氷の王子様

氷の王子様・1


 水のソーサリエの寮は、火のそれとは違う。

 寮の象徴である塔自体が螺旋階段らせんかいだんとなっていて、しかもそこに資料室やら喫茶室、読書室などが備えられている。

 アガサがもしも水の精霊に付かれていたとしたら……。

 少しは救われたことだろう。

 何か用事があるたびに232段の階段を上り下りしなければならないこともなく、実にコンビニエンスである。

 ただ、階ごとに寮生の部屋と施設が別の火の寮に比べると、どうも自室にいてもうるさい感じがする。一長一短というところである。

 だから、ファビアンは読書に読書室を使う事が多かった。

 塔の最上階からひとつ下にあるその部屋は、幾つかの個室にさらに分けられていた。

 完全に読書に没頭できる場所である。

 だが、わざわざここまで上がってくる神経質な生徒も少なく、それほど人の利用が多いわけでもなかった。

 むしろ、見晴らしの良さからデートスポットにもなっていて、ファビアンのように本来の目的で使う生徒は少なかった。

 ファビアンが好んで使う場所は、窓辺である。人が五人も入れば息苦しいだろう狭さのそこには椅子がなかった。

 直接出窓に腰を下ろし、窓から差し込む自然光で本を読むのが彼の日課だった。

 それは、誰にも邪魔されない至福の時――だが、その日は違った。



「やぁ、ファビ! やっぱりここにいたね」


 声の主は、この寮には全くそぐわない人物。

 だが、ホール・パスを持っている彼は、マントの赤い裏地を翻しながら、階段を上ってきた。

 ファビアンは投げ出していた足を引き寄せ、身を起こした。


「珍しいね。ジャンジャン」


 親友が読書の邪魔をされて不機嫌そうなので、ジャン‐ルイはちょっぴり肩をすくめてみせた。


「実は、少しでも早く君に話したい事があってね」


 ジャン‐ルイとファビアンの間を、バーンが飛んで四角を描いた。そのとたん、空中にスクリーンができあがり、アガサの映像が映し出された。ファビアンの眉がピクリと動く。


「どうしたんだい? この子は」


「驚かないのか? アガタにそっくりだろ? 名前もアガタなんだ」


 ファビアンの指先が映像の前でふられる。アガサの画像は揺れて消えた。


「話したいことって? 恋愛相談なら間違っているよ」


「そうじゃなくてさ」


 ジャン‐ルイは、ファビアンと並んで出窓に座り、今までのいきさつを熱っぽく話した。

 だが、ファビアンのほうはというと、余り興味が無さそうである。時々、窓の外を眺めたり、自分の膝に頬杖ついたり……と、聞く耳をもたない。


「おい、真面目に聞けよ。君にも悪い話じゃない。火の精霊魔法について研究したいって言っていたじゃないか? これは君のためにもなる事だよ」


「ジャンジャン。悪いけれど、僕が研究したいのは火の魔法であって、火の精霊に間違って付かれた女の子じゃない」


 淡々と返ってくる返事。全く興味がない様子。


「普通の女の子が火の精霊を操るのは、属性の違いを越えるのと同じ手法だと思わないか?」


「思わない」


 思いのほか親友の反応が悪いので、ジャン‐ルイは焦っていた。このままでは、アガサに何と説明すればいいものやら。

 ファビアンはつまらなそうに耳に髪を掛ける仕草を見せた。それは、もううんざりという時の彼の癖でもある。


「精霊が間違って普通の人に付くという例は、過去に三度あった。その結果、一人は火の精霊の魔力で焼け死に、一人は水の精霊の力で溺死した。最後の一人は、法令に従って風の精霊を切り離したおかげで、普通の人としての人生を全うした。で、ジャンジャン、君はその子を焼け死なせたいのかい?」


 ジャン‐ルイは、想像してぞくっと震えた。

 確かに身のほどを越えた力の精霊を付けた者たちの末路は哀れだった。だから、付く人を間違った精霊には大きな罰があたえられ、千年間封印されてしまうのだ。


「もしもその子を大事に思うなら、ソーサリエの道を諦めさせて、マダム・フルールの力によって精霊を退散させ、下界に戻してあげることだよ」


 ファビアンの言葉には、一理も二理もあった。

 だが、それをアガサもフレイも望んでいない。アガサは、ソーサリエとしてがんばると言ったのだから。


「でも、アガタはきっとできる!」


「どこにもその確証なんてないじゃないか。希望だけじゃ夢は叶わない」


 ファビアンの指が髪を梳いた。もう片方の耳にもブロンドが掛かる。


「確かに希望だけじゃダメだろうけれど。何もやらずに諦めたら、ますます何もならないじゃないか! 僕はアガタを助けてあげたいんだ」


 ジャン‐ルイの声は大きくなったが、ファビアンの声は平常だった。


「君がその子の事を思うのは自由だけど、僕は何とも思わない」


 ジャン‐ルイは、唾を飲み込んだ。

 この友人は、時々確かに冷たい物言いをするところがある。しかも、そういう時に限って、水色の美しい目をまっすぐにこちらに向けるのだ。


 心の中を見透かされるよう……。


「僕はだた……。あまりにもあの子が妹に似ているから、他人事にできないだけだ」


 水色の視線が、再び窓の外に泳いでいく。冷たい横顔――薄桃色の唇が開いた。


「君の妹に似ていても君の妹ではない。アガサはアガタじゃない」


 決定的な言葉。

 ファビアンを説得できそうにない。ジャン‐ルイは、ふっと肩を落とした。


「わかった。他を探す。邪魔をした」



 ジャン‐ルイが階段を下りて行くときも、ファビアンは見送ることもなく、窓の外を眺めていたままだった。

 どこまでも続く青空――下方に白い雲が流れてゆく。

 所々に、天空の欠片が浮かんでいる。波間に見え隠れする岩礁のよう。

 まるで海の真ん中にいるような風景だ。


「まるで……あの日のようね。アガタがやってきた日」


 ファビアンのブロンドから、もそもそ……と精霊のレインが顔を出した。


「しっ。静かに……。今、考え事をしているから」


 薄い桃色の唇から言葉が漏れた。

 こういう時の彼の目には、見ているものが映っているとは限らない。

 レインは、ふふっと笑って再びブロンドの海に潜り込んでしまった。

 それからしばらくの間、ファビアンは本を読む事もなく、ただ空を見つめていた。


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