ファビアンとデート・2


 ――アガタが消えた!


「どういうことなの? フレイ」


 イミコの声に、フレイはふにょふにょになりながら、言った。


「わ、わかんねー! おいら、何度もソーサリエに付いてきたけれど、こんな感覚初めてだぁ……」


「アガタ嬢ちゃんに、何かあったかの?」


 イシャムの声に、アリが真っ青になった。


「ああ、バッラーの神よ! 私にどのような試練を与えるおつもりですか? あの美しい人を、いったいどこにおやりになったのですか?」


「うっかり足を滑らせて、落ちたのではないでしょうか?」


 カエンがそれを口にしたとたん、イミコもアリと同じように真っ青になった。


「いや、それはないと思う」


 ジャン-ルイだけが、比較的冷静に意見した。

 各々動揺していた仲間たちは、一斉にジャン-ルイを見た。


「まず、第一に。アガタに何かが起きて、命を失うようなことがあったら、フレイはすぐに火に戻ってしまう。元気がないのは腹ぺこだからだ」


「なるほど、その通りだわい」


 イシャムがヒゲを引っ張った。

 精霊は、ソーサリエの頭を食べて生きている。あまり長い時間、離ればなれになっていると、飢えてしまう。

 まさに、今のフレイがその状態だ。


「第二に。いかにアガサが体育の授業ばかりとっているといっても、うっかり足を滑らせて落ちるような場所には上れないよ」


「たしかに……運動神経はよくないわ」


 イミコが涙を拭いた。


「第三に。自らの意思で飛び降りるとしても、動機がない」


「モンブランを置いては、去れないよな」


 ふにょふにょ……と、フレイが呟いた。


「でも! 誰かに誘拐されたとかは……」


 アリが叫んだ。

 ジャン-ルイは、少し苦笑した。


「それは……あるかも?」


「誰ですたい! そのような不埒なもんは!」


 イシャムが怒鳴った。


「……としても、アガタが自分の意思でこの部屋からこっそり出て行ったのは間違い無さそうだから、あまり心配はないと思う」


 回りに少しだけ安堵の声が上がった。


「ただ、フレイが心配だな。それに、フレイがアガタの存在を感じないってことが、不思議だ。たとえどんなに離れていても、ソーサリエの存在を察知しない精霊はいないのだから」


「もしかして、おいら……。切り刻まれすぎて、能力落ちた?」


 まるで融けてしまったロウのように、さらにふにゅふにゅになって、フレイが呟いた。




 人の心配をよそに――


 アガサは目が回りそうになっていた。

 ファビアンの飛び方は、どうしてこのような力が? と思うほどに早く、力強かった。

 その上、霧状の幕が体を包み込み、外からの衝撃――風や埃、時に飛ばされたものなどから、身を守っていた。


「きゃあああ!」


 建物にぶつかりそうになり、アガサは悲鳴を上げた。が……。

 その瞬間、窓から建物の中に入り込み、その場にぼっと突っ立っていた。


「ようこそ。僕の部屋へ」


 ファビアンが、丁寧に挨拶したので、アガサもつい、ぺこり、と頭を下げた。が、目だけは部屋のあちらこちらを見回していた。

 部屋はアガサの部屋に比べて、驚くほど狭かった。アガサの家の天井裏くらい。ただし、天井は高かった。そのせいか、あまり狭さを感じない。壁という壁は本棚で、古そうな本がぎっしり。ここだけでプチ・図書館とも言えるくらいである。


「お茶くらい出してあげたいところだけど、時間がないから」


 そう言うと、ファビアンは衣装ダンスの扉を開け、中からマントを取り出した。ファビアンが着ているものと同じ、制服のマントだ。裏地を見ると、青い。


「これを着て」


「え? でも……」


 一年生のアガサには、マントを着る立場にない。しかも、火のソーサリエなのに水の属性を示すマントを着ることはできない。


「大丈夫。君は、ソーサリエじゃない。だから、そんなことを気にしなくていいんだ」


 ファビアンはそう言うと、ためらっているアガサの肩にマントを掛けた。

 これって……さっきからすごく近い距離にいない? アガサは真っ赤になりながら、ぼうっとファビアンを見つめていた。

 彼は、マントの留め具を合わせるために視線を落としていた。その睫毛の長さに、ときめいてしまう。


「僕のだから……少し大きいな」


 ファビアンは、マントの裾を整えながら言った。



 ――なぜ、彼のマントを着ることになったわけ?


 アガサには、ちっともわけがわからない。ずっとファビアンのペースなのだ。

 そして、その後も……。


「さあ、行くよ」


 アガサの手を引くと、ファビアンは部屋の扉を開けた。今度は、ちゃんと入り口から出入りするらしい。

 部屋を出ると、すぐに階段があった。

 外から見ると、火のソーサリエの寮と変わらないように見える水の寮だが、内側は全く違った。螺旋状の階段の内側を、まるで水が流れるように、ソーサリエたちが行き来している。

 そして、ファビアンとアガサもその流れに加わり、さささぁっと下に降りて行った。


「ファビアン、こんにちは」


「ご機嫌よう」


「サヴァ?」


「ウィ、サヴァ エ・トワ?」


 すれ違うたびに挨拶される。ファビアンも、軽く返事を返す。

 噂に聞くほど、ファビアンは冷たそうな感じでもない。

 フランス語圏のソーサリエは、フランス語も使っているらしい。いや、一度精霊言語には翻訳しているらしいが、外来語として扱っているようだ。

 それって、マダム・フルールのえこひいきだと思う。

 THの発語ができないマダム・フルールにとって、フランス語は世界中の誰もが反対しても、全世界共通語ナンバー・1なのだ。


(でも。なぜかジャンジャンとは、マダムの翻訳を通しているみたいよね? マグロなんて挨拶、していなかったもの)


 マグロではない。正しくは、サバでもない。だが、アガサの耳は、所詮そのようなものだった。


「ファビアン、こんにちは。その子、誰?」


「恋人」


 すれ違った女の子に、いきなりびっくりな発言。

 サバもイワシもマグロも、一気にアガサの頭の上でキラキラ光り、焼き魚になる程の熱。アガサの心臓は、塔のてっぺんまで飛び上がった。アガサ自身は、ちょうど一階に降り立ったところだったが。


「ぎゃあああ!!! 今の、今の、今の、発言って!」


「気にしないで。そう言っておいたほうが、僕の場合、かまわれなくて都合がいいんだ」


 顔が沸騰して三倍になりそうなアガサに比べ、氷の王子のなんと冷静なこと。

 瞳の水色に、波紋のひとつも広がらない。まさに、淡々。

 ファビアンはアガサの手を引いて足早に歩いた。

 気にするな……と、言われても。それは無理っていうものだ。

 アガサは真っ赤になりながら、必死になってファビアンに付いて歩いた。

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