第四章

ファビアンとデート

ファビアンとデート・1


 学長室を出たファビアンは、風が舞う芝生の上を歩いていた。

 普段は水の寮まで一飛びだったが、さすがにマダム・フルールとのやり取りで疲れてしまい、何となく歩きたい気分だったのだ。

 これから起きることは、ファビアンにとっても大事な賭けとなる。

 なんせ、下手をすれば、マダム・フルールを敵に回すことになるわけで。もう引き返せないところまで来てしまった。

 青空と緑。気持ちがいい。

 だが、中庭の中央になぜか赤い点。燃え盛る炎のような少女を見つけて、足を止めた。


「やあ」


 最初に声を掛けたのは、ファビアンのほうだった。

 アガサのほうは、仁王立ちになり、腕を組み、髪の毛を風がもてあそぶままに舞い上げていた。

 だが、ファビアンの声を聞いたとたん、急に芝生に跪き、ぺこりと頭を下げた。


「お願い! 私を見捨てないで! どうにか、練習につきあってください!」


 その姿は、土下座というものである。ファビアンは、さすがに驚いた。


「それよりも、君。どうやってここまで来たの?」


「歩いてです」


 ファビアンの髪からレインが出てきて、アガサの頭の上に止まった。どうやら、フレイはいないようである。

 ファビアンは、風に乱れた髪をかきあげながら、なるほどね……と、言った。


「ホール・パスのゲートをすべて避けてきたうえに、精霊を置いてきた。となれば、君でもここまで来ることができるわけで……」


 ソーサリエでない女の子。だからこそ、考えついたのだろう。

 ただし、かなりの距離だ。入学の時に一度許されて通っているとはいえ、よく道に迷わなかったものだ。

 アガサは土下座したまま、大声でお願いした。


「お願い! 火のつけ方を教えてください!」



 ジャン‐ルイとイミコ、イシャム、それにアリ。さらに精霊たちが加わって、迫り来る試験の日の対策を練っていた。

 その対策といえば、ほとんどフレイの力をそぎ落とすことばかりに集中していて、フレイはご機嫌斜めだった。彼は燃え盛る火のように興奮していた。

 その間を、アガサは抜き足・差し足……で抜け出して、この中庭まで来たのだった。

 水のソーサリエの寮まで飛び込むつもりだったが、その前にファビアンを見つけることができた。


 ――この人、冷たいけれど、優しいと思う。


 それが惚れた弱み……ではなく、アガサの確信だった。

 できることをできる、できないことをできないと言ってくれること。それは、ある意味では優しいこと。能力の限界に逃げ道を残してくれるから。

 でも、アガサはそれでもフレイとともに、この学校に残りたい。そのためになら、何でもしようと思ったのだ。


「爆発でも何でも、火をつけられるということは、きっと制御もできるはずだわ!」


 ファビアンは、素っ気なく答えた。


「それは、ソーサリエじゃないから無理……」


「ソーサリエじゃないなら、ソーサリエじゃない方法を見つければいいんだわ!」


 ファビアンは、髪をかきあげる手を止めた。

 何やら、考え込んでいるようだが、アガサはその間もずっとおでこを芝生につけていた。

 やがて、やや感心したような声で、ファビアンが言った。


「君って……。なかなか頭がいいね」


「はあ?」


 思わず頭を上げてしまった。

 アガサ・ブラウン12歳。頭脳を褒められたのは、生まれて初めてのことである。

 それどころではない。目と鼻の先に、ファビアンの手が差し出されていた。


「さあ、立って。あまり時間がないけれど、面白いことを教えてあげる」


 ドキドキしながら、アガサがファビアンの手をとると……。


「きゃああああああ!」


 と言う間に、アガサとファビアンの体は、空中に浮かんでいた。





 その頃。


「ダメだ! これじゃあ埒があかない! アガタ、君が決断を下すべきだよ……」


 ジャン‐ルイが進まない話に結論をつけようとした時。


「あ、あら? アガタがいないわ」


「アガタ姫?」


「アガタお嬢ちゃん?」


「ねーさん?」


 やっと、話し合い中のメンバーが、アガサがいないことに気がついた。

 ハタハタとカエンが飛び回りながら、フレイを挑発した。


「なぜ、主殿ぬしどのがいなくなったのに、気がつかないのですか? フレイは」


「悪いか? おいら、近頃、切ったり張られたり、水に浸されたり、爆発したり……で、ものすごく疲れているんだ。しかも、ストレスたんまり。ナーヴァスで苛々、正気でいられるほうがおかしいってんだ!」


 フレイはふくれていた。


「精霊にストレス? ナーヴァス? 苛々? 疲れ?」


 面白そうにカエンが言った。


「それよりも、アガタったらどこへ行ったのかしら?」


 イミコが不安そうに行った。


「学校内で行けるところなら、フレイがいない分、心配はないと思うけれど……」


 とジャン‐ルイ。


「絨毯で飛んで捜してきましょうか?」


「それよりも、フレイがわかるだよーん。精霊はソーサリエに付いていてなんぼ……ってんだから、磁石が引き合うように離れてはいられないもーん」


 イシャムがヒゲを引っ張りながら言った。


「それよりも、あまり長い時間、命令でもないのにソーサリエから離れているのはよくないわ。フレイ、お腹がすいて死んじゃうかも?」


 珍しくバーンが意見した。


「……」


「フーリも同じ意見です」


 ジンが伝言した。

 フレイは、くるくるダンスしながら、机の上に舞い降りた。


「しょーがねーな、ねーさんは……。じゃあ、おいら、飛んでゆくから、アリ、後をついてきて。もー、へんなところにいたら、学校爆発だぜ?」


「僕とイシャムも追いかけるよ。何かあったら、アリだけじゃ押えきれないし、アガタだって、無事じゃすまないから」


「あいよー!」


 そうして、準備が整った。

 あとは、フレイが飛ぶのを待つだけである。


 じーっと待つこと……。

 待つこと。

 待つこと。


「ちょいと長過ぎませんか?」


 アリが飛び上がるポーズのまま、我慢できなくなってフレイを見た。

 フレイのほうは、100メートルダッシュでもしそうなポーズのまま、固まっている。


「待てよってば! まだ、アガタの気配がわかんねーんだよ!」


 イライラしながら、フレイが言った。


 さらに待つこと……。

 じっと待つこと。

 もっと待つこと。


「もしかしてフレイ。お腹をすかせて死んだのではないですか?」


 カエンが言った。


「バカヤロー! おいらを勝手に殺すな!」


 そう言いつつも、フレイは飛び上がる気配がない。

 ついに、ジャン‐ルイがイシャムの絨毯から降りた。


「フレイを火に入れたほうがいい。バーン、フレイを補助してあげて」


「いったいどうしたんです? フレイは?」


 イミコが不安そうにおろおろした。

 バーンとカエンが、ダッシュ・ポーズのまま固まっているフレイをロウソク風呂の中に突っ込んだ。

 こちんこちんのフレイは、やっとふにゃり……と溶け出した。

 だが、同時に目から炎を吹き出した。実は、泣いているのだった。


「た、た、大変だ! アガタが消えちまった!」


「えーーーーー!」


 そこにいた全員の声が揃った。

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