夢の超特訓・5


 さて。


 こちらはハグレ地のアガサたちである。

 みんなが固唾をのんで見守っている中。


「火よ! つけ!」


 短いアガサの命令に透明フレイは見事に答えた。

 池に浮かんだコップの中のロウソクが見事に灯った。


「やった! アガタ。成功だよ!」


 真っ先に声をあげたのは、ジャン‐ルイだった。彼はアガサに駆け寄ると、まだ信じられないという顔のアガサをぎゅっと抱きしめてしまった。

 その横でイシャムは小躍りしているし、ファビアンも腕を組んで満足そうに微笑んでいた。


 だが……。


 どっかああああああああーーーーん!


 時間差を置いて、いきなり雷が落ちてきたような光と音。


「危ない!」


 アガサはジャン‐ルイに抱きつかれたまま、押し倒されていた。

 ジャン‐ルイ越しに、空に火の玉が浮かんでいるのが見えた。それが、どんどん膨張して落ちてきそうだ。

 イシャムが絨毯の上で、何度も拝礼している姿が見えた。が、火はますます大きくなる。


「イシャム! 無理だ! 飛び込め!」


 ジャン‐ルイは叫ぶと、アガサを抱いたまま、池に飛び込んだ。同時に起きた水音から、イシャムも飛び込んだらしい。

 水の中で、アガサは3人の姿を確認した。

 だが……。


(ファビアン! ファビアンがいない!)


 ブクブクしながら、アガサは焦った。

 慌てて水の上に顔を出そうとしたが、再び誰かに引きずりこまれ、水を飲みかけた。


(ぎゃーーー! お、溺れるじゃない! バカ!)


 アガサは気を失った。



 いったい何が起きたの!


 気がつくと、視界が人の顔で覆われていた。

 プラチナの髪、水色の瞳。ファビアンだ。

 アガサはあわてて飛び起きた。もう少しで、おでことおでこがぶつかるほどだったが、わずかな差でファビアンのほうがひいた。


「大丈夫……のようだね」


 冷静な王子様の声。

 慌てているのは、アガサだけだった。

 あたりを見渡すと、ジャン‐ルイとイシャムがタオルで体を拭いているところだった。濡れていないのはファビアンだけらしい。


 そう。


 はげしい爆風を避けるため、アガサたちは水に飛び込んだ。だが、ファビアンだけは飛び込まなかったのだ。

 アガサは心配になり、水中から出ようとして、ジャン‐ルイに再び水の中に引きずりこまれ、そのせいで水を飲んで溺れかけたのだ。


 そして……。


 急に顔が熱くなってきた。

 よく映画であるではないか。溺れた女の子に男の子がすることは、決まり切っている。それに、先ほどの顔のアップは……。


「きゃーーー! も、も、もしかして、人工呼吸なんかしちゃった?」


「しません」


 あっけない返事がファビアンから戻ってきた。

 その声の状態からして、とても不機嫌なようである。

 変な事を言ってしまったから? と、アガサは焦ったが、実は別の理由からだった。


「すべてはうまく行くはずだったのに。なぜ、ここにフレイがいる?」


 ファビアンの冷たい視線の先に、真っ赤な髪を振り回しながら飛び回っているフレイがいた。


 どうやら、うまくいったと思ったとたん、切り離されていたはずのフレイが合体し、本来の力を取り戻してしまったのだ。

 制御されていた分、余計に大きな力となって爆発を起こしてしまったらしい。

 ファビアンは、すぐに魔法を発動して火の玉を防いだ。

 だが、突然のことだったので、ファビアンの魔法を忘れていたジャン‐ルイは、アガサを抱いて水に飛び込んでしまったのだ。


「まったく。ファビアンを誘った意味がありませんよ」


 などと、珍しくバーンに説教をされていた。


「まぁまぁ、いいから。バーンちゃん。焚き火・焚き火」


 ちょっと無口になったジャン‐ルイの変わりに、イシャムがもみ手して、バーンにお願いした。

 ぱっとおきた焚き火。

 アガサは、にらみ合っているフレイとファビアンの横をすり抜けて、焚き火にあたった。

 多毛症の髪を絞ると、じゃーっと水が落ち、ついでにフナが一匹出てきた。


「網みたい」


 イシャムの精霊ジンが感心して褒めたが、アガサはそれよりもフレイのことが気になっていた。



 フレイのほうは、天敵ともいえる少年から一本取って上機嫌だった。

 いたずらっぽい微笑みを浮かべると、宙返りしてみせた。


「精霊いじめしか思い浮かばない冷酷非道人に、成功の文字はないぜ」


 ファビアンの眉がぴくりと動いた。


「僕は、アガサが退学にならないよう、協力しているつもりだったけれど。どうやら、不要のようだね」


「そ、そ、そんなことないです! お、お願いします!」


 声を張り上げたのは、フレイではなくアガサのほうだった。


「ねーさん、こんなヤツの協力なんて、何にもならないぜ。おいら、また切られるのはごめんだし、水を被るのだって嫌だからな」


 フレイがアガサの頭の上で怒鳴った。着地しないのは、髪の毛が濡れているからである。

 しかし、アガサは両手でパチン! と、フレイを挟み込んでしまった。


(む、むがっつ……! ね、ねーさん!)


(うるさい! ここが生きるか死ぬかの瀬戸際じゃない!)


(ちがうだろー! どうせ、ファビアンと話がしたいだけで……むぎゅ!)


 フレイを完全にむんずと押さえ込むと、アガサは深々と頭を下げた。


「お願いです! フレイはどうにか言う事をきかせますから、助けてください!」


 頭を下げたまま、時間が過ぎた。

 ものすごい長い時間に感じたが……。


 突然、手に手の感触を感じた。

 かすかな薔薇の香り。

 そっと顔をあげると、うつむいたファビアンの顔が見えた。


「君には……無理だ。ソーサリエじゃないから」


 彼は、握りしめられたアガサの指をひとつひとつ開いていく。指の間から、フレイの姿が現れた。


「……したいだけで、おいらを利用しているだけだ! ぎゃーぎゃー!」


 怒鳴り続けるフレイを無視して、ファビアンは言葉を続けた。


「君には、この精霊の力を抑えることも、いう通りにさせることも出来ない。黙らせることだって出来ないんだよ」


 その声は、妙に優しく聞こえた。

 だから、アガサは余計に惨めになった。


「で、出来るよ! 努力すれば……。がんばれば何でも出来るようになるって……」


「おいら、こいつに頭下げるのはやーだからな!」


 アガサが言っているふちで、すでにフレイは怒り心頭。怒鳴りまくっているのだ。

 握りしめ、押さえ込んだら、一時的にフレイを無口にできるかもしれない。でも、自由にしてあげたら……フレイはフレイ。アガサはアガサだ。

 フレイはアガサの心を読めるけれど、アガサはフレイをどうとも出来ないのだ。

 ファビアンの手が、アガサの最後の指――小指を解きほどくと、フレイはアガサの手の中から飛び立ってしまった。

 アガサは虚しい気持ちでその姿を目で追った。途中で、ファビアンと目が合った。


「諦めることだって悪いことじゃない。出来ないことは、誰にだってあるから。出来ないことで落ち込んだりしないで……」


 ぽんと肩に手。

 ほんの一瞬だ。

 きゅん……と胸が苦しくなる。


 ――本当はこの人……。優しいんじゃないのかな?


「それじゃあ」


 ファビアンは少しだけ微笑んで、アガサに別れを告げた。

 何も言えないアガサを残して、彼は去ってしまった。

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