寒中水泳教室・2


「さて、訓練を始めようか?」


 ジャン‐ルイが池のほとりで腕組みをした。


「おいら、気がのらねぇ……」


 フレイがブツブツ呟きながら、小さなコップの中に入った。

 イミコがそっと池に浮かべる。アリの精霊・フーリが風を起こしてコップを池の向こう側へと送り出す。

 目測でジャン‐ルイが距離を指示した。


「そのあたりだな。ぎりぎりソーサリエが命令を送れる範囲だ」


 フレイと言えば、不安定なコップの中で水が怖くて震えている。コップの中央にはロウソクが立ててあって、ゆらゆら揺れるたびにしがみつく有様だった。


「おーい、早く終わらせてくれよーーー!」


 情けない声が、岸辺のアガサにも届いた。


「じゃあ、行くわよ!」


「まって!」


 いきなりジャン‐ルイ。

 アガサが呪文を叫ぼうとした瞬間である。思わず舌を噛んでしまった。


「いたた……。な、何?」


「いや、あまり力まないほうがいいと思って」


「それに予備練習をしたほうがいいわ。アガタ。まずは、何も念じずに呪文だけ唱えてみて」


 イミコもアドバイスする。


「そうなのよぉ。フレイちゃんって、とってもー、力強いんでぇー、イシャム、困っちゃうぅ」


 ……五倍眉毛で気持ち悪い。


「えーと、『ロウソクよ、燃えろ』でいいのよね?」


 アガサがゾクゾクしながら言うと、今度はアリが口を開いた。


「それは、少し強烈な命令だと思われますが、どう思いますか? ヴァンセンヌ殿」


「確かに……。少し抑えたほうがいいかも……」



「そんなのいいから、はやくしてくれーーーーー!」


 風に乗ってフレイの声が裏返って響いた。


 その声を聞いて、イミコが遠くにぷかぷか浮かぶコップに同情の視線を投げた。


「気のせいかもしれないけれど、フレイ、怖がっているようなんだけれど」


「気のせいです」


 カエンがすかさず答える。


「じゃあ、こんなのどう? 『ロウソクの火、ついたらいいな』っていうの」


「……。……」


「アガタ姫。フーリ曰く、それは弱すぎるとのことです」


 アリが小声で言う。


 その横でバーンがくるくると回転した。


「でも、フレイにならそれくらいで大丈夫」


「何せ、イシャム様の力も及ばない偉大な精霊あられますからな」


 チョコレート色の精霊・ジンが咳払いをする。


「じゃあ、ひとまずそれでいってみようか?」


 ジャン‐ルイがまとめた。


「何でもいいから、はやくしてーーーーー!」


 先ほどよりもビブラートがかかった声が、池の向こうから届いた。


「じゃあ、行くわよ!」


 と、アガサが深呼吸した時だった。


「でも、万が一の時の打ち合わせをしていなかったね」


 再びジャン‐ルイ。


「拙者が思うに、絨毯はハグレ地の下に隠しておくのがよろしいかと存ずる」


 五倍眉毛がまぁまぁ許せる。


「……。………」


「フーリが言うには、ジンにおまかせしますとのことです」


 アリの言葉を聞いて、ジャン‐ルイがうなずいた。


「じゃあ、フレイが爆発したら、フーリが逆風を起こして、バーンとカエンで炎の逆バリアーをはることにする。イミコ、できそうかい?」


「わ、私にできるのかしら?」


「僕が思うに、君は自分が思っている以上に優秀だと思うよ」


「きゃっ! そそそそそ、そんなこと……」


「大丈夫、自信を持って」


「でも私……」


「大丈夫」


「でも私……」


「大丈夫」



「つまらん漫才は後にしてくれーーー!」


 絶叫が水面を渡ってきた。


「それじゃあ、今度こそ行くわよ!」


 アガサが再び深呼吸。

 そして……蚊の鳴くような小さな声で。


「……ロウソクの火、ついたら……いいな……」


 五秒経過。

 十秒経過。


 誰もが固唾をのんで、水面に浮かぶコップの中のロウソクとフレイを見つめている。


 二十秒経過。


 だが、ロウソクは灯ることはなかった。


「あーあ、やっぱり。弱かったのかしら?」


 アガサががっくり肩を落とした時だった。


「危ない!」


 いきなりジャン‐ルイの声。

 と同時に、いきなり隣にいたアリとジャン‐ルイに、突き落とされた。

 いや、正確にいえば、五人揃って肩を組んで池に飛び込んだというのが正しい。


 バシャーーーン!


 と、激しい水しぶき。

 と、同時に水面を火の手が走った。


 まさに一瞬の火炎放射状態である。



 五人は同時に、ぶほっと水を吐きながら浮き上がった。

 イミコとアガサは泳げなかったが、池があまり深くなかったので、溺れることもなく、自力で這い上がることができた。


「い……今の……フレイの力?」


 さすがのジャン‐ルイも、ややあきれたような声を上げた。


「! フレイ! フレイは大丈夫かしら!」


 アガサは慌てて池の向こうを見た。

 フレイが入っていたコップは、見事にくだけ散って跡形もなかった。だが、爆発して燃え尽き、水に落ちてしまったフレイを、精霊のフーリが持ち上げ、カエンとバーンが運んできた。


「キャーッ! フレイ!、あなた、大丈夫?」


 アガサが大声を張り上げると、フレイは黒っぽくなりながらも、こくっとうなずいた。


「早く! ああ、早く温めなきゃ! 火よ! 火が必要だわ!」


 おたおたするアガサの横で、アリがくしゅんとくしゃみした。


「僕たち全員、火が必要みたいだ」


 ジャン‐ルイが呟いた。


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