ファビアンの陰謀・3


「あらーっつ! こいつが犯人だなんて、絶対に許せないわーっつ!」


 老眼鏡をまるでモエバーのように上げ下げしながら、マダム・フルールは叫んでいた。

 この叫び声をあげるのは、読んでいるミステリー小説がもうすぐ読み終わると言う儀式でもあり、毎度の事である。

 つまり……毎度、マダムの推理は外れるのだ。

 理由は簡単。

 マダム・フルールの頭脳は、ミステリー作家が及ばないほど、定石を逸しすぎているからだ。まあ、突飛ともいう。

 学長室の椅子に深々と腰をかけて、水の精霊・火の精霊・土の精霊・風の精霊をかわりがわりに呼び出しては、お茶やらケーキやらを運ばせる。

 ソーサリエの学校の学長は、実に気ままで楽しいお仕事なのである。

 それでも、一応は仕事である。

 突然のノックにマダムは慌てて本を引き出しにしまい込み、格好の悪い眼鏡を外し、コホンとせきをして居住まいを正した。


「どうぞ」


 品のある声で返事をすると、もう立派な学長なのである。



 ファビアンは、まるで優等生の鏡のような格好と態度で、学長室に入ってきた。

 呼び出しをしない生徒がここに来るのは珍しい事で、よほどのお願いがある時だけだった。


「あらら? ファビアン・ブローニュ。いったい何事なのかしら?」


「読書の邪魔をして申し訳ありません」


 ファビアンは礼儀正しかったが、相手を立てることはしない。

 マダム・フルールは、コホンとせきをした。誰もが知っていることであっても、あからさまに口にするのは御法度である。


「私に会いにきたのかしら? それとも、何か欲しいものがあったのかしら?」


 マダムはにっこりと微笑んだ。

 優等生であっても、学長が一本取られていてはしめしがつかない。

 ファビアンがアガサの資料を盗もうとした事は、未遂で終わっているのであるが彼の汚点でもある。


「欲しいものがあったので、お願いに伺いました」


 ファビアンは言った。

 意外にあっさり。

 マダム・フルールは、目をぱちぱちさせながら。


「私……。もうおばあさんなので、恋人にはなれません」


 その一言に、マダムの精霊たちとレインは、床にばたばた……と落ちて倒れた。

 だが、ファビアンは平然としていた。


「僕が欲しいのは……アガサ……」


「キャーーーーー!」


 今度は突然、マダムが悲鳴を上げた。

 よろよろと立ち上がり、飛び上がろうとしていた精霊たちは、再び床に伏してしまった。


「んまあ! ファビアン・ド・ブローニュ! この学校内では、不純異性交際は許されませんことよ!」


 さすがにファビアンの顔が歪んだ。


「マダム。読んでいた本は、ミステリーではなく恋愛ものですか?」


「ハードボイルド系ミステリーですわ」


 素直に白状するところが、初老マダムの乙女チック単純思考のところである。


「僕が欲しいのは、アガサではなく、アガサの精霊のフレイです」


 ――水のソーサリエが火の精霊をほしがる。

 これは、火の精霊を持つ恋人を持つよりも当然危険なことである。


 当然ながら、マダム・フルールは目を白黒させた。


「ファビアン。あなた、勉強しすぎて頭がおかしくなったのですか?」


「ええ、かなり勉強しましたよ」


 この部屋に入ってきてから、初めて彼は微笑んだ。

 美少年の微笑みは、何か企んでいることがあったとしても、女心を揺さぶるものである。

 だが、ファビアンの言葉はマダム・フルールを少しだけ不機嫌にさせた。


「僕は、無のソーサリエになって確かな力を手に入れたい。あなたのように。だから、あなたがなぜ、無のソーサリエになりえたのか、調べたのです」


 マダム・フルールは立ち上がった。

 そのとたん、部屋のカーテンというカーテンが締まり、ドアには鍵がかかり、学長室の回り10メートル範囲に魔法結界が張られた。

 つまり、小人さんが出てきて、やれはーほれはーと踊り始めたのである。

 丸く結い上げられていたマダムの白髪は爆発した。目が血走って火を噴きそうである。

 しかも、部屋中にどどど……と暗雲が立ち込めて、ピカッと稲光が走った。


「なんという子なんでしょう! 女性の過去を暴くなんて、最低ですわ!」


 これが……。

 本気で怒ったときのマダム・フルールだった。


「怒らないでください。マダム」


 ファビアンは少し媚びを売るように目を伏せた。


「僕は……ただ、あなたのように立派なソーサリエになりたいだけです。あなたが犯した危険だって、そのために必要だったとあれば……僕だって挑戦したい」


 マダム・フルールの髪の毛は、まるでおどろおどろの蛇縄のようにのたうち回っていた。そして、背後には炎と波しぶき、火山の噴火と突風の五色の旗が舞踊っていた。


「いけません! あなたにはまだ早いわ! あなたはこのソーサリエの学校を消滅させるつもりなの?」


「そんなつもりはありません。マダムが協力してくれたら、僕はフレイを半分封印できるはず……」


 マダム・フルールの背後にあった旗は力なく消え、マダムもどっさりと椅子に落ちた。


「つまり……あなたは私を脅すってことね?」


「そんな。脅すなんて……。僕は口が堅いですから、こんな重大な秘密を吹聴する気はありません」


「脅しているじゃない……」


 マダム・フルールは、大きなため息とともに引き出しを開け、大きな手鏡を取り出した。そして、髪の毛を整えながらブツブツ言った。


「ああ、嫌だ。また、白髪が増えちゃった」


 増えたのではなく、すべてがもともと白髪なのだが。

 さらに大きなため息。


「あなたには負けたわ。ファビアン・ド・ブローーニュ」


 ファビアンは、微笑みとともにゆっくりとお辞儀をした。


「確かに、私は若い頃、ソーサリエの伝説にある火水の精霊の結晶を利用し、4つの精霊を分断して閉じ込めた。それによって無のソーサリエとなりえたのだけど、下手をすれば火水の精霊の封印が解けるところだったわ。これがばれると処罰ものね」


「マダムと同じ穴の狢になりたいのです」


「……よくいうわ」

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