた。そして、まるで友達のような親しさで。


「アガサは席を取っておいて。僕はケーキを買ってくる。モンブランでいい?」


「……うっ、うん……」


 いけない。

 完全に、読まれている。


 アガサは真っ赤になりながら、あいたばかりの窓辺の席を確保した。

 回りの人たちは、よほどアガサが珍しいのか、ちらり、ちらり……と視線を送る。だが、話しかけてくる人はいなかった。


(な、なんか、すごーく嫌な感じじゃない? 私の顔に何かついている?)


 いたたまれなくなってくる。

 まるで異邦人を見るような目。確かに、今のアガサは、自分でも自分に戸惑う状態なのだ。


「ねぇ、何でこうなるのよ?」


 ふと話しかけて、気がついた。

 答えてくれる相棒は、そこにいなかった。


 ――そういえば……。

 フレイを置いてきちゃったんだわ。


 答えがあってもなくても、アガサの回りには常に火の精霊がいた。そして、アガサは赤い髪をしていたのに。

 手に絡まる金色の髪は、子供時代に憧れたものであっても、今のアガサには似合わない。

 ファビアンの言葉が頭の中にリフレインしてゆく。


「本来の私? そうなのかしら?」


「そう。君はソーサリエじゃない」


 いきなり、本当のファビアンの声。

 ぼんやり髪を撫でながら座っていたアガサの前に、モンブランとマカロン、それにチョコレート・ケーキが現れた。

 つい、アガサの目は、モンブランの高々とした白い山に釘付けになってしまった。

 ファビアンは、にこっと微笑むと、今度は紅茶のポットとカップ・アンド・ソーサーを運んできた。

 上品な手が、優雅に紅茶を入れるのを、アガサはぼんやりと見つめた。ほのかな香りが漂ってきた。

 その向こう、向かい合ってファビアンが座った。


「どうぞ。僕のおごり」


「え? ええ? 何で私におごってくれるわけ?」


 状況が飲み込めなくて、アガサはむすっとした。だが、右手はしっかりとケーキ・フォークを握っている。


「デートのつもりだけど?」


「ぶほっ!」


 アガサは思わず紅茶を吹き出してしまった。


「なななななな……なんですってー!」


「だって、そう言えば誰も僕たちの邪魔はしないだろ?」


 ファビアンは、すっとポケットから絹のハンカチを取り出し、手にかざした。すると、レインがそのハンカチを受け取って、アガサが吹き出した紅茶をきれいに掃除した。

 アガサは、吹き出した紅茶が恥ずかしいやら、デートで想像したことが照れるやらで、真っ赤になっていた。

 だいたい、モテモテの王子様の彼女宣言なんてしたら、あとが恐いかもしれない。


「それはないよ」


「ど、どういうことよ?」


「女の子の噂では、僕には地上にソーサリエじゃない恋人がいるってことになっている。ソーサリエの学校では、普通の子に危害を加えると退学になってしまう。もっとも連れてくるだけでも学生牢行きだけどね」


 アガサは青い目をぱちくりした。


「だから、僕が『恋人』だと言ったら、誰も君に危害を加えない。僕を学生牢に入れたいヤツ以外は、僕たちをそっとしておいてくれるよ」


 平然とした顔で、ファビアンは紅茶を飲んでいる。

 アガサのほうは、働かない頭を必死に働かせて、今の話を理解しようとした。


「つまり……ソーサリエじゃない私って、あなたの『恋人』なの?」


 そう聞いて、心臓が飛び出そうなくらいドキドキした。



 もしも、そう――なんて言われたら、鼻血が出てしまいそう。

 チョコレート・ケーキも食べちゃったし……。



 となれば、またファビアンは絹のハンカチを取り出して、レインに掃除をさせるのだろうか? などと、空想が広がるアガサであった。が。

 ファビアンは、あまりに素っ気なく。


「まさか」


 とだけ、答えた。

 思わずぐったりしてしまったアガサ。


「……あ、あのね……。ちょっとは取りつく島ってものがないの?」


「それよりも、見てごらん」


 水色のガラス玉のような目を、ファビアンは回りに注いだ。

 見渡すと、今まで何一つ変わらない。ソーサリエたちが、それぞれの属性のマントを翻しながら、歩いたり、座ったり、食事をしたりしているだけだ。

 どうやら話をそらされたらしい。


「違う。よく見てごらん。皆、それぞれ精霊を連れている。連れていないのは君だけ」


 そう言われれば……。


 ソーサリエたちの回りには、常に精霊がついている。そして、ここの生徒たちは、皆、精霊の力を制御していて、火と水がすれ違おうが、風と土が手を繋ごうが、何も起きないのだ。


「つ、連れていないって……ちょっと置いてきただけだもん!」


 ファビアンは、穴が開きそうなくらいアガサをじっと見つめた。


「ソーサリエと精霊は、お互いに共存関係にある。だから、ちょっと置いてくるなんてできない。それこそ閉じ込めたり、何らかの命令をしていないと、呼び合ってしまうものなんだ」


 少なくても、アガサとフレイは呼び合っている気配はない。ここにいるどのソーサリエとも、アガサは異質の存在だった。


「そ、そんなこと!」


 やけくそになって、アガサはフォークをモンブランの頂上に突き刺すと、そのまま口に運んだ。ぱくっと……と一気に口に放り込んだ。

 ファビアンのほうは、それがおかしかったのか、くすくすと笑っている。


「デートにケーキの一気とは」


「……もぐ! もごもごもぐぅー!」



 ――何よ! もう!

 私の気持ちを知っていてからかっているのかしら?

 前言撤回! 失礼なヤツなんだわ!



 ……とはいえ、紅茶を注いでくれる手が優しげで。


「ここのケーキはね、マダム・フルールがパリで修行したパティシエを雇い入れて作らせているんだ。ここで食べなければ、パリまで行かないと食べられないよ」


 確かに美味しすぎた。

 だが、どうもファビアンの貴族的な態度が、一般庶民アガサには鼻についた。


「そ、それは、ご親切なのね。じゃあ、あなたは私が退学になって、金髪のアガサになる前に、一流のケーキをごちそうしてくれたわけね?」


 どうせ、アガサの家では、誕生日にでさえも形の崩れた安物ケーキしか当たらない。それを、アガサは毎年楽しみにしているのだ。


「いや、君は……退学になったら、おそらくフランス人になる。豊かな貴族の一人娘として、これからは生きることになる。マダム・フルールの魔法によってね」


「はぁ?」


「そうなったら、フォーションでもラデュレでも、好きなだけお菓子が食べられるよ」


 一瞬、アガサの顔が、ぱっと明るくなった。が……必死に誘惑に耐え、厳しい顔をファビアンに向けた。


「ソーサリエじゃない君へのお詫びも込めて、マダムはそうする。それに、フレイだって、恩赦を受けられるよ。僕が責任を持って、預かることにしたから」


 アガサの厳しい顔が、一瞬、再び緩んだ。


「……フレイも死なないの?」


「僕は、火の魔法を習得し、無のソーサリエになりたい。そうなったあかつきには、フレイは僕の火の精霊となる。だから、死なないよ」


 アガサは、働きの悪い頭を必死に動かした。



 ――私がソーサリエじゃなくて。


 ――フレイが死なないのであれば……。


 別に……がんばって学校にいる必要ない?


 ファビアンが、これ以上ないほどの優しい笑顔を、紅茶の煙越しに見せた。


「アガサは、ソーサリエじゃなくても幸せになれるよ」

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